仕事部屋

赤い痕。

今月はなんの義理も果たせぬまま大人しく過ごしていたので手術の傷は順調に回復、とうとう今日は「小走り」を達成、来週には卓球くらいできるんじゃないかと思うのだが、痛み止めの副作用で蕁麻疹と胃腸の荒れが著しく、飲んでもいつもの酒量の半分も受け付けず、吐いて泣く。

ハタチの頃に猫を二匹飼っていた、名前は「水分」と「ペンク」、自由に外を出入りさせていたので夏になるとノミが大量に発生し、若い肌が無惨なことになった、体質なのか未だにノミ食いの痕が消えない、メリエスのプロデューサーに「胸はないけど脚は綺麗だから」と言われて牝をやったのに、あの脚はもうあの映画にしか残っていない。

女性作家の書く恋愛小説を数冊読んで、自分はこういうことに余り興味がないんだろうと思った、そういえば恋愛小説を読み耽ったことがないと思い返し、興味がないのは年齢や生活のせいではなく、資質なんだろうとも思う、生身の恋愛は身近にあって興味の対象はその時にそこにいる人そのものなので、映画や小説で描かれるところの恋愛は他人事でしかなく、共感も理解も及ばない。

恋愛小説を書くつもりがエロ小説になり、家族の話になる、見つめていたい人がいるとして見つめ続けていればエロいことになったり家族になったりするそのままにそうとしか書けない、恋愛の苦しさや甘さにはとんと鈍くて、現実のデートで優しくされてもその場では判らずに、後から反芻して「あらスイートだわね」と思い出し笑いになる。

牝を撮影してた時、私は加藤さんと付き合っていたけれど、今あの頃を思い出しても甘い記憶や苦しい記憶はすべて映画の中の出来事で、現実での私たちには何もなかったようにすら思う、喧嘩した記憶はあるけれど、それはもうちょっと後のことで、嫉妬する目を見て胸が苦しくなったのはあの場面だし、優しくしてもらってぽーっとなったのはあの場面だしと、やはり現実のそれではない。

待ち合わせの時間にうっかり遅れた私を待っていてくれること、行きたかったところに誘い出してくれること、自分の行きたいところを要求してくれること、それぞれの帰り道に交わすメールでの「ありがとう」だったり「楽しかった」だったりなんかで私などは充分に満たされて、「好き」ってことを伝え忘れたりすることもあるし、相手にそれを言わせて確かめようと思うことがない。

そんなこと言葉で確かめたらそれだけで終わってしまってつまらないと思うから、いちいち相手の表情や気配や言葉の選び方から探り出すのが楽しい、犬や猫を相手にするのと同じことだろうし、そもそも人の気持ちなんて絶対じゃなくて、ことによってはお天気一つで変わると思うから、言葉があったとしても「そう言いたかった」その気持ちだけを自分に残す。

おためごかしやお愛想や社交辞令の類いをいちいち真に受ける性質だから、余計に受け取る言葉とは別の部分で別のものを捉えるようになったのかもしれないし、今のバイト先があらゆる人種と顔を合わせる仕事なのでよりそういう傾向が強まっているのかもしれない、それとも痛い言葉を受け止めたくない頑固さか、自分がたくさん嘘をついてきたからか。

おめでたいことに、私にわかるのは「この人、私のことがとても好きなんだなあ」ということばかりで、嫌われていることは「かもしれない」くらいにしか思わない、あの時どんなことを言われたとか何を言ってどう言い返されたとかはすぐに忘れて、目だけが残ったり、近寄れない空気だけを感じたりする。

それは、演技の方法によく似ていると思う、決まった台詞だけをやり取りするから言葉の意味など大して重要ではなく、その中身にある「思い」のやり取りをするその感覚に近い、私たちはいつも饒舌でどんな話題も共有するけれど、お互いにそれらの会話はすぐに忘れてしまって、やり取りした「思い」だけを大切に仕舞い込む。

思い違いや行き違いも無論あるのだけれど、思い違いや行き違いの答え合わせをして確かめる必要もなくなるくらい過ごす時間が重なればいい、確かでなければならないことなど本当はないんじゃないかと思っていて、その結果、ずっと片想いだと思いながらデートしていた人から後々に「付き合ってるつもりだった」と言われた失態もある、それこそスイートな記憶だ。

現実の加藤さんと過ごした時間で思い出すのは、洗面所の水垢を綺麗にしろと言われたこと、花見は今日でなくちゃダメなんだと怒ってたこと、真夜中に模様替えをし始めスチールの本棚を床に倒して「これでいい」と言ってデビット・ボウイを聴きながらベッドの上で踊っていたこと。

息苦しいほどの情熱、などではなかった。
スイートな恋、でもない。

ノミ食いの傷跡のように、あちこちに残ってるそれを、時々思い出す。

牝のクランクイン前に撮った宣材写真に写ってる私は加藤さんに貰ったセーターを着ていて、それからも永らく大切に着ていたけれど、いつだったかうっかり乾燥機にかけて縮ませてしまった、着られなくなったセーターは棄ててしまった。

彼女も、そんなふうにあの人を思い出すのだろうと思う。

日本劇団協議会+流山児事務所「阿部定の犬」公演で、アフタートークに参加します。
公演は6月7日から22日まで@Space早稲田、黒テント68/71時代に書かれた佐藤信の「喜劇昭和の世界」三部作の第一部を、若手演出家コンクール2003で最優秀賞を受賞した西沢栄治が演出、流山児祥・龍昇らが出演。
私が参加するアフタートークは6月12日(木)の終演後です。
詳細はこちら


「仮の事情」は目下こそこそと仕切り直し中、阿部定祭りになるはずが私の事情でバラけてしまったけれど、トークの日には鵺的の阿部定二本立て「毒婦二景」が初日、こちらは6月12日から23日まで@下北沢・小劇場楽園

女優の多くは阿部定を演じたがるらしいが、佐藤信戯曲「阿部定の犬」は時代を、鵺的・高木登戯曲は女を(捉えどころがないから2本になったんじゃないのか)、今のところ冒頭25枚が書き上がっている佃戯曲は人生を、書くんだろうと予測する、定は晩年に事件のことを「バカバカしいことしちゃった」と言った、私は、定の脚にもあったかもしれないノミ食いの赤い疵痕をやろうと決めている。










  1. 2014/05/30(金) 23:30:06|
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