骨壺から骨を取り分けた。
つまみ出せる大きさのものをそうっと取り出して、パーツごとテーブルに並べしげしげ観察、帆太郎は相変わらず壷に鼻先を突っ込んで合点した顔。
取り分けた一つは机の上で、骨折の手術をしたときのかっこいいプレート付きの骨入り。
元の骨壺には取り出せないほど細かな骨や、薄くて割れ易い頭蓋骨の破片、小さくて細い尻尾の骨などを残し、娘に寄ってもらって、犬母の元へ。
もう一つは丸っこくて可愛らしい関節の骨や太くて立派な脚の骨入り、夜になってから雨のみどりちゃん公園で、ラッコを墓標に帆太郎と埋めた。
生きているときに恨めしかった雨や風の厳しさも、肉体から解放された今は楽しめるんじゃないかと思う。
みどりは、去年の2月24日に生まれて、先月10日に死んだ。
予感があって涙が湧き上がったのは、その日の3日前だったか。
あれから涙は枯れず、体を休めれば休めた分だけまた湧き上がる。
毎日泣いていれば、そりゃ疲れる。
もうへとへとに疲れ切った。
それでもまだずっと泣くだろう。
記憶が消えないから、後悔も消えない。
今もまだ、取り戻したいと願う。
S・キングの小説にそんな話があったよなあと思いながら、無意味な祈りを呟く。
小さな壷や瓶やブリキ缶に閉じ込めてしまうのは、なんだか可哀想だった。
土や光や雨や風や草に紛れてしまうのが一番気持ち良さそうなのだけど、何もかもがなくなってしまうことは、やはり恐ろしい。
自分の死を意識したときにはお墓なんていらないと思ったけれど、遺される人には、そうした何かが必要なのだと、わかった。
これから、みどりの主治医だった獣医師に、御礼の手紙を書く。
「お悔やみ」という言葉は、とても正しい意味があるもので、悔やんだり惜しんだりしてくれる人がいることで救われていた。
分かち合えるようなものではないからこそ、心を寄せられることに救われるんだろうな。
慰めてくれた人、励ましてくれた人、悲しんでくれた人、思いやってくれた人、それぞれの気持ちを小さな安らぎにして、日々を過ごせました。
感謝しています。
- 2008/10/10(金) 22:35:27|
- 雑感
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前川麻子「これを読んだら連絡をください」(680円)
光文社文庫の吊り広告、地下鉄内で見ました。
いまから買いに行きます。
- 2008/10/11(土) 10:48:45 |
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- S子 #-
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ありがとう! きっと文庫の方が読み易いです。感想をお待ちしてます :)
- 2008/10/11(土) 12:05:18 |
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