〜と言う間に、よりも、〜と言う間もなく、の実感で日々が過ぎる。
働いていると日々はこれほど忙しないものなのだ。
犬は順調に回復し先日の診察で再処置の日を決めた、尤もその日の状態如何ではまた先に延ばされることもあり得るが、家での様子を見ている限りではスムースにいくだろうと思う、また切って縫うのかと思っていたが顎に入れた骨の補填剤さえしっかり定着していれば普通の抜歯処置ができるんだそうだから、処置後も前回ほどぐったりはしないんだろう。
バイト先の人員が減ったので犬の看病を理由に休むのも気がひける、それでなくともあれこれ並行させているせいで休日指定が多くそのくせいても大して役には立ってない、ただ自分だけが働く充実を味わって満足しているのだが、おかげさまでなんとか続き、それすら芝居のネタにすべく書き下し新作の打ち合わせなどもして、日々のハプニングやトラブルも観察者には愉快だ。
ACCでの小説講座もまた新シーズンが始まって、今期はプロの書き手が受講しているので余り偉そうにできなくなった、とはいえ変わらず偉そうにしているに違いないのだけど、しみじみ思うのはプロほど感想の聞き方が巧い、聞き流すにしろ受け止めるにしろ、つまらぬ反論や言い訳がないからこちらも伝えるべき感想を吟味することになる、相手がプロとわかって引っ込めたくなるような感想ははなからいらぬ感想なのだから。
やはり物の言い方はいくつになってもどこにいっても悩ましいものなのだと思う、この頃になって自分が本当に大事と思うことはまず言葉にしない性質だと知った、これまではなんでも明け透けに喋り散らし書き散らす、胸の内に何かを溜め込むことのできない性質だと思っていたけれど、それは演技の一種なのかもしれない、思えば登場人物が舞台上を去るときに必ず「言いたいことが一つも言えない」という台詞を呟く芝居を書いたのが23くらいの時だからずっとそうだったのかもしれないが、明け透けなようでいてその実言いたいことが一つも言えないような人である、というふうに見せかけているんだと思っていたから、今になって、なんだほんとにそうなんじゃんと。
但し、それは言葉にしないということであって、某かの「大事な思い」というのはそれなりに伝えているつもりがあって、その伝え方には「黙っている」ことや「当たり障りのないことを言う」ことや「祈る」ことがあって、何がどう有効かはわからないけれど、そうやって言葉の上では何も言わずにいる時にも、大事なことはちゃんとそのように動いていく。
言葉を尽くして物事を動かす人だと自分では思っていたから、なるほどこのように物事が動くことを「なるようになる」というのだなとも思ったし、言葉にしていないつもりでも言外で猛烈に自分の意思をアピールしていたんじゃないのかとも思ったし、よくよく考えてみれば最小限ではあっても言うべきことはちゃんと言ってたような気もするから本当に黙っていたのかは不確かだけれども。
ただ、自分の思うことをもうあんまり言葉にしたくないと思っていて、それはどれほど言葉を尽くしても伝え切れないと思っていたことがいつの間にかしっかり届いていると感じられたり、逆にまったく言葉がなかったところからも自分がしっかり何かを読み取れていると気づいたり、そういうことの中で自然に言葉を使わなくなっているということで、端的なことでは、いい年して絵文字だけで交信できる面白さにもなっている。
そういう状態で小説の仕事を引き受けたら間抜けなことに原稿の枚数を間違えて10枚のところを5枚で完成させたつもりになって送ってしまい、1日経ってから気づいて慌てて書き足すという失敗をやらかして、今ちょうどその足りてなかった分を書き終えたところだが、まあ小説というのは初めから自分の思いを遠ざけて行くための言葉を択んで書くものなので、状態が影響してるわけじゃなく、ただ久しぶりのフォーマットだったのでワードの原稿設定をいじって作り直したら、なんでか5枚でOKと勘違いしてしまった次第。
今月はちょっと面白い出来事があって、大きな変化なのかもしれないけど何も変わらないってことが面白い、もしくは何も変わらないのにとても強く印象が残ってるってことが、つまりは「面白い出来事があった」というそれだけなんだけど、そのことをどう面白がっているか、みたいなことはやっぱり言葉にしたくない、それを面白がっているってところが私には大事なことだから。
面白くない出来事は言葉にすることで面白くなる場合もあるから、そういうことは明け透けにしておきたいんだけどね、自分がそういう状態だから人の言葉も心情こもった言葉ほど祖末な思いに感じてしまうのはよろしくない、私にだって大事なことを精一杯の言葉に置き換えて真摯に伝えようとしたことがあったはずなのに、つまりはそうやって尽くした言葉の無力さを知ったってことなのかもしれない、エロ小説風に言えば「なんだかんだ言ったって身体は正直じゃねえか」みたいな。
忙しない日々で自炊と洗濯は趣味だとわかった、暮らしを支えるのは台所の洗い物とゴミ出しと犬の散歩、そこだけきちんとやってれば忙殺に至らず、アレヨアレヨとボヤキながらも暮らしていけるものですな。
- 2014/10/20(月) 06:05:05|
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