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仕事部屋

日曜は午後から西郷山まで散歩、生グレーハウンドに初めて遭遇、みどりさんの2.5倍くらいの大きさなのにまだ五ヶ月だって、イタグレにしといて良かったなあ、けどやっぱデカイのカッコいい、夕飯はシルバーという友人が働いている駅前の釜飯屋、縄文米で健康になった気分。

ふと気づいた。
あたしの父親は、45で死んだ。あたしは今40で、周囲には45とか50とか60とかの友人がたくさんいる。自分が三十代になったときに「早死にだったんだなあ」と気づいたけれど、昨夜は、あたしは父が30のときの子供だったんだと気づいて「おいおい、オヤジまだ子供じゃん」と思った。30じゃなー、家庭に責任とか保てなくても仕方ねえなーとか、そりゃあれこれ女も作るわなーとか、よく二つの家族を養ってたなーとか、仕事のこともそうだけど、なんだかこれまでとは違う視点で父のことを見られたような気がする。

人が生きている時間に学ぶことや気づくことは、ほんとに無限だと思う。

てことは、あたしはこのまんまでいいんだろうと。
周囲に呆れられ、迷惑をかけ、傲慢に、怠慢に、躁鬱の不安神経症的に、借金まみれに生きていっても、どうってことねえなと。そういう展開になるところが非常に身勝手なのだが、ま、そういう身勝手なあたしでいいんじゃないかと。
なんらかの才能を授かってしまったことは父から与えられた人生の課題だと思うし、それがあるせいで引き受けなければならない事柄がたくさんあったり一般的な幸福には近寄れずにいるようにも感じるけれど、背負うのはそれだけでいいじゃんね、などと開き直る気持ちに、更なる確信を持った気がする。

病床の父が、進路相談をしたあたしに送ってきた手紙の返信に、「父はもうあなたに何もしてあげられないから頼らないでください」と書かれていたことを思い出した。
それを読んだ母は「よくもこんなことを」と傷ついていたようだが、あたしは父を正直な人だと思ったし、はっきり伝えられて救われる思いだった。
まだ45の男がそんな開き直りをしてみせたのかと、愛おしい。と、今は思う。
45で止まってしまったけれど、それまでの間にはあたしの何十倍も何百倍もあれこれの物事を考えたのだろう。
何を感じ、考えたのかを知る由もないけれど、父のやり方は父にとって正しかったのだ。

思えば、「他人に迷惑をかけてはいけない」とは一度も言われたことなく育ったような気がする。「みっともないからやめなさい」とは散々言われた覚えがあるけれど。

40になったあたしも、やはり「みっともない」という感覚に特別な意味を持っている。それがあるから「みっともなくたっていいじゃん」という開き直りに辿り着いた。
しかし、「迷惑をかけてはいけない」という感覚がないあたしには「迷惑かけたっていいじゃん」という感覚もなかった。「いけない」という基準がないから「迷惑」と感じさせることが恐怖だった。それを、「みっともない」に置き換えて、なんとか折り合ってきたんだと思う。

それらを経て、「迷惑」も「みっともない」も、目糞鼻糞のような老廃物として排出し続けるしかないものなのだと諦めがついての今、迷惑をかけることもみっともないことも避けられないままだけど、あたしのやり方は、あたしにとって正しいのだと感じている。

トシを取ると、こうやって頑固になっていくんだな。

  1. 2008/03/24(月) 13:00:43|
  2. 雑感
  3. | trackback:0
  4. | comment:4
<<タイトルなし

comment

がんこちゃん。
  1. 2008/03/25(火) 03:54:19 |
  2. URL |
  3. ま #CngHFDMc
  4. [ edit]

だはは。
  1. 2008/03/25(火) 18:49:32 |
  2. URL |
  3. まえかわ #-
  4. [ edit]

「父はもうあなたに何もしてあげられないから頼らないでください」という手紙の言葉に、当時の前川先生が救われる思いがしたということに、ぼくも救われる気持ちがします。お父様と同じ立場を想像するのはおこがましいことなのですが、自分も窮乏しきったときに、身近な人に似たような断わりを言うかもしれないと思ったので。十分に責任の持てないことを保証してみせて関係がぬるく淀むより、できないことはできないときっちり決着をつけておいた方が余程いいと。そんなふうに、大人の立場にいる人にあるがままの物事の姿を示してもらえるというのは、宙ぶらりの糸を断って人が地上に立つためにはすごく大事なことだと思います。
  1. 2008/03/25(火) 20:50:15 |
  2. URL |
  3. レフ #-
  4. [ edit]

>レフさん

うん、そう。親が切ってくれないと、なかなか本当に自分の足で立つという心持ちにはならないんじゃないかと思う。
あたしは、そうなってから周囲の友人たちの大切さに気づいたりもしたし。親に甘えたり頼ったりしているつもりなど全然なかったけど、今思えば、親がいた頃と、いなくなってからの意識の違いはとても大きいと思います。
そのあたりのことを、「親」と言わずに「大人の立場にいる人」と言い換えるあたり、やはりレフさんの繊細な感覚だな。ありがとう。
  1. 2008/03/25(火) 23:16:21 |
  2. URL |
  3. まえかわ #-
  4. [ edit]

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