そもそも他人と話していて嫌な気分になることは少ないのだが、先日びっくりする体験をした、職場で取った電話の向こうの声に一瞬で鳥肌がたったのだ、会話らしい会話をしたわけでもない、入電を受けたこちらが名乗ってあちらが名乗って、担当に電話を取り次いだだけなのだが、言わば「もしもし」の一言にぞわっと怖気が奮った、電話を変わった担当も「なんかキショいよね」と共感してくれたのだが、そんな語彙では収まらない、生き地獄にいる人の声だった。
あと、声や喋り方や言葉の使い方が成田くんにそっくりな人の電話を受けたこともある、こちらはある程度声を作って応対するのだがあちらはそれどころじゃないはずだから、その人はきっと本当に成田くんみたいな声の人なのだろう、声が似ているだけで知ってる人のような気がして、うっかり軽口を言いそうになった、声というのは不思議なものだ、それとも耳という器官が不思議なのかもしれないけれど。
ここだけの話、職場にとても苦手な人が一人いて、部署も違うし名前も知らないのだけど、私はその人の声が嫌いなのだった、その人が何を喋っているかは聞きたくないので聞かないが、その声で笑う無邪気なその人は、まさか自分の声がそれほど他人を不快にさせているとは思いもしないだろうし、その人が悪いわけではないから余計始末に負えない、こないだまでは狭い職場だったので嫌でも聞こえてきたその声が広くなった今の職場では聞こえない、それだけでどれほど私の心が休まるか、無論その人は気づきもしない。
だが例えば、生き地獄の声を出す人が私の友人であったなら、私はその声に鳥肌をたてるより先に何があったのかとその人を心配するだろうし、成田くんの声を持つ人と成田くんより旧い友人であったなら成田くんのことを思い出しもしなかったかもしれず、無邪気に笑う職場の女の子と声を聞くより先に親しくなっていたらその声に微笑んでいたかもしれない、声なんてその程度のものだろう。
好みの問題には違いないけれど「耳障りのいい声」の人は実際にいるからなあ、小説を書いていた頃は編集の人と電話で話す機会が多かったから、打ち合わせに出向いて対面するまでの電話の声の印象と、対面してからの印象が重ならなくて困ることも多かった、電話で話しているときはあんなに親しげだったのに会ったら予想外に無愛想だとか、こちらが勝手なイメージを膨らませて勝手にがっかりしたりする。
どんなに流暢な対応であっても人を跳ね返すような強い声や、媚びのある作り声は耳障りがよくない、今の仕事を始めてから電話の対応をする間中ずっと笑顔でいるものだから表情が柔らかくなった、疲れているときにはいつもと同じ対応をしてもクレームになったりする、声は声だけでは作れない、コールセンターのベテランはどんなときにも落ち着いた柔らかな声で話す、電話の向こうでは胡座だったりするのも知っているけれど、あの声は頼もしくて素敵だと思う。
ひとめぼれ、というのを子どもの頃に一度だけ経験した、口を利いたことのなかった隣のクラスの男の子が初めて私に話しかけてくれたその瞬間に電気が走って恋をした、ひと目惚れってこういうことかと思ったけれど、今思い返せば目ではなく耳だったのかもしれない。
本日、亭主の誕生日、寡黙と言われる彼だが家ではひっきりなしに喋っていて、その声が私の日常になった。
- 2017/08/02(水) 01:09:33|
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