仕事部屋

不感症の恍惚。

ぼやぼやのうちに月が変わるのは毎度だが淡々と過ごしてもこれほど忙しく日がめくれるものなんだなあと新鮮、何事もない日々が曜日や月の感覚を麻痺させるのか昨日と思った日はもう何ヶ月かの昔でずっと先のことと思っていたことが寝て起きての延長にある、いつも通りの不安といつも通りの焦燥、解消しようのない問題の数々もただ馴染んでもはや何事でもない。

人に会ったり何かを観たりしないことでしか休めないとようやく思い知ってこの頃は少しだけ休むのが巧くなった、きちんと休まないと何もできないことが先に判って、休まなきゃという重圧に悶々と過ごしてきたけれど、どうしたら休まるのかを真面目に考えた成果としてオンとオフのスイッチをやっと探り当てた感じ。

身体と頭を休めていると心がきちんと働くような気がする、感情をうまく認識できないのは性格ではなくて脳の障害なのだそうだけど、悲しむとか怒るとかの負担の大きな感情ほど自分のそれを認識できず、出来事を反芻して筋道を通した結果の「ココは腹を立てるところ」「ココは悲しむところ」という理解に辿り着く、子どもの頃からずっとそうだったけれど、怒りと哀しみの感情の欠落がこの数年はより顕著になっている。

自分の心の針が振れていてもその目盛りが読めない、悲しむことを最初に捨てて次に怒ることを捨てたんだと思うけど、出来事の筋道を解釈する形でしか自分の感情がわからない、演じるときには筋道がはっきりしているから日常よりずっと楽に感情を作れる、つまり私にとっては日常のそれも演技でのそれも常に感情は「その場に相応しいものを作る」のが最初で、演技であればそれを見せるし日常では見せない。

という話を医者にしたら「感情を作る」という感覚がそもそも違っているのだと言う、「感じませんか」「感じません、いや、感じているのかもしれないけれど、自分で何を感じているのかがわからない」云々の会話、他人はそうじゃないということを懇々と説かれ、健全な人にとっての感情は「筋道に合わせて作るもの」ではないと知った衝撃、どおりで皆筋道が通らないことを言うと納得もしたけれど。

もちろん子どもの頃よりはずっと感情のあるフリが巧くなったはずで、怒ったり泣いたりのバリエーションが増えている、但し反射反応でのそれは未だにない、出来事があって何やらモヤモヤするものがあってじっくり筋道を考えて出来事の解釈が通って初めて「腹を立てる」とか「悲しむ」とかの的が見える、そこに向けて自分の感情を作っていくわけで、スムースにいけば一晩だけど三日三晩かかることもあれば一ヶ月経ってもまだ出来事の筋道が理解できずに充てが見つからないこともあり、目指すべき感情がわからないままの出来事は結局忘れてしまう。

不意に泪が出ることがある、その時には大概理由も原因もない、膀胱がいっぱいになるのと同じようにただ漏れるのに近い、もちろんそんなはずはなくてきっと何か心が動いて感じ取るからそうなるのだろうけれど、自分が何をどう感じてそうなるのかが、その時にはまずわからないし、そして実際にそのトリガーが他人とは大きくズレていたりもする。

こういうところを「不感症のくせに」と一発で見抜いたのは後にも先にも師匠だけだった、言われた当時は自覚がなかったから「こんなに繊細な私をそう呼ぶのは何故だろう」と疑問だったけれど、理屈で後付けした感情しか持てない資質は若さの欠点と見逃してくれていたのかもしれない、思えば私に充て書いたあの少女はまったくの不感症だった、いつから見抜かれていたのか。

面白いことや楽しいことは人の顔に映るから視て判る、心の負担や不快な感情は多くの場合押し殺され隠されるからそれがそうだと判らない、だが恐怖や怯えだけはすぐにわかる、わかることには過剰に反応する、私は鬼ごっこやかくれんぼが怖い、ただの追いかけっこも怖い、人の感情が怖い。

こうした不全を性格と思っているうちは開き直れたけれど障害の一種と言われれば俄然問題意識が高くなる、ある程度は薬で調整することもできるそうだけど自分のことを自分でコントロールできないのはやはり怖い、これは自分の性格だと思っていたこれまでだって誰に教わるでもなく解釈から感情を作り上げ演じるという方法を自然と身につけておっかなびっくりながら世の中に関わってきた。

盲人が点字を学ぶのと同じで、私は小説の描写や映画や演劇の演技や生身の人々の様子から感情を学ぶ、ところが学ぶという意識のせいかそれらすべてが面白く思える、自分に向けられるそれに真っ直ぐな反応ができない、誰かが私に対して怒ったり泣いたりすることがあっても、その理由やそれがどれだけ負担なのかはさっぱり検討がつかず、ただそこに見える感情が興味深い。

子どもの頃、父を激怒させたことがあったけれど、記憶しているのはその時の父の表情や動作や台詞ばかりで、それを自分が怖かったとか悲しかったとか感じた記憶がない、その頃からそうだったからそういうものだと思って大人になった、そこが「何か違ってる」とはまったく気がつかないままだった。

演じるときにはすんなり気持ちが動く、筋道に沿った感情も筋道から外れた感情も必要と思うものを作れるし見せられる、台本があることや稽古する時間があるのは大きな理由だけれど、エチュードでもできるんだからその出来事が起きる時間が限られているからできることなのかもしれない、永らく自分の不全に気付かずにいたのは演じる時間があってその中ではまるで健全に心を動かしていたからだろう。

20代の私を診察した医者は「アイデンティティが出来上がるより先に演じる技術を身につけてしまって、演じることで周囲と関わってきたから、もし演じることをやめたらアイデンティティのない幼児のままに社会と関わることになる」と言われた、それが最近になってようやくどういうことか理解できた。

演じる私に嫌気がさして、そもそも「私」なんてものは幻想だと吹っ切ったつもりになっていた、「私」という自意識が自分を苦しめているのだと思った、すべては意識の問題で表面的なところに問題があるとは少しも思っていなかった、その時に問題だと思っていた「私」という自意識の在り方は多分正しかったのだと思うけど、そもそも大した苦しみもなく自意識の在り方を変えてしまえることに問題があるんじゃ?ってことで。

それ以前に感情処理ができないことのデメリットはなんだろう、人と関わることにもの凄く労力が必要だしこの先もトラブルは避けられないだろうけれど、悲しんだり腹を立てたりせずに生きていく方が楽じゃないか、少なくとも私自身は他人の感情にはできるだけ触れたくない、だからほんとにしんどい時は小説も読まないし映画や芝居も観ない、大体観ていてもそこで演じられている人物の感情がわからないわけで。

こうやってワカラナイって言うと共感できないとか理解できないとか想像できないの否定的な主張に捉えられ勝ちなのだけど、私の場合のワカラナイは真実得体が知れない「未知」だから、何故何が判らないのかと追及されると大変に具合が悪い、それは感情的反応ですか?思考の伝達ですか?本能の発露ですか?というところから教わりたい、自分にないものだから他人のそれは尚更にわからないというだけなのだけど。

無神経とも性格が悪いともキチガイとも言われてほんとだよなあと常々思う、思うだけで不快がない、不快がないから反省もない、反省がなければ繰り返す、繰り返すからまた同じことを言われる、しかし何度言われてもほんとにそうだなあという理解から先がない、その代わり謝ることだけはちゃんと覚えた。

このタイプの障害を持つ人の多くはやはり自分のそうした不全を障害と思っていないままの人が多くて「どうしてこんなに生きづらいのか」と悩み抜くんだそうで、芸事の世界でなければきっと私も悩んだんだろう、要因への誤解はあっても開き直りの早かった私はまったくお気楽だったし今も自分の不全に対して悩んだり苦しんだりはしていないし仕事にも日常にも然程差し障りがない、今のところ差し障っていると自覚できるのは近しいところでの人間関係だけだ。

私に理解や共感を求める人は大概がとても感情豊かな人で、無神経な私に腹を立てて泣いたり喚いたり拗ねたりするその人たちに、色んなことが感じられていいなあと羨ましいような、自分がそういう状態にならないことに安堵するような、そんな曖昧なことしか感じられない、「怒るのは傷ついた人のすることだ」と教わったことがあるからそれはそうとわかるけど、その気持ちがわかるかと言われると正直まったく不可解で物事の筋道を理屈で解釈した先に「それは怒るところ」と飲み込むだけなので、筋道の通らない感情的な反応に対してはお手上げになる。

理解に至らず突き放されるのも理解を求めずそこを離れるのも私にとっては違いがない、会社をクビになるのと自分から退職届を出すのとでは怒りの感情の行く先が違うから意味が違ってくるのだろうがその感情がなければ仕事をやめるという行為そのものの意味に違いはないだろうと思う、理解されることはなかろうと思うからできるだけ人と関わらないようにと配慮する、努力する姿勢だけならば他にも手段はあるだろうが、結果が出せる努力をしようと思うとそれしかない、性格だろうが障害だろうが自分自身が持っているやり方の一つには違いないのだし。



  1. 2013/07/17(水) 03:01:08|
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<<いっそ失う。

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