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仕事部屋

野暮な話。

連日旧宅の片付けに日参している親方が寄ってくれたので鶏スープで一緒に昼食、夕方からぶらぶら出かけ根津で山形の酒をひっかけてから蕎麦屋鷹匠で洋平のワンマンライブ。

言葉で何かを語ることなどできない、会話は会話のためにあるもので何かを語るものではない、などと思っていたところに、圧倒的に言葉の力を持つ歌。タマシイがあるとかないとか、立ち方がどうたらこうたら、音の素直さがあってのどうたらなど、いくら言ってもそれを語ることなどできないじゃないか、ばかばかしい。歌はどれもよかった。ウクレレだからとかギターだからとかじゃなく、言いたいことなんか何もないって嘘のつき方が好きだ。

言葉の意味に囚われるなんて、淋しいやね。言葉なんて、道具もしくは玩具だもん。無限じゃないから大事に使って当たり前だけど、万能じゃないしさ、どれだけ持っていても使いこなせなければ意味がない。
言葉にしない部分、できないところに目が届いてなんぼ。
たとえば、そこにいる人とか、その人が何を見ているかとか、どう生きてきたかとか、そんなことまで言葉で知ろうとしていたら、たちまちに全部を見失うだろうと思う。

思えばあたしは言葉を信じない人ばかりに惚れてきたなあ。言葉を信じない人の方が信用できる気がするんだもの。もちろん、言葉以上の何かをきちんと掴める触覚のある人という意味だけれど。
ああ言ったこう言った、どんな意味こんな意味、あの言い方その言い方、言葉に拘り始めると誰とも結びつけないのだと痛感するばかりで淋しくなる。

言葉を使うプロだからって、なんだ? 言葉の使い方が巧いとでも? 言葉を愛でているとでも?
そんな商売、言葉をただの道具と思わなければやれない。プロの商売道具だから手入れはするが、別に特別なものを使ってるわけじゃないんだし、言葉ってのは、その使い道に意味があるんで、言葉そのものなんてのはただの記号じゃないか。そう思ってなかったら、あたしは原稿料の出ないところにうだうだ文字を書かないだろうし、人とだって極力喋らずに生きてるだろうと思う。

言葉に囚われる人は、やっぱりすごく表面的な受け止め方に終始して本質に目が届いていないように感じる。物事の本質が見えないからこそ、それを語る言葉に囚われて、そこから物事を見ようとしているんだろうし。つまるところ言いたいのは、どーでもいいじゃん、そんなこと、ってそれだけなのにさ。

あたしは嘘はつかないけれど、ほんとのことも言わないよ。言いたいことや判って欲しいことに、言葉で説明できることなんてないからね。
テニスプレイヤーにとってラケットは商売道具だし一番の玩具だろう。ラケットがなければテニスはできないけれど、ラケットを振り回したくてテニスをするわけじゃないだろうし、ガットの張り具合なんかを考えればこの世に同じラケットを持つ人なんて二人といないだろうけど、同じラケットを持つ同士でなきゃゲームできないなんてこともない。素晴らしいゲームの後に「いいラケットですね」と言うのも腕前を無視するようで失礼だろうし、打った球が逸れたからってラケットのせいってわけじゃない。それぞれのプレイヤーが、自分の使い易いラケットを持っているって、それだけのこと。人の持ち道具を他人がとやかく批評するのは無粋なことだと思う。

レトリック、いいじゃんね。ビバ、話題の核心を混乱させるほどの比喩。GO! GO! アンチテーゼ。判り合うための会話なんて無謀なことしたくない。何の話してたんだっけってくらいに熱中できる会話、意味わかんなくなるくらい大量に溢れる言葉、そういうのを、言葉なんかなくたってちゃんと見えてる人と安心して楽しむのがいい。

ああ、ほら、プロのテニスプレイヤーには、ゲームの決まったパートナーがいるじゃん、練習用の。お互いにものすごい信頼があっての役割だと思うけど、そういうのがいいね。勝ち負けじゃないけれど必ず本気で対戦するし、癖も武器も欠点も見抜かれていて、サーブ一本で体調や心情まで読めたりする、それ。

思うことや感じること考えていることを言葉にして会話に織り交ぜるなんて、どうやったらできるんだろう。そんなの、四暗刻しか狙わない麻雀みたいじゃんか。
言葉は、思うことや感じること考えていることを伝えるための道具には、相応しくないと思う。
少なくともあたしは、そういう目的で言葉を使いたくない。

語らずに生きるのは至難の技だけど、せめて言葉を真に受けられないようもっとふざけた生き方をしていこうと、いつも思いながら、なかなかできなかったりするんだよなあ。

もっとでたらめな人生をと、切に願う秋の夜長。
ちりりりり、と虫の声。

  1. 2007/10/09(火) 01:59:29|
  2. 雑感
  3. | trackback:0
  4. | comment:1
<<おさらば。

comment

>サトさん

言葉と言葉じゃないものと、どっちが有効ってわけじゃないけれど、伝えるときにも受け取るときにも、どっちかばかりに頼ってしまうと、真ん中を見失いがちだよね。会話は会話として、コミュニケーションはコミュニケーションとして、それぞれ楽しめるといいんだけど、楽しみの他に、伝えたいとか判って欲しいとかの目的があると、またズレてくる気がします。
  1. 2007/10/09(火) 23:35:50 |
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  3. まえかわ #-
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