28日、迎えに来てくれた娘と病院から帰宅、主に娘が働いてざっくりの掃除と片付け、夕方に小形くんが先着し、のんびりぼつぼつでWSの人たちが集まり始め、特にはしゃぐでもなくそれらしく何かを語るでもなくいつも通り、ただ顔を見られる面白さで和やかな忘年会、終電組が引き上げて入れ違いにMrs.fictions中嶋班野球チームのキャプテンが合流、入院前に飲む約束してたのを呼びつけて果たす。
撃沈してソファーに居残った竹内を放置したまま朝方に就寝、昼前の電話で起きてその夜の予定が午後に繰り上がり、急ぎ身支度して渋谷へ出向く、この年何度も立ち寄った居酒屋で近況、顔を見ると言いたかった言葉が出ない、それでもぽつぽつ交わす言葉で何か伝えられただろうか、話し合うべきことがあったようにもそもそも何もないようにも思い、今こうして向き合って言葉を交わせることが精一杯だとも思う、手元にあるそれが、ヌケヌケとそう言う。
Mrs.fictionsの控え室がお寺さんの本堂だったので、千秋楽の本番中にお寺さんを訪ねてお護りを買った、一つ一つが手作りで品のいい可愛らしさ、お護りなんて持ったのは30年ぶりだろうか、神頼み仏さま頼みにするのはどこか心もとないのだけれど、「望む」ではなく「願う」という心境のせいか自然と欲したんだろう、望むことから生まれる諦めるという強さより、願うことから生まれる受け入れる強さが今は欲しい。
病状について皆さんが気にかけて下さるが、裸を見られるよりレントゲンやエコーの画像を撮られる方が恥ずかしいと感じる性質ゆえ特別親しい方にしか打ち明けていない、まだ精密検査を受けなくてはならない段階でもあるし今は自分でも受け止め方を探している感じがする、しばらく訊かずにいてください、よくあるあれやこれやの一つなのでいつか落ち着いた時にはまたネタにもできるだろう。
30日、ポレポレ東中野「愛のゆくえ(仮)」の最終上映日、ラスト2の上映はなかなかの入り具合だったそう、久々に客席で観た愛仮はこれまでとはまったく違う印象、ようやく自分自身と映画との適切な距離感を得られたのかもしれない、打ち上げで録音部・近藤くんと愛仮の話をたくさんした、スタッフが皆にこやかな顔だった、「へばの」桑原Pもいた、手打ちの儀式で治まったカズPと花咲くんのおずおずした信頼の交換が見られた、文洋とは話さなかったが慈しみの微笑みが溢れていた、酔ってカズPに泣きながら打ち明け話、始発待ちの皆と別れて徒歩帰宅。
大晦日、洗濯機回して犬と散歩、雑煮を作って読書、年の瀬の挨拶をするほど気持ちが区切れていない、本にも集中できず、といって思考にも流れず、珍しくモヤモヤ思い煩うこともなく、眠る犬を眺めるうちに眠り、寝付かれて目覚め、満腹して眠り、ただただ静かに「居る」ことだけの一日、いつの間にか年が変わり、ああもう新年かと思ったときには2時間も経っていて、きっと今年も目まぐるしく時間が過ぎていくんだろう予感。
今年は何も予定しない一年にしようか、現状白紙というだけのことだけれども、今日一日が終わらなければ明日が始らないという事実、身体を休めることで不意にそうした感覚が得られたことは、何か意味のあることだろうと思う、今が続くだけという感覚は何かの始まりなのか、それとも何かの終わりなのか、すべきことがなくなったわけではないけれど、お金のために働くとか公演のために稽古するとか、そうした単純な何かしらの目的を持って今を過ごすということから解放されたような、不思議に凪いだ感覚、何もせずにいられる、何も考えずに過ごせることが、これまであっただろうか。
穏やかな一年でありますように。映画
「愛のゆくえ(仮)」、大阪シネ・ヌーヴォでは1/2から1/11まで。
次いで1/19から2/1京都みなみ会館、1/26から2/6名古屋シネマテークと上映が続きます。
関西の皆さん、どうぞよろしく。
- 2013/01/01(火) 02:47:54|
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