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仕事部屋

非安全保障条約。

安心感ねえ。

ほっとする気持ちって、「させられる」ものじゃなくて、自分の心のありどころなんだろうと思うけど。

普段気を取られてはいなくても、しっかり根を張っているもの。
それに気づいたときに、きっと「ほっとする」。ああ、あるな、と安らぐ心。

てことは、「ある」とわからせてくれるもの。
それが、「安心させてくれる」ものなんだろう。

なるへそね。

ありそうでなかったり、なさそうであったり、あるのかないのかわかんなかったりじゃ、確かに「ああ、あるな」と安らげない。

しかしながら。

「ある」と確かめるべきは、自分の心の中のものだ。
それがそうある、ということも重要には違いないけれど、それがそうあったとしても、「ある」と感じられない心の状態ってのも存在する。

つまるところ、安らがないのは、自分の心に根付いていたはずのそれが見つからないから。根付いているはずのものがないから、いちいち風向き次第で揺れるし、振り回される。

「安心させてくれる」とか「安心させてくれない」って、単純に「自分が安心する」とか「自分が安心しない」とかの、「できる」とか「できない」とは違うことなんじゃ。

残念なことに、あたしはまったく安心する存在ではないだろうし、むしろ安心や安全とはかけ離れた存在だと自覚している。だから、あたしの友人たちは、あたしが何かしでかすと、一応は心配してくれるのだが、「ま、ある意味マエカワさんらしくってほっとしましたけどね」と笑う。
開き直るつもりはないけれど、はなからそういう人として認識してしまえば、こんなあたしに対して何らかの「安心」を持つことだって、決して不可能ではないのになあ。

息切れしてしまうのが、そういうあたしの性質のせいだと思ってくれているうちはまだいいけれど、突き詰めて褪せた自分の心のありどころのせいだと気づいてしまったら、やっぱり続けてくのがいやんなっちゃったりするんでしょうねえ。

あたしは七歳から仕事をしてきた。
人間関係の基本は、それぞれの役割を全うすることだと思っている。
相手が何を望んでいるか、自分のどこを必要とされているか。
自分のすることが相手のどのような利益になり得るか。
自分が何をすれば役立てるのか。
その上に築かれる信頼と、尊敬。
それが、人に向くときの基本になっているし、それらを欠くことは、関わる人の怠慢に感じてしまう。

だから、何も求められないことが辛い。
私にできることがない=必要とされていないのだと感じる。
ここんところが、恋愛で足をすくわれる感覚なんだろうけど。

逆に、求められる役割がはっきりしているのは楽なのに、
その分、自分が全う出来ない自覚を持つと役不足を感じて苦しくなる。
そこんところは、結婚でつまずく大きな理由の一つなのだと思う。

ともあれ、あたしの安心感は、そこを基準にしている。
どんな状況だろうが心情だろうが、向き合ったときにそれぞれの役割を全うするという信頼と尊敬。言ってしまえば、愛情など二の次三の次でよく、人との関わりに怠慢をしない人であれば、安心する。

  「じゃあ、あたしにどうして欲しいの?」
  「どうして欲しいって言われてもねえ」
   会話はそこで途切れた。

彼は「言ったってしょうがないこと」だと思っているのかもしれないし、「そのままでいいんじゃないの」と思っているのかもしれないし、「どうせあなたには無理な注文だから」と思っているのかもしれない。けれど、まあつまりは「じゃあたしじゃなくてもいいんじゃん」と思うし「別にあたしいらないんじゃん」と思うし、「人と向き合うことサボってんじゃねえよ」とも思う。

ちょっと前までは、同じ話題でもへらへらバカみたいなこと言い合って笑っていられる可愛げがあったのに、いつの間にこんな、不毛で切実な会話ばかりになってしまったんだろう。

はっきり、淋しい関係だと感じたのに、あたしは手放さずにいる。
今だからではなく、多分、ありきたりの結末が見えるまで、あたしは彼とのつながりを手放さないでいるはずだ。
なんでだろう。追い縋られてもいないのに。

人と人は判り合えない。
だから、生涯向き合い続ける覚悟で根気よく伝え合って出来得る限りにお互いを知るか、向き合う時間を楽しむために判らないことや判って欲しいことをぐふっと飲み込んでへらへら笑っているか、どっちかがいい。判ろうとしてみせて、やっぱりわかんないやって万歳しちゃうのが一番いやだ。そうするたび、されるたび、小さな擦り傷が同じところに重なっていく気がする。

それを愛だと思えるほど、あたしは自分の心を信じていないし、恋人にも信じさせようとする気力が失われつつあるように感じられるから、尚、淋しい。

とても好きな男の子なんだけど、どうしてだか、どうもうまくいかない。
そう感じているのは、たぶん、あたしだけじゃないだろうし。


かつて付き合った若い男の子たちは、こういう感覚のときに「やっぱり合わないみたいだね、俺たち」と口にしたんだろうなあ。ひらたく言えばそういうことなのかもしれないけれど、合うから続くとか、合うから続けるってもんじゃねえだろうと思うあたしは、苦痛にも近いそれを意固地に抱き込んで地団駄を踏むしかない。

オトナってしんどいもんです。そして、そういうしんどさを思い知らせてくれる誰かに出逢うたび、その誰かをとてもとても愛おしく感じたりする。

わかりやすくてほっとできる、明るく楽しい恋は、いまどき、どこにでもある。
わざわざそうじゃないところに手を出したあたしの恋人も、結局は、オトナなんだな。

「ちくしょー、めんどくせえなあ。でも好き」って平べったさの裏っかわに、みっしりと複雑な基盤。むやみにいじってどうこうできるもんでもない。それが、オトナの恋なんですなあ。
だって、気づけば仕事だって家庭だって友達だって世の中だって、そんなふうに抱えてきてるじゃないか。そういうものが自分の内側に深々根付いていることに気づけば、今度はそこに安らぎを感じたりする。

恋人が言う「しょうがねえなあ」に、最初は傷ついていたけれど、今は違う。
だるそうに、しんどそうに、めんどくさそうにあれこれを抱え始めた恋人の「しょうがねえなあ」を心強く感じる。そういう時期に差し掛かった男の子を見物する楽しみもあるし、その一部分に関われることが嬉しい。

あと五年くらいすると、ふっと力が抜けて、目の前が拓けたりするんだろうし、そうなると不意に全部が楽しくて、それが今までの楽しみ方とはまるで違うことだと気づいて、しみじみオトナの悦びを感じられて、「なんだ、簡単なことじゃん」ってようやく身に付く図太さ。そういうところまで見ていられたらなあ。

「それまで続けるつもりかよ」って親方に言われそうだけど。

親方に新プロジェクトの気配。むふふ。体力とか気力とか経済事情とか、そんなことで動けないんだったら、いつでも別れてあげるさ。
目一杯抱えて、重たい体ひきずって、ゼエゼエ息を切らして、その割に思ってたほどのなんかにはならなくて、だけどやめられない。あたしは、そういう人が好きだ。

「こんな思いしてまで抱える意味がわからない」ってことが、その意味だったりするんだし、「こんな思いしてまで抱える価値を感じない」ってことが、その価値だったりするんだから。

7月創刊の恋愛小説誌「FEEL LOVE」に短編「アダルトチルドレン、ドントクライ」。
livedoor「ちょいマガ」読者限定で人生相談の特別期間を設定。
GW中も休まず更新のブルハは今週から「いろはにほへと」の配信。更新は連日21:00。
ブルハblogも好調。
来月は講談社文庫から「すきもの」、光文社文庫から「パレット」。
現在、ピュアフル文庫の完結編を書き足しするためシリーズ再読中で、しょっちゅう泣く。
長篇準備でマキャモン再読には、ため息、ため息。
BGMは頭の中でもずっとDriedBonitoが流れている。
  1. 2007/05/07(月) 19:55:52|
  2. 雑感
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<<デフォルトは、猿。

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