仕事部屋

新しい絶望。

生きることについて考えていた、正しくは生きるために必要なお金のことについてだけど、昨年末に入院したときには保険の類いに入っていなかったから考えなくちゃなあとは思っていて、目についたものの資料請求だけはしてあった、犬の保険もある、死ぬときには借金の清算と葬式代、つまり生きていたあれこれの後片付けにかかる費用くらいは遺したい、けれども本当にお金が必要になるのは死んでからじゃなくて生きてるときなわけで、働けないのに死に損なってまだまだ生きなきゃってときの保証枠のなんと心許ないことか、ほんの10日の入院でも日雇い自由業には大変な痛手で、まだ当分死にゃしないのに旧友たちが身を削って援助してくれたのだった、それすら返せないまま死んだときの心配もないものだけど、秋に予定されていた手術はキャンセルしてしまったので次に倒れたら今度こそざっくりやられるに違いない、すんなり諦められるほど老いたわけでもなく克服する気力が湧くほど若くもない、先が見えない中途なところにいるから余計に身体は朽ちるままでも良い気がする、健康でいたいと望む理由をまた一つ失って、やはり生きようと考えるより終わりに向かっていくことの方が穏やかでいられると判る、終わりを目指して20年30年ぐずぐずと生きるなら、その道のりでまたうんざりして生きようと思うのかもしれない、死を考えることも生きることの一つの在り方ではあるだろう、飲み屋で居合わせた顔見知りのおじさんが「俺、拳銃持ってるんだ」と嬉しそうに言っていたっけ、「だからいつでも死ねるんだ」とそれは得意げな顔だった、もう10年以上昔のことだけどその人が死んだという話はまだ聞いていない、いつでも死ねるのにまだ生きてるなんてとても贅沢なことだ、いつ死んでもいいと思えるほどの充足はないけれど拳銃が欲しいとも思わない私は、もしかしたら意外と早めに死ねるかもしれないという可能性だけが生きる希望になりつつあって、それは「いろいろ落ち着いたら連絡するから」と言う人を待つ時間と似ていると思う。

  1. 2013/10/10(木) 18:11:29|
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