仕事部屋

日々さえあれば。

小説作業をもうひと月以上サボっている。

身辺のがたがたが落ち着いたと思ったら、深酒被害でタクシーの運転手に財布から有り金をごっそり抜かれるという年末恒例の失態に加え、唯一の定収入だった夜勤バイトの契約が予告なく終了で泣きっ面に蜂、夜勤バイトは新規を紹介されるもうまく条件が折り合わない、新しいバイトを探そうとしたらコーチングのスケジュールがなかなか定まらずで目処が立たない、正月の餅どころか明日の交通費を心配する日々がここにきて2週間、その間にもユニオン関係者や友人たちの公演やら試写やらが続いて、今年は穏やかな年末を迎えられるつもりだったのにやっぱりあれこれが落ち着かない。

それでも不思議と凹まなかった。
公演案内に予定はしてたけど大金欠でと泣き言を返したら「招待するから」と言って貰って見逃さずに済んだ芝居の予想以上の面白さもあったし、永らくバイトが決まらなかった時期に反省した自分の社会性のなさを受け入れていたこともあったし、半年ほどの安定した生活の中で身に付いた暮らし方の成果もあり、変な悲観も悲嘆もなくむしろのんびりとした時間を過ごして、ぼちぼち不安が湧きそうだなあという頃に一件だけ応募したバイトが無事に決まった。

生活不安が張り付いていては何もできない。
小説の仕事が途切れての数年ここぞとばかりに芝居をやってきたものの、返していない借金を数え上げながらもう生きることを生真面目に考える年齢なのだと自覚したら、普通のことがちゃんとできていない自分に気がついて、まだまだやったことのないことがあると意気込んで、家賃の安い部屋に引越をして、生活費を賄うためのアルバイトを探して、ようやく落ち着いてきたなあと思ったらまた初めからやり直しになった訳だが、それでも気持ちが萎えないことが何よりの成長だと手前味噌に思う。

これから先、自分が何をやっていけばいいのか未だわからない。
わからないけれど、日々があるから大丈夫だと思えるようになった。
普通のことをちゃんとやってきた時間の方が少ない人生だから、これからは普通のことをちゃんとやれるようになろうと、それだけを思う。
予定していた手術をキャンセルして検査もサボりがちだけれど体調は悪くないし、来年はまた芝居がある。
初舞台から40年、考えてみたら40年も一つのことに執着してきたのだから生きることに執着できないはずがない。

自分にできることだけをやって、それがお金になって、足りなければどこかで借りて、自分にできることだけをやり続けるという生き方を愉しんできたけれど、気付けば色んなことが負い目になっていた。
働けない自分、返せない自分、芝居をやれない自分、小説を書けない自分、暮らせない自分、健康じゃない自分、と「自分らしさ」と信じていたことが丸ごと負い目になってようやく、最後の最後に「そういうことを負い目に感じる自分」にだけ何かの可能性があるような気がして、前川麻子じゃない自分を志すことにした。

そういえば、20年くらい前にも似たようなことを志したと思い出す。
自分が思う「自分」なんてものは存在しない、人が見た「自分」だけがあると気付かされたのがその頃で、その頃にはまだ演じるということに捉われていたので「自分らしくあること」を重要なことだと思っていたから、そんなものはないと気付くことはとても大きな転換点だったと思う。
それから小説を書くようになって、また同じ壁が視えたときにも答えがわかっていながら足掻いたけれど、結局のところ今の今まで、自分が生きることについては真摯になれずにいたような気がする。

どう芝居をやるか、どう小説を書くかについてはバカになるほど考えてきたけれど、どう生きるかを考えてこなかった。今もまだ突き詰めて考えているわけではないけれど、それでも少しはそこんとこ考えなくちゃいかんだろとは思うし、まいっかと思いながらどう生きるかに捉われ続けていたりもする。

そして多分それは理屈でどうこう語ることじゃなく、ただ日々を過ごすことの先にしかない、もやもやとした意識の世界なんじゃないかしらと想像する。
振り返る数々の思い出とか、後悔とか、いつまでも手放せない夢とか、たくさんの人への感謝とか、死ぬ間際に走馬灯のように感じることができるという、そうした類いのあれだけが「生きるってこういうことだ」と実感できるものなんじゃないかと想像する。

そんなことを想像するようになったのは、もう私が晩年に差し掛かったからなのか。
そんなバカな。
わかったふうに諦めて死ぬより、生きるってなんなんだ、人生ってなんなんだと悩み踠きながらジタバタ死にたい。

だからやっぱり黙々日々を過ごす。




映画「愛のゆくえ(仮)」上映会ファイナル 
★12月18日(水) 18:30~ @東中野・ポレポレ坐  

上映会ファイナルは高橋Pのスピリチュアルが培われた井土紀州監督作品「百年の絶唱」との併映。
映画一揆イベントで観たのは2年くらい前だったか、井土紀州が何故井土紀州なのかを知った作品。
あの頃は高橋Pとの蜜月で映画のことも芝居のことも飽きずに何時間でも喋ってた。

「愛のゆくえ(仮)」、撮影は去年の5月で東京国際映画祭でのプレミア上映を経て公開が11月、もう随分昔のことのように思えるけど、ついこないだなんだなあ。
一ヶ月ほど映画館にかかった後に各地を回って、とうとう衛星劇場でも流れたけど、映画館での上映が終わった頃からちんまり始った上映会も6回目のこれが最終。
上映はこれにてしばらく封印らしい、DVDにもならないし上映予定もないそうなので、お見逃しの方は是非。
またいつかまでサヨウナラ。

詳細はコチラ


  1. 2013/12/17(火) 19:22:53|
  2. 雑感
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