公開されている彼の日記を読んで、懐かしさが込み上げた。
小娘だったあたしが物語ることを覚えたのは、すべて彼の、あの饒舌な文章からだったのだと、今改めてまた思う。あたしは、彼から貰う手紙や、使わなくなった原稿や、使われた原稿のあちこちを再利用して、これまで物語を紡いできたんだろう。彼の発想や文体は、あたしの中で余り使われていない感覚の一部をつつくようなところがあって、スポーツブラと中学生男子のちんちんのようなそれだ。
五年に一度は近況を伝える機会があり、十年に一度くらいはお茶したり食事したりしているのだが、近い距離ではなくなってからは彼の文章に触れることもなくなった。いつしかあたしは、彼から盗んだ饒舌さをすり減らし、元来の理屈っぽさや気難しさだけを残して、あの頃の私とは異質なものになっていたのだなあ。あの頃の感覚は、ちょっと取り戻したい。
文字を読むという吸収の仕方はすごい。
覚せい剤なら経口投与と静脈注射くらいの違いがある。
この二日、R・マキャモンを読み返していた。何度も読んだ小説なのに、あっという間に物語に引き込まれ、いつか見たそれとはまた違う新しい景色が見える。そもそも好きな映画や小説は何度も繰り返し手にするたちだ。
読むうち時折、こつ、こつっと小さな石が胸の底に沈む。それが、指先で掬いあげられるくらいの砂利になると、もうじっとしていられず、本を伏せて、机に向かって、一度は落としたmacの電源を入れて、キイを叩く。
今朝眠ったのは九時過ぎだったが、そういう、いてもたってもいられない気分のときに無理矢理ベッドに潜ると、頭の中に次々と言葉が湧き出て発狂しそうになる。湧き出る言葉は、自分が考えることとはまったく違う他の何かを物語る言葉だし、時には人物が立ち現れ、くっきりした情景が浮かび、更には事件が起きるとなっては、やはり横たわってはいられない。頭の中で次々に展開されていくそれらを今すぐにも書き留めなければ、それらはたちまちのうちに消えてしまうと承知してもいる。
そのときは、耳の穴から溶け出した脳の一部が滴っているような、それ。書き写していく作業は、あたしにとって掌でそれを受けるようなものだろうか。
穴あきのオンボロでいいから文章力のバケツが欲しい。接ぎを当てながら大事に使えば、いつか漏れずにたぷたぷと貯えられるかもしれないし。
エッセイ原稿の下書きを終え、ブルハを仕上げ、作業の進捗は新連載の直しを残すのみ。
呼応というか、感応というか。
あたし、この頃勃ちが悪くなってたんだなあ。勃たなくても知恵と工夫でなんとかなっちゃう中年の夫婦生活みたい。探究心旺盛な童貞にはもう戻れないけれど、すぐ勃つちんちんは失わずにいたいもんです。
- 2007/09/24(月) 19:42:43|
- 雑感
-
| trackback:0
-
| comment:0