みんな彼のことは「サクちゃん」と呼んでいたみたいだけど、私はそう呼んだことがない。
秋晴れの青空の下、斎場に入る前に、なんてことない古ぼけたアパートの軒下で、タバコを吸った。
突然の訃報で、しかも若い人のそれだと自死を疑ってしまうものだけど、彼には微塵もそういうことを考えなかった。
弟子にはこちらが見送られるとばかり思っていたし、そういう健全な印象の人だったから心の準備が何もなくて。
急性心機能不全ってつまり他にこれって原因はないけどうっかり心臓が止まっちゃいましたってことで、いなくなったことが最大の事実だから死因なんてなんでもいいのに、死因を理解することでいなくなった事実を理解しようという心の働きなのだろう、聞かれることも多いけど、搬送された救急病院で亡くなったって、それ以上のことは私も知らずにいる。
一緒にやった最初で最後が「かと万」という公演で、ホンがまとまる前にずっとワークショップをやっていて、参加人数の少ない時期だったけど、熱心で、持ち込むものが増えてきた時期だったので、やたらといちいちが面白かった。
使っていた戯曲に「ひとり踊る」という指定があって、そういうわけわかんないト書きをやるのって難しいんだよね、なんてボヤキながらの稽古で、なんなく踊ってみせた彼の、笑えるような泣けるようなあの身体の動きが忘れられない。
そういうのが生まれ落ちる瞬間に立ち会えたんだから、それだけでも充分だけど、引っ越し作業を手伝わせたりガンホ会の酒席に参加させたりもあって、その頃が一番頻繁に会っていたかな。
映画がやりたい人だったから舞台の芝居にはあんまり興味ないのかなと思っていたら全然そんなことなくて、参加する機会があれば率先して手を挙げてどこにでも飛び込んで行ける人だった。
WSに来ていたってだけではなく、いろんなところにつながっていたことを今更に思い出した。
人とのつながりを大切にできるって、やっぱり一番の才能だ。
色褪せる時間も距離もないまま付き合い自体がぽっかりと切り取られるような感覚だろうから、みんな悔しい。
これから封切られる主演作もいくつかあるらしいから、その姿だけが生き残る映画ってやっぱり特別な魔術ってことだ。
最後に見た顔も今にも寝息が聞こえてきそうな様子で、何よいい顔してんじゃんって呼びかけたくなった。
年若い身内の棺を担ぐ親族がしんどそうで、呆然と見守る私たち側に力の有り余る若手がたくさんいるのに、やっぱり順番がおかしい。
でも、横たわった彼は、いい顔だった。
ぐっときた。
込み上げたのはお別れの悲しさではなくて、いい顔を見られた感動だった。
「犀の角」が2010年てことは、わずか10年足らずの付き合いでしかなかったし、それほど深く語り合ったとか、忘れられない思い出がたくさんあるとか、彼なくして今の自分はあり得ないとか、そういうことではないけれど、
いいダンスだったなあ、あれ。
いい顔だったなあ、最後。
これからも繰り返し脳裏で再生される瞬間がある。
映像では上書きのできないものをちゃんと遺してってくれた。
漫画誕生
- 2019/09/28(土) 19:22:50|
- 雑感
-
| trackback:0
-
| comment:0