仕事部屋

初夏のひと。

身体が資本だからと復帰してシフトが減らされていたバイト生活も2ヶ月を無事に過ごして今月からは夜勤がメイン、退院後丸一ヶ月働かずにいて復帰しても2ヶ月は様子見モードだったけど家賃だって食費だって出ていくものは通常通りなわけで、せっかく安定し始めていた経済事情もまた立て直さなければならない、倒れるときは一瞬なのに通常運転に戻るにはこれほど時間がかかる、思えば犬の手術にしろ前回の入院にしろそういうタイミングで、これはもう一生経済的な安定には縁遠いまんま日々生きるのがやっとやっとな運命なんだろう。

ならば少しは健康に気を配らねばと煙草を変えてみたり食生活を野菜と魚中心にしてみたりの付け焼き刃、軽い煙草は物足らず本数が増えるし魚を食べ始めたら蕁麻疹が酷くなるし酒断ちが続いたら久々の飲酒でグロッキーになるしでまったくの裏目、この1年は比較的に朝型の生活で屋上日光浴が習慣になっていたけどそもそも日光アレルギーなのでこれも良くない、どうやら健康に良いことを受け付けない体質らしく不健康が一番身体に良いんじゃなかろうか。

お腹の傷の疼くような痛みや引き攣れ感はすっかりなくなって、酸素マスクを固定したテープ跡のかぶれだけなかなか治らない、ただ「激烈に痛かった」という概念だけを覚えていてどれほどの痛みなのかはもう思い出せない、頭痛や虫歯やぎっくり腰の痛さを感覚で思い出せるのは頻度で刷り込まれるからなのか、健康すなわち病気になり得るという可能性への恐怖を持たせない本能として、あれほどの痛みや苦しみはもはやすっかり印象でしかなくなった。

晴彦さんはその日も稽古場にいたという、痛かったりはしなかったのか、「主婦マリーがしたこと」で冒頭に流れるナレーションをお願いした時はまだ面識がなかった、「信の紹介だから」と引き受けて下さったのにこちらに不手際があってお会いする前から電話口でみっちり叱られた、ちゃんと叱ってくれる人だった、「ワーニャ伯父さん」では不肖の娘だったがてんで優しかった、高校受験を控えた夏休みに娘がテントのワークショップに参加させて貰った時もめっきり優しかった、戦争物を書いて欲しいと雑談したけどそれきり話は進められず、また私は見送る機会を逃している。

この季節にふいっといなくなるのが、なんとも晴彦さんらしい気がする。

若いうちからうんと年上の人たちに囲まれていたから身近な訃報も多い、逝ってしまったと聞かされた瞬間の、ふうっと現実が遠のくようなあの感覚が怖い、ずぶずぶと砂の中に頭を突っ込んでくような憂鬱が何日も残る、そのたびもがき苦しんで生きることを教えられているのだと分かる。

もう一人の晴彦さんより先に逝って追悼文の一つも書かせたいと半ば本気で思うのだがきっとそうはさせてもらえないんだろう、だけど私はもう誰も見送らないのだ、お別れはしないのだ、あの世とこの世は一跨ぎなんだからいちいち嘆くことないやとも思う。

ひと雨ごとに緑が蒼々と眩しい。
熱気に覆われるまでは涼しげな風も吹く。
いい季節に発ちましたね。






  1. 2014/07/05(土) 04:12:05|
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