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仕事部屋

拳のなかみ。

私にはせっかちなところがあって、物事が落ち着くまで自然な経過を見守るということができない、勝手に仮定と推測を持ち込んで検証し、自分の施しをせかせかと決めてしまう、しかも頑固だから自分勝手に決めたことが物事の自然な道理にそぐわない場合にもなかなか折り合いがつかなくて困る、それも概ねが偏ったところの立脚点で、寄り添うとか委ねるとか従うといった余裕もない、だが本質的には自分のココロの在処がそれだから、折り合わなければならないこともなく、結果孤立を選ぶこともままある。

自分を信じることについて何か考える機会があると、いつも思い出すのは遠い昔にわずかな日々を共有したKのことで、恋人でも元旦那でもないのだが「日々を共にする」という言い方がしっくりくるほど私とKは飲み歩き喋り倒し笑い続けていた、いつもたくさんの仲間がいて、たくさんの出会いがあって、それなりに色恋の隙間もあったのだけど、私は初めからずっとひたすらにKのことが好きでさっさと思いを伝えてもいた、Kの答えは「夢がある、誰かと付き合っても大切にしてあげられない、だから今は誰とも付き合わない」で私はあっさり振られた、私は「ただ好きでいられて、そう思ってるままこうやってみんなと一緒にいられるなら付き合わなくてもいい」と交渉してKに
「それでいいならいいよ」と受け入れるようなことを答えさせた、Kが私のことをとても大切にしてくれていること、特別な存在として扱ってくれていることは承知していたから卑怯な交渉だったかもしれない。

ただの遊び仲間とは違って私とKは実際にちょっとした役割や責任をお互いに預け合っていたし、熱意と信頼から始まったそこで日々の無駄が肉付いた絆のようなものも育まれた、酔って騒いで抱き合って眠ることも、真冬の寒い夜に素面で手をつないで黙って歩くこともあったけど、私たちは友達で、友達でいることには何の疑いも持たなかった、好きな男の子がいると急に律儀な貞操観が芽生えるたちなので、他の男の子と寝るとどうしてかKに罪悪感を持ったし、Kもぎこちなく嫉妬を見せた、それならあんたが私をモノにしなさいよと気持ちが急いた、特別な気持ちがあることは最初からずっと暇さえあれば伝えていて、Kの答えも代わり映えしなかった、少し先のことを話すときのKは「お前を笑顔にすることも俺の夢の一つなんだ」と言ったりしたけど、私はその言葉を真に受けるのが怖くて茶化しただけだった、私は心底Kが欲しかったのにその気持ちだけは届かなかった、他の女の子に嫉妬するような歪みはなかったけれど、だからといってKは私の男ではなかったし私はKの女ではなかった、居場所のない心細さがいつもあってじわじわと捩じれた、どうしようもなくなってなんとか片想いを棄てようとココロがぐらついていた時に出逢いがあって、私は出逢った人と過ごすことを決めてKにそう報告した、世田谷線の線路沿いから環八あたりを歩く肌寒い夜だった、Kは「お前がそう決めたんならそれでいいよ」と言った。

長いこと、私とKの間は、私の一方的な下心とKの私に対する信頼だけで結びついていたと思っていた、それから私は自分が決めた人と一緒に暮らすようになりKとは疎遠になった、しばらくして久々にKと飲んだときにいつも以上に酔ったKが「あいしてる」と呟いたのを聞いた、私は「知ってる」と答えた、それだけだったけれど、何年も過ぎたある日、私はあの時ちゃんとKと結びついていたんじゃないかと不意に思った、そしてそれを棄てたのは私だと、片想いして失恋して諦めて先に進んでいたつもりの私が、「それでいい」と言った私を信じていたKを何度も裏切って傷つけて勝手に見切って棄てたのだと、本当にその時になって、初めて思った。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない、Kとは今も飲もうかと誘い合えば逢える距離だけど確かめたことはない、だから勝手な仮定と推測による個人的な感想に過ぎない、ただ私はその時に失ったものの大きさに気付いている、約束だの言葉だの役割だの立ち位置だのにココロを押込もうとして見失ったものがあった、約束は反古にできるし言葉は否定できる、役割は棄てられるし立ち位置は変えられる、ココロばかりは思うように動かせない、捉われずにいようと心がけていてもついついそこに頼ってしまう時が今もある、恋バナ的にまとめれば「あのとき、あなたが好きだと言ってくれていたら」と泣けるのかもしれないが、私は泣けない、言葉に縋ったところでいつかまた同じように足場を見失う、そうして言葉ばかりを重ねて、しまいには「あの時あなたがこういったから」「それは君がああ言ったから」といらなくなった言葉を押し付け合ったりするのだから、いっそなくていいと本気で思う、言葉や約束なんてものはただの贈り物だ、渡してあげたい気持ちがあって意味を成す、受け取る気持ちがあって価値になる。

私は私がKを想う自分のココロを信じていればよかったのに、どうしてそれができなかったんだろうと、思い出すたびに苦くなる、そうしていれば良かったとか、何かが違ったかもなんていうことではなく、ただ「どうしてそれができなかったんだろう」といつも自分を戒める、あの時の苦しさはココロにも身体にも染み込んでいて、自分がどこにも存在していないような漠然とした不安や、誰からも愛されていないように感じる孤独の茫洋は、もう味わいたくないと切実に思う、だけどその苦しみは私が私を信じなかったから生み出されたもので、KやKとの関わり方がそれを生み出したわけじゃない、私は確かにKが好きで、KはKにできる精一杯のことでそれに応えていると判っていた、宝物のような日々と愛おしい私たちのココロが、確かにこの手にあったのに、私はつまらない何かを欲しがってそれらを手放してしまった、どうしたかったという悔いではない、どうしようもない悔いだ。

映画「愛のゆくえ(仮)」は、そこらへんの私の悔いを仮の物語で埋めているんだと思う、男のロマンと女の現実は重ならねえんだよという喧嘩を売ったつもりもある、男の夢に寄り添える女になりたいもんだなあとも思うし、女の現実のために夢を棄てられる男に出逢いたいもんだなあとも願う、公開劇場で配布される「愛の通信(仮)」のインタビューでもぼんやりと語った、愛することは生きるために必要な本能の一つなんじゃないかと、それは私であっても私でなくてもKであってもKでなくても良いことで、ただその時を生きるために愛することが必要で、「愛は与えるもの」なんて誤摩化してはいるが結局のところエゴなのだと承知で、エゴを受け入れて欲しいだけで愛を与えるんじゃないか、欲しいと思わせるためのチラ見せが横行してる、価値を釣り上げようとして「愛こそすべて」と謳い「安売りはしない」と隠したりもして、もっとバラまけばいいのに。

もうずっと長いこと仮定と推測で答え合わせをし続けている、独り遊びのようなそれに疲弊するとまたKのことを思い出す、意固地の拳を握る。


映画「愛のゆくえ(仮)」公開まであと2週間を切りました。
2012年
12/1(土)~ 12/7(金) 21:00
12/7(土)~12/21(金) 16:30/21:00 ※平日16:30の回は1000円均一
12/22(土)〜未定
ポレポレ東中野

演劇「愛のゆくえ(仮)」、上演台本2種ダウンロード公開中。


  1. 2012/11/19(月) 20:24:02|
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まとめ【拳のなかみ。】

私にはせっかちなところがあって、物事が落ち着くまで自然な経過を見守るということができない、勝手に仮
  1. 2012/11/19(月) 21:27:25 |
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