FC2ブログ
仕事部屋

ラベルの中身。

なんでこんなにしんどいのか考えた。
単純に言えば、頭の中が常にキチガイじみた思考や感情で溢れているから、しんどい。

多分、感情や思考の向けどころがないからなんだろう。これまではいつでも隣に親方がいたから、考えることや感じたことを垂流し的に放出できていたけれど、今はそれらを全部一人で消化しなきゃならないわけで、それがいっぱいいっぱいになっているんじゃなかろうか。
そもそも、負の感情に馴れていないせいか、特に怒りを抱えられない我慢弱さがあるから、一人でいて怒りを抱えてしまったときにどすんと堪える。リアルタイムで目の前にいる相手に対しての怒りであっても、まずは飲み込む癖がついているんだなあと気づいたのもこのごろ。
消化したいと思って飲み込んでも、消化できなくて後から嘔吐する。吐き出した怒りはすでに消化液に塗れてどろどろに変質してたりするから、自分でも原型がわからなくなってたりもするし。それが数日後だったりすると、もうただただ得体の知れない不快感でしかなく、相手に向けても意味をなさない。嘔吐でぐったり体力を消耗するばかり。

演出をやっていたせいなのか、もとから自分の感情を見せることに抵抗があって、基本はロック状態なのだろうとも思う。感じないようにしていたり、感じたことは思考に直結させて感覚で捉えないようにしていたり。幼児並みに感情的で起伏が極端に激しい分、そのままにしておくとキチガイのようになってしまうからってのもある。うまく調整できないからロックしておかないと周囲を疲れさせるし、何より自分が保たない。だから芝居なんぞに走ってバランスを取っていたんだろうし。普段動かないようロックしておいて思考でストックした感情を板の上で自在に操る快感があったからやってこれたのだ。

さっきふと、暴漢に襲われる想像をしてしまった。犬を抱えていたら、マンションの入り口で後ろから口を塞がれても犬を放り出して抵抗できないなあとか、ミドリさんを犬質にとられて喉を掻っ切られたりしたらどうしようとか、そこからの連想で、目の前で子供の命を奪われる親の気持とか、どこかで戦っている兵士が味わっているだろう恐怖とか、しなくていい悲惨な想像が止まらなくなり、どうしようもなく落ち込んで一人で延々二時間ほど号泣してぐったりだ。

楽しいことを想像しても同様で、根拠のない幸福感でふわふわと舞い上がって現実が見えなくなり日常のあれこれに支障を来すし、触れ幅の大きさにぐったり体力を消耗するのは同じ。うかうかして感情が動くままにしていると、朝、管理人さんに声をかけられてなんだか嬉しかった、というそれだけのことを丸一日考えてしまうんだもの。ポットからあがる蒸気の形が面白くて一日何十回もそれだけのためにお湯を沸かしたりするんだもの。ベッドのスプリングが軋む音の微妙な違いを掴みたくて、一時間くらいベッドの上に座ってぎっちぎっち跳ねてたりするんだもの。
他人からすればばかばかしいことだろうが、あたしには笑い事ではない。自分はキチガイなんじゃないかと怖くなる。

もしや、動物ってそうなんじゃないかと思ったりもする。あーさっきの煮干しが旨かったなあと思うと、そのままずっと「煮干し旨かった、煮干し旨かった」とそれだけを思って毎日生きてるに違いない。
つまり、感情が無重力。ちょんと突くと宇宙の果てまでついーっと走ってしまって停まらない。挙げ句、動物よりたちが悪いのは、その距離だけ妄想や想像が軌跡を描き現実を凌駕するってところ。

恐らく、小説家なんて仕事をやっている人は多かれ少なかれそういう資質なんじゃなかろうかと思うけど、あたしの場合はそこに芝居向きの能力と染み付いた経験及び実感があって、それが余計めんどうな資質を構成しているんだろうと思う。なので、キチガイじみた言動で周囲に迷惑や恐怖をまき散らしていた過去を学習して、あたしの感情は長年意図的にロックされている。ま、ときどきロックが壊れてやっぱり迷惑をかけてもいるけれど。

誰かがそこにいてくれれば、ついーっと走っても行き当たるけど、それがない。一人でいるのは好きだし淋しさを感じることは殆どないけれど、心が感じることは防げないから、一人でいるときにも感情はびゅんびゅん触れているんだろうし、一人でいるとすぐにしんどくなる。つまるところ、孤独によって育まれる狂気ってのは、そういう仕組みなんだろう。無重力のしんどさは、演じるとはなんぞやを知った役者であれば共感があるだろうけど、そういえば親方すらあたしのことを「ちょっとしたキチガイ」って言ってたもんなあ。
感情に重力のある人は、どれほど孤独でも狂気には至らないのだ。ほどよい距離で自分の中に治められる重力が欲しい。

決して感情が豊かだとか感受性が鋭いだとかは思わない。豊さは、ほどよく恵まれた美しさのことだろうと思うし、鋭さは人と共有できる力強さのことだろうと思うから。
あたしの宇宙のように果てしない感情の触れ幅は、醜い。
役者としては能力であっても、役者以前に人としては無益だ。しかも、小説家になった今、それを言葉に置き換えて物語を組み立てることができなければ、ただの無駄だ。だから、ロックしとくのがデフォルト。

ああ。思えば、親方の存在は宇宙を冒険する母船だったのか。

そんなことを考え出すと、面白くなってしまって、思考が止まらない。ついっと先に走っていく無重力の感情を追う思考だから、やはり果てがないのだ。

気がつけば、明日の〆切が三本も溜まってるじゃあないか。
なにやってんだ、あたし。
  1. 2007/09/02(日) 02:29:25|
  2. 雑感
  3. | trackback:0
  4. | comment:0
<<タイトルなし

comment

contribute

display in just the manager

trackback

Trackback URL
http://workroom.jp/tb.php/209-b599e617
trackback for FC2 user