相変わらず、友人知人他人からの相談事メールが多い。
よって、行く宛のないまま放置していた
ブルハーツのブログを相談室にリニューアル。
相談内容はコメント投稿が原則なので、公開すればしたで他の人の意見が聞けたりもするだろうし、記事としての恋愛相談や前にやってたBBS形式の相談コーナーより、面白くできるんじゃないでしょうか。「前川さんの回答はいりません」と書いてくれればコメントしないし 笑
知人も他人も友人も、どうぞ有効にご利用ください。
小説のブルハは夏から他社で新連載の予定、ぼちぼち中身の準備ってところ。
ピュアフルの改訂もちょっと慎重に検討中なので頭を使う仕事ばかりになってしまい、ややぐったりな感じ。
お仕事モードになると、他のことあんま考えらんないみたい。
てか、不思議なことに、感性が働かないんだよね、自分の日常で。
おもしれえーと思うことは、そのときにストックしているお仕事の中身にどっかでニューロンが延びてるからそう思うんで、他のことにはまったく心が動かなくなってしまう。
自分が感じる嫌なこととかいいこととか、ウキウキもしょんぼりも、正直、どうでもいい。
勿論、人の心に対しても、参考資料にならないと思えばまったく興味が湧かない。
腹も立たないし悲しくもならないから、ウザいと思えばばっさり切り捨てる。
小説の中の出来事に対してしか頭が動いてないから、判断力もない。
ネットでわけのわからない衝動買いをばんばんしてたりする。
ここ数日で言えば、買い物に出たはずなのに買うべきものをすべて忘れて何も買わずに帰ってきたり、財布をなくしたり、ふと気づいたらオークションに十件くらい入札してたりする始末。しかし、それでもまったく動揺しない。
よく言う「心ここにあらず」って奴でしょうかね。
とっても淡々とした気持ちで日常をこなすだけ。
しかも、そのことにさしたる歓びもない。
人じゃなくなってる感じがします。
家族や弟子やごく親しい友人は、こういうとき、近寄ってこないもん 笑
けど、あたし自身はなかなか自分のモードに気づくことができなくて、うっかり自分で自分を痛めつけてしまったりする。それでも痛くも痒くも感じない。
考えてみれば、芝居の稽古中もそんな感じかもね。
痛むのは、お仕事モード→作業モードが終わって、日常に落ち着いたときなんだよなあ。
出来事なんぞはいちいち覚えてなくて、ただ無闇に孤独だったり、疲れていたり、傷ついていたりしてさ。
そりゃそうだろうとも思う。
何もないところに何かを作るんだからさ。
架空の人間の架空の人生を一通りやって、架空の出来事に自分の全感性で立ち向かって、それを言葉に変換して文章を構築し、読み手のために整理して物語に仕立て上げ、商売のために本という形に仕上げて売らなきゃならない。
しかもその先には「面白い」だの「つまんない」だの「好き」だの「嫌い」だのと一方的な評価が待ち構えていて、どう言われようがそれを一身に背負って、また明日の仕事があるかないかとびくびくし続けてるんだから。
大変な仕事だとかって以前に、これしかできない自分が呪わしいわけで。
いろいろ不便だわさ、ほんとに。
何も感じずにいた方が、人生はうまくいくやね。
楽チンだもん。
誰もいらないし、何もいらない。
そう思える瞬間は仕事モードのときだけだけど、もしかしたらそれが正解なんじゃないかと思ったりもする。日常モードのダメージが大き過ぎて、もはやどっちが自分にとっての安息なのかはわからない。
モノ作りをする人は、多かれ少なかれ、そんな感覚があるんじゃないでしょうか。
世間にキチガイと言われる所以としての、それ。
- 2008/05/21(水) 19:55:53|
- 雑感
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