康造ライブで対バンに増井くん、バンドスタイルに返り咲いて前のめりな増井くんに感動、竹内くんの楽しそうな様子も久々、デスオ君はボンゴなのにデスメタル、まっちゃんの腕が上がったのかアコギの音ぐんと良くて、期待したせいか康造は平均点、金払ってる分言うが、ユキオちゃんの出来のよろしくないステージでも届くもんは届く、平均点って最低なんじゃないか。
トンカツ屋の親父は
トンカツにはソースだと譲らない、ソースをかけねえトンカツなんざトンカツじゃねえとまで言う、うっかり「塩ありませんか」なんて言おうもんなら「冗談じゃねえ、うちにはトンカツにかける塩はねえんだ、けえっとくれ、塩まくから」とどやし付けられる、客は頑固親父めと思うだろうし親父はふざけた客だと思うだろう、怒鳴らなくたっていいでしょう、塩がないなら「
塩ありません」と張り紙しときゃいいのに、塩がないっつってんじゃねえんだ、このこんこんちきめ、塩でトンカツ食いたかったら自分ちで作れってんだ、普通出すでしょ塩くらいどこの店だって、ああそうかい、うちは普通じゃねえんだよ、ソースが嫌ならトンカツ食うなってんだ、ソースが嫌なんて言ってないじゃないですか塩ありませんかって聞いただけでしょう、いい加減にしやがれ、ねえもんはねえんだ、てな話を朝の五時まで電話で延々、お互い暇な訳じゃないだろうに。
つくづくスタイルというのは無駄なものだと思う、言えずにいたことを言う快感はあたしにはない、言えずにいることはずっと言わない方がいいに決まってる。
かくしてまた飲み込むために引きこもる時間が必要になり、そうもいかずに無理をしてしんどくなって落ち込み、落ち込んでいる状態でやることはろくな結果にならず、それをうっかり人のせいにしそうになって、飲み込まなくちゃと引きこもり。
大人の顔して慇懃無礼な奴ほど共同作業で対等に対峙するのが下手だったりする。信頼を知らない奴はヒエラルキーも信用しない。「みんなそうだ」とか「みんないっしょに」とか、「みんな」って感覚がある奴ほど、他人のことなんか欠片も信用していないのに。「無責任」と口にする奴ほど責任の在処をはき違えている。クソッタレ判り合える幻想、豚のケツ話し合い幻想。あんたの前向きは現状に満足できないってだけだし、あたしの後ろ向きは経験と責任と誇りだバカやろー。
それでも、二十歳のあたしが同じことやってたなあと思うから、そのとき相手にしてくれていた大人がしてくれていたように、あたしも飲み込む。
ああ、世の中の人がみんなあたしより大人で、あたしだけがいつも小娘でいられたらいいのに。
でなければ、若い人たちがどんどんあたしの年齢を追い越して年老いてくれたらいいのに。
若い男はもういやだ。
- 2007/08/08(水) 06:51:01|
- 雑感
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