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仕事部屋

暮れる夏。

禁煙治療を終える直前にひどい風邪を引いたので夏休み後半はひたすら寝ていたが、明けて出勤してからも体調が整わず、翌週末からまた有休を使って寝込んだ、メニエールの症状だと思ってふらふらするのを放っておいたのがいけなかったらしく、医者にかかったときには熱がかなり出ていて強烈な薬をたくさん処方され、1日中眠くなるので無理に動き回ることなく治りが早い、煙草をやめると健康になるだの風邪をひきづらくなるだのはまったく当てはまらないのだ。

誕生日が過ぎてのこれくらいの季節が一番好きかもしれない、台風がくるとかこないとかでそわそわするのとか、みんなちょっと疲れてる感じがするのとか、今年はフジロックにモミーとかショウジくんとか出てたんだなあ、生涯のうちフジロックに一度は行くべきだとは思っていて、それなら今年だったんじゃないかなどと今更に思ったりもしたが、こういうのって結局「よし行こう!」と動き出す誰かが周囲にいるかいないかだけの違いなんだろう。

30も半ば過ぎてからが青春期だったのは、時間と体力と連んでた友人の行動力によってもたらされていて、いくつも年下だった彼らと出会っていなければそういう時期を得られなかったんじゃないかと思う、逆にショウジくんと10代の頃に出会っていたらかなり影響を受けてそっちに走っていたかもしれない、出会うべき人とは後からでも出会うもんだと思っているがこれから先の出会いで大きな変化が起こりうるかと考えてもきっと今の自分には余白が少ない。

芝居の人たちは皆精力的で素敵な進化を続けているのだろうけど、そういうものに触れる気力が起きないのは、この余白のなさだろうと思う。誰かが生み出す何かに触れて自分がどう受け止めるかってところの、これまでにもずっと繰り返してきたはずの新陳代謝というか呼吸というか、そういう機能が衰えているんだと思う、普通に生きていく上でなんの差し障りもない機能だから特に困ることがあるわけではないのだけど。

余白のなさで思うのは、何か生み出す人のそれがただ単にこっぱずかしい、生み出されたものがいいとか悪いとか面白いとかつまらないとか好きとか嫌いとか、そういうところにたどり着く以前に、ただひたすら歌ったり芝居したりすることを恥ずかしいと感じていて、そこに関わる人たちへの敬意や愛おしさは変わらずあるのに、なんだろうなんでかしらわからないが、ちょっとどうしようもなく恥ずかしくて、知らない人のそれはまだしも知り合いだったりするとなんだかもうほんと勘弁してというか赦してくださいという感じになる。

またいつか不意に何かに関わる機会があったりするんだろうし、そういうときにはもう全然違う感覚が生じているんだろうと思うけど、この恥ずかしさって実はすごく大切な感覚なんじゃないかとも思っていて、自分にとって当たり前だったものすべてが今は当たり前じゃなくなっていて、ジャングルで動物に育てられた子どもが人間の教育を受ける過程で生じる感覚というか、いがらしみきおの「誰でもないところからの眺め」的な、ううーん、ちょっとまだうまく言葉にできないけれど、そんなことをふんわりと考えるのにちょうどいい季節です。



IMG_4132.jpg 孫はもうたったか走る。








  1. 2019/08/28(水) 00:13:33|
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