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仕事部屋

今日は稽古が定休、ちょっとだけ猶予をもらった〆切があるので気を抜けない休日だが、午前中からせっせと掃除などしてがっつり原稿作業に集中しようという構え、合間に娘のブログをまとめ読み。

娘のブログ、面白い
口にはしない物事の受け止め方に成長を感じたりの面白さもあるが、普通に文章が面白い。
16歳という自意識旺盛な年齢の割に、引いた視点を保とうという姿勢のあるあたりに好感。
小学生の頃、娘の作文を見て愕然としたこともあったが、今はもうそうした心配はなく、独自の視点と人に伝える表現を確立させたら、そこそこのコラムになるんじゃないかと贔屓目に思います。

以前、国語教室の講師としてアルバイトをしていたとき、先生方の間で言い交わされていたのは、
「文章力は水滴のようなもの」という理解。
子供の頭がお皿だか茶碗だかとして、よい文章、よい物語、正しい言葉などを、つぽーんつぽーんと一滴ずつ水滴のように垂らす。すぐには反応がない。時間がかかる。少しずつ器に水が蓄えられて、ある日突然に、溢れ出す。
この溢れ出す瞬間の、美しいこと。
幸運なことに、短い期間のアルバイトだった私も、その瞬間に立ち会う機会があって、感動いたしました。
ものすごくたくさんの本を読む子なのに、作文を書かせるとがっかりするほど語彙がない、なんてことが続いていても、揺さぶらず、振り回さずに、根気よくツポーンツポーンとやっていると、本当にある日突然、つつーと静かに言葉が溢れ出る。
それからはもう、子供自身が活き活きと、言葉を楽しむ様子を見守るだけ。
思うことが自由に表現できて、それが人に伝わる悦びを得た子供が次々に言葉を紡ぐ様子は、とても幸福な光景です。
その先、性質次第では創作に傾く。これには頭の中の妄想を象るという排泄に似た快感があるので、これを始めると性格も少し落ち着いてきたりもして、あー言葉ってのは人間にとって必要な働きなんだなーと感じさせられた。
尤も、あたしは出来の悪い講師だった。
子供が伸びるほんのちょっと先を拓いてあげるだけでいいものを、ずばずばと自分が先に刈り進んで導こうとする傲慢な講師だったから、低学年の子より、高学年の子の指導に向いていると主宰のK先生にいつも諭されていた。心がけ以前に性質のせいだろう。
今のあたしは、娘の年齢を指導するのにちょうどいいんじゃないかと思う。
もちろん、ただで指導するつもりなどさらさらないが。

大人と子供の関係って、年齢が逆行でクロスしていくんだな。
今がちょうど出会うタイミングだとすれば、この先はずれていくに違いない。
最後は、子供が大人になって、大人が子供になる。
始めに自分がいい関係を与えていれば逆転したときにもなぞってもらえるだろうけど、そうじゃなければやっぱり悪い関係も逆転してなぞられる。
子殺しの親、親殺しの子。実際にいるんだから仕方がない。やるかやられるかの選択なのかもしれないなどとも思う。
逆転してなぞられて初めて、自分がその子にとってどんな親だったのかを知るんだろう。
人生はすべてが後の祭り 笑

話を戻す。
言葉ってのは、人間の体内に自然発生する細胞というか、物質みたいなもんなんじゃないかと思ったことがある。アドレナリンが多くでちゃう体質があるように、言語物質が多くでちゃう体質ってのがあって、あたしはきっとそれだろう。
必要な物質だから欠けると病気になるし、多すぎても健康とはいえないけれど、状態によって必要な分だけが分泌されるのが基本、そんな感じ。

早くから自分のサイトを作っていた娘、最初はお絵描きファイルや猫写真ばっかりだった。
今は、読み応えのある分量で、日常を綴っている。
書き留める必要があるくらいに、日常で知ること思うこと考えることが増えたんだろう。
18禁のmixiにも出没していて、そちらの日記には、短めのトピックスを書いている。
使い分けがちゃんとできてるところなど、なかなかよろしいんじゃないだろうか。

つぽーんつぽーんと続いてくれたらいいなあ。

仔犬は、家中を行進するようになった。いつか親方に踏まれるに違いない。
  1. 2006/08/31(木) 11:11:22|
  2. 雑感
  3. | trackback:0
  4. | comment:2
<<秋晴れ。

comment

壊れております・・・

皿と水滴を用いた例え方、すごく分かり易いですね。
確かに、ひとつの言葉だけを知っていても、その言葉に関連する他の言葉を知らないと、文章として構成されない訳ですからね。
皿の中にたくさんの言葉が集まった時に自分自身が真に表現したい文章という形になるのでしょうね。
僕はきっと皿が壊れているんでしょうね・・・いつまで経っても水滴が溜まりません(笑)

麻子さんは確かに言語物質というものを多く持たれてると思います。
でも、ただ多く持っているだけではありません。
それらの言葉に血を通わせ熱さを持たせ、そして読む人の心に届かせる柔らかさというものも持っています。
目で見て心で感じたもの、そういったインプットの段階での感性という栄養剤が、言語物質の働きを活性化させているように思います。

なんて、勝手なことばかり書いて申し訳ありませんでした。

稽古、頑張って下さい!!
  1. 2006/08/31(木) 12:49:31 |
  2. URL |
  3. 赤松茂樹 #-
  4. [ edit]

赤松さま

「昨日はみんなで遊園地に行きました。」としか出来事を語れない子に「どうだった?」と聞くと、「楽しかったです。」と書き足す。それが、ある日突然に「昨日は家族みんなで遊園地に行きました。とても楽しくて、遊園地に住みたいと思いました。」などと爆発的な表現力を持つ。中には、一足飛びに小難しい形容詞を使ったり、いきなりことわざを引用したりする子もいて、面白いのです。
それまでにどんな本を読んだのか、周囲にどんな言葉を使う大人がいるのか、透けて見えるからね 笑
必然、兄弟の場合には下の子の方が早くに豊かさを見せます。
感性はフィルターになっているかも。
私は「バカ」という言葉が好きじゃないので、長らく巧く使えなかった。「ブス」とかもそう。
しかし、年を重ねて口が悪くなったせいか、この頃ぽろっと口にしていたりする。回りくどい表現をするのが面倒になってきているのかもしれません。
表現を面倒臭がっちゃ、まずいよなあ 笑
  1. 2006/09/01(金) 10:37:28 |
  2. URL |
  3. まえかわ #-
  4. [ edit]

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