編集者との打ち合わせのたび、携帯文化に備える必要性について、どんな考えがあるのかを訊いた。
多くの編集者は、携帯小説を「別物」と捉えて、「今はどんな本も厳しい」と言う。
だけど、「恋空」は百万部ですヨウ。
仕方ないと思った。あたしなんぞは下請けだ。
「携帯小説なんぞには太刀打ちできないくらい濃密な人間の内面を描きましょう」とか言われると、「はあ、そうですね、がんばります」と答えるし、実際、そこにはまだかろうじて自分の居場所が確保できるから、踏ん張る。
そのうち、売れなくても、本が出せるだけましじゃん、とすら思う。
「これはヤバい状況ですよね」という編集者はいなかった。
横書き横組みでちゃんとした文芸をやろうとか、携帯小説から生まれた作家を育てようとか、携帯小説という新しいジャンルに現役の職業作家がどう切り込めばいいのか、ちゃんと考えている人とは、なかなか出逢わなかった。
なんてことを愚痴る間にだって、恋空は百万部。
ならばさっさと書いてしまえ、と。
まだ名前が売れていないから、しくじっても失う評価がない。
職業作家としてあくまで真摯に携帯小説ジャンルとの関わりを模索していこうではないか。
問題は、原稿料が出ないことなのだが。
「恋空」が生まれたのは、魔法のiランドという携帯サイトだ。
その中に携帯小説を集めた魔法の図書館というのがあり、ジャンルごとにランキングサイトが連動していたりしている、そこに、じゃじゃーんと、参入。
もちろん、郷に従って、三文字以内のペンネームを使う。
センテンスはできるだけ短くし、ばつばつ改行もする。
普段はまず滅多に使わない「…」も使う。これは実際便利でクセになります。
「…」の多用は、まるで荒井晴彦の台詞みたいで、けっこう満足した。
正直、あたしにもまだ、携帯小説という仕組みは、よく見えていない。
ただ、書籍や雑誌掲載と違って、ダイレクトな反応がある。
携帯小説を書いている人同士の励まし合いや、ささやかな共感が届くと、単純に嬉しい。
文章を書くことに馴れているあたしに、一生の記念になるからという決意や、これを書かないと人生が先に進まないと抱え込むほどの過去など、さしてない。
そういうものを抱えて本当に真摯な気持ちで携帯小説を書く人たちの中に入れば、いくら職業作家でも、でっちあげの嘘は通じない。
だから、携帯小説のセオリーに乗っ取って、話せなかった過去、一人称の恋愛小説、真摯な気持ち、というところを、きっちりやろうと覚悟している。
三月からアップし始めて、じりじり読者が増えてきたようだ。
膨大な数の携帯小説が登録されている中で、探し当ててくれる人がいるのは、素晴らしい出逢いだと思う。
毎日、覗いてコメントをしていってくれる人や、続きが更新されるのを楽しみに待っていてくれる人がいる。
それはつまり、ちゃんと読む人がいるってことなんじゃないか。
文芸の書籍が売れないのは、小説を読む人がいないからではなく、物語や書籍の価値が変わってきたからなのだろう。
ならばやはり、あたしの思うところは間違っていない。
新しいニーズに応えられるよう商品の改良を重ねるのは、流行への迎合なんかじゃない。
いや、流行への迎合だっていいんです。
ゲージツやってるわけじゃないんだし。
「そこに読者がいるならば」、それだけのことなんだよね。
- 2008/07/12(土) 00:48:42|
- 雑感
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