仕事部屋

怠けもの。

緊急手術から20日、中野での芝居が終わって2日後に診察があり、切除した「なくていいもの」にひとまず悪性の初見は見当たらないとの説明、「ひとまず」ってことは今後どうなるかわからないってことで、なくていいものは全部取ったはずだけど再発の可能性も否定できないってことだわねと合点するも明確には言ってくれない、医者というのは言葉遣いが大切な仕事だなあと入院中からしみじみ感じていたが、一方で断言する医者を信用できないのも事実。

今回の手術の原因は2年前に腹膜炎で緊急入院したときに見つかっていて、その病院の主治医がびっくりするくらいに優しくて説明も丁寧だったことを今になって思い出した、その時には詳細な検査ができていなかったのにも拘らず主治医はそれもきちんと説明して大学病院への転院を勧め、私の自宅から通い易いいくつかの大学病院を挙げて「ここには僕の知り合いがいる」「ここの先生の技術は信頼できる」などの説明を添え、希望した病院への紹介状を書いてくれたのだが、転院先では検査をしただけで手術の予約をキャンセルし、結局救急で運ばれた病院での手術になってしまったからなんだか申し訳ない。

詳細の検査をしていないから確実な診断ではないがと前置きしつつ想定される最悪の症状〜幸運な場合の症状、手術すべき理由、手術の方法に種類があること、それぞれのメリット・デメリット、なぜその手術をこの病院ではやらないのか、などの説明は、最初の主治医が言った通りで、その後どこの病院でもそれ以上のことは言われていない、中でも忘れられないのは高齢だったその主治医がわざわざベッドまで来てくれて絵を描いて手術法を説明しながら「僕の娘もあなたと同世代ですが、もし僕の娘があなたの状態であれば、僕は強くこちらの手術法を勧めます」と親身なアドバイスをしてくれたことで、結果緊急手術では他に選択肢もなくその主治医が勧めた通りの術法になった。

選択肢がある状況だったら私はどうしていただろう、親身で有り難いなあと思いはしても自分にとっての目先のメリットを択んだかもしれない、ともあれ自宅で休養している今もあの時の主治医の診断を反芻して思い起こし、その通りであることが一番の安心の種になっている、無礼ながら顔も名前も覚えていないが、私にとっては一番の主治医であった。

あれこれの持病で何度か大きな病院への通院経験がある、紹介状を書いてもらった大学病院も救急で運ばれた大学病院も取り立てての不満はない、そこそこに親身でそこそこに事務的でそれなりの技術と信頼がおけて、言うなれば文句のつけどころがないわけだが、薄情なことに殊更素晴らしいと感謝する気持ちも湧かない、いやそりゃ数多ある医療事故や誤診などのことを考えればまともな処置をしてもらえたことは有り難く、きっと医者なりの経験と知恵と工夫によってよりよい処置を施してくれており、そこそこの親身であっても受け取る側として誠実な感謝を向けるべきとは思うのに、なんというか「はあ、そうですか」というようなぼんやりしたそれでしかないのは、私の性格がひねくれているせいか。

ともあれ、日々できることが増え、いつもの4割程度で掃除や買い出しができるのは順調な回復に違いない、バイト先からも4割程度に削減されたシフトが送られてきた、時給で働いているから勤務日数が減るのは生活に直撃で大層に困るのだがまずは出勤してやるべきことができる状態を確認してからの交渉、状況次第ではしばらく休んでいたコーチングの現場にも戻らねばならないが、こちらはメインのバイトより体力的にしんどいのが判っているので当面はお休みということにしてもらっている、単発のバイトをアクティブに複数こなせるほどの要領と体力がない以上、やはりバイト先に縋るしかない。

数年前から保険に入れと煩く言われていたのをずっと放置していたから医療費にはいつも頭を悩まされる、今回もそろそろバイトの収入が安定してきたことだしちゃんと保険に入らなくちゃなあと思いつつ資料を検討している最中だった、文藝家協会の紹介で入った保険も月々の保険料が負担になって解約してしまったし、ペット保険も同様だった、きちんと続けられないものに加入しても意味がないのだがいざという時のことを考えると保障が充分でないものに加入するのもやはり意味がないように思えて惑わされる、実際に「いざ」を経験するとわずかにでも保障があればその分助かるのだと痛感するから、むしろ今こそ妥当な選択ができるのかもしれない。

4割程度の労働で生活していくこと、保険のこと、延期した企画の立て直しのことなどを断続的に考えてはいても、身体を休める日々では頭もついつい休んでしまうものらしく何一つ確信ある判断ができない、ベッドに食事トレイを持ち込んで映画のDVDをひたすらに観続け、合間にブツブツと呟きを投稿することでかろうじて世の中につながっている、癒着を防ぐ為に軽い運動をするよう言われているので日に1〜2度は外に出るが、ご近所以上の距離を歩くことがまだしんどいので老犬に引っ張られるように散歩する程度、芝居をやらずにいる間にはちゃんと小説を書こうと決めたはいいが現状いくらでも机に向かう時間があるのに一向に机の前には座らずに過ごしていて、自分がただの怠け者になったように思えてしょうがない、退院したときには一番の悦びだった日々の自炊も買出しできる距離が制限されているせいか簡単に済ませてしまうし、許可が出ていないのをいいことに3日程度は入浴しなくても平気で、時々は洗顔すらサボる。

といって気持ちが落ち込んでいるとか無気力になっているとかの自覚はなくむしろ低め安定を保っている、2年前の入院ではそれほど親身で頼れる主治医がいたにも拘らず毎夜泪が零れたが今回は手術の直後ですら落ち込みは感じなかった、この無根拠な楽観は手術のときに受けた輸血の効果なんじゃないか、ものすごく前向きで健全なヒトの血液が輸血されたんじゃないか。

休暇と思えば観たい映画もライブも芝居も山ほどあるのにどこにも出かけられないし、酸素マスクを固定したテープにかぶれて顎にいくつも瘡蓋ができているから化粧もできないし3日も風呂に入らず過ごしているうちはヒトに会う気にもならない、無理矢理にベッドを出て活動してもせいぜい2時間が限度で、傷が痛いとか身体がしんどいとかの理由を自覚する前に気づけばベッドに戻っている始末、因みに切り取った「なくていいもの」はキャベツ大と鶏卵大の2つで、身体の中にその分だけ隙間ができたせいか落ち着かない感じがある、ベッドに横たわっていても眠るわけでもなく、もぞもぞと集中しないままに本を読んだり垂れ流しのようにDVDを観たりひたすらにGoogle先生に問いかけ続けたり、やっぱり休んでいるというよりは怠けてる感覚、世の中が連休だから怠けていても誰にも文句を言われないのが気楽ではあるが。

しかしよくよく考えるとこの数年はやたらと病院の世話になっている、急性肺炎で1週間の入院、転倒による頭部裂傷の外科処置、腹膜炎で10日の入院、定期検査、緊急手術、それでもまだ自分は健康だと思っているのは間違っているんだろう、とは思えどどうにも自分が病身であると思えない、身体のなんやかんやよりウツ症状が出てた頃やパニック発作を起こしてた頃の方がずっと病気の自覚があった、しかもそれらは自分にとって明らかに「なくていいもの」なのにも拘らず外科処置で切り取ることができないから一生このままなのかと絶望もひとしおだった、ある程度の身体の痛みは気力で乗り越えられるけど心の痛みを体力で乗り越えることはできない、もちろん痛いものは痛いしいっそ殺してくれと叫ぶくらい辛い、治らない痛みを抱え続けているヒトもいるから無神経な言い方かもしれないが、少なくとも私にとって、身体の病気や怪我は心を病むことよりずっとマシだと思える、健全な血液を輸血されたお陰での能天気な楽観は、きっとご褒美なんだろう。

今週は自宅で一件打ち合わせがあるがバイト出勤は来週以降、まだ当分は怠けものでしかいられない。



  1. 2014/05/01(木) 00:03:46|
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