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仕事部屋

早朝に「初恋」60字コメント送ってちょっとだけ仮眠、起きて雑用して帆太郎さんとみどりちゃん公園経由でリオンに行きP社K嬢との打ち合わせ、K嬢からいつもの生真面目な表情で「帆太郎くんは、何かお仕事を手伝ったりしますか」と質問され「わたしの仕事を、ですか?」と訊き返したら「ええ」というので真剣に考えて「いや、特に手伝ってはくれないですね」と回答、本当はみどりちゃんが先生であたしは代筆するだけだったんだけど、帆太郎さんはほんとに何もしないで寝てばっかりなんだもん。

帰宅後DVDで「ぜんぶフィデルのせい」、難しい題材を巧い視点で料理してラストシーン抜群、ちょっと寝ようかと思っていたら娘がふらっとやってきてあれこれ雑用していってくれたのでそのまま「この道は母へと続く」、ストイックな描き方嫌いじゃないけど雨だれ式にずっと音楽が入ってるのがあたしには耳障り、この二日で観た中では「俺たちフィギュアスケーター」のエンドロールがびしっと泣きのツボだったなあ。

あれこれ虚像だの実像だののことを考えてしまった。
役者やってた頃からずっと宿題になってるテーマではあるけれど、小説書いてても結局同じことだなあと思う。
年間十本以上全部違う役を演じて「ファンです」と言ってくれるお客さんがついても、そのお客さんたちはあたしのことなど何も知らないという現実の軋みに苦しんだこともあったけれど、小説を書くときにはそれが増幅するのであっという間に開き直れたんだろう、「書く自分」への意識が張り付いて不自由だったのは多分三作目くらいまでだった気がする。

しかし最近はまた新たな問題意識が芽生えてきた。
役者のときは稽古場が日常だからそこにいる人たちには役と役者の判別がつく、が、小説を書く作業は孤りきりで日常親しくする友人知人たちにその側面を見てもらうには出来上がった小説を読んでもらうしかない。
そこで疑問を持つ知人もいれば不審を抱く友人もいる。
小説として書かれたものが、現実世界で見知った私という人物のフィルターになって色を変えるせいだろう。
「すきもの」読んで「お前、普段どんなセックスしてるんだっ」とあたしを問いつめたのは康造だけど、ま、そう思われても致し方ないわけで。

それでもやっぱり、その七色フィルターひっくるめて初めて私なのだから、それ抜きに見られるのはレントゲン写真をTASPOカードに使ってるみたいなもんだし、それで煙草が買えたりすると「ほんとにあたしってわかってますか」とこちらが不安になる。
レントゲン写真見て「あなたの脊椎が好きです」とか言われるのもまあ悪くはないんだけど、「いやいや、一応皮とか筋の部分も見てやってください、色々動いたりするんで」ってことだあね。

本人は着ぐるみ感覚、取っ替え引っ替えの衣装とメイクでロミオもやればジュリエットもやってるんだけど、友人たちは中身の骨を見透かしてくれる。
ロミオにもジュリエットにも見えなかったと言われれば腕を磨くしかない。
彼らに見せたいのは骨と衣装の間にある肉なのだから。

ああ、いつか言われた「背骨の透けて見える女優になれ」ってのはそういうことだったんだなあと、滅多に役者をやらなくなってから気がついた。
そして、あたしは今、音楽をやっている人や芝居をやっている人を観るときに「全裸」を見透かそうと意識するようになった。
そこにいるその人が全裸でいることを想像できるのが好ましく、想像の中のその人が下着姿止まりだと興味が薄れる。
だけど人の小説を読んでるときには、最後までびしっと着込んでいて戴きたい。
ストリップになっていく作品っていうのもなくはないのだろうけれど、小説はやっぱり作者が透けてみえちゃよろしくないと思ってしまう。

そんなことを言えば読者には嗤われるのでしょう、あたしの書く小説はいつもあたし自身がそのまんま透けてしまっているだろうから。
そして読む人はそこに見えたあたしをあたしと信じるのだし、あたしはそれを利用して商売をしているんだから、それはそれでいい。

友人たちは親しければ親しいほどそんな読み方をしなくなるんだなあと最近になって知った。
日頃読書の習慣を持つ友人は別で、本を開いた途端に友人であることなど忘れて読者そのものになってくれるからいいのだけど、そういう「本との関係」を持たない友人たちが、その関係の中に立つときは、あくまでもそれを書いたあたしとの関係を当てはめるだけだろうから、彼らは純粋な読者ではない。
そこから引きずり込むだけの力技があたしにあればいいんだけど、そうなったらそうなったで彼らは必死に友人としての自分がよく見知っているあたしの姿を、その隙間に見つけ出そうとする。

結論ではないけれど、どれほど繰り返してもこの考察が辿り着くのは「読みたいように読んでもらうしかない」「思いたいように思ってもらうしかない」ってことだし、それは結局、芝居をやっていたときに痛感した、「私」なんてものはどこにも実在しない、「私」が存在するのは「私ではない誰か」の中だけなのだ、ってのと同じで、つまるところ、演じることでも書くことでも、その感覚だけは打ち破れないなあという諦観、もしくは開き直り。

結局、あたしはいつまでも「あの小説は面白かった、けどあの主人公が自分の周りにいたらちょっとやだ」とか、「前川は好きだけど、前川の小説はどうもイマイチしっくりこなくて」とか言われる立場ってことだな、当たり前っちゃ当たり前ですけどね。

それがあたしなんだなあと思うと、自分の中に湧き出すささやかな戸惑いや失望や不安や期待なんかも、そんなふうにもやっとした曖昧なものに感じられてラクチンになる。
自分の日常に筋書き作るのだけは嫌だし、もやっとしたものの中にアレが見えたりコレが隠れたりしてるのを毎日面白がってればいいだけじゃんって思える。

今日は、打ち合わせもしたし散歩もしたしDVDも観たし考え事もしたし誰も嫌いにならなかったし誰かを好きだと思ったしグリーンカレーも美味しかったし、バランスのいい一日だったってことだ。



  1. 2008/11/14(金) 04:26:43|
  2. 雑感
  3. | trackback:0
  4. | comment:3
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comment

おはようございます!

充実した一日のようでよかったです^^。
僕は酒が切れたので4本注文しました。
すきもの、晩夏の蝉 、夏のしっぽ、鞄屋の娘 の素敵な4本です。
酒が来るのが楽しみです。
そうです。僕は「これを読んだら連絡をください」の感想文?を
自分のブログにかいてみました。???と思いかもしれませんが
よかったら覗いてみてくださいませ。ではでは。
  1. 2008/11/14(金) 06:03:03 |
  2. URL |
  3. Kenzaburo #-
  4. [ edit]

こんにちは

コメントとして的外れである事は十分解っていますが1ファンとして…


前川さんに限らないのですが面白い小説を読んだら当然 どんな作家なんだろうかと興味が沸いてきます。するとパソコンで検索してみる訳でして前川さんのようにブログを持ってらっしゃる人は、あ~この人は作家以外に芝居やバンドで活動してるんだ~ってわかりますます興味が出てくるんですよね。
自分のように地方在住だとなかなか芝居やライブを見に行ける訳ではないのでブログを見る事がが唯一の楽しみみたくなってしまうのも仕方のないことでして…(笑)



小説中の主人公と前川さんを同一化して考えてしまうのが良い事か悪い事かなんて野暮な話だと思うしブログの前川さんが書く小説だからこそ又、読みたくなるのかなってのが率直な感じでしょうか。


なんか支離滅裂なコメントになりましたが鼻で笑ってご容赦ください(笑)
  1. 2008/11/14(金) 11:21:17 |
  2. URL |
  3. K・N♂ #dUSuNTrU
  4. [ edit]

>K・Nさん

ありがとうございます。虚も実もへったくれもない商売じゃんと開き直っているつもりではあるのですが、時々心が折れてしまうんですね 笑
いつでも未だ会うことのない読者という友人がいることに気づくと、現実がどうでもよくなったりするんですが、書くことも日常であり、書く私が現実を生きていることから逃げちゃいかんのですな。

>Kenzaburoさん

ブログ拝見しました。感想ってどきどきさせられますね 笑
好意的に読んで戴けて嬉しいです。どうもありがとうございます。
追加の四本で悪酔いされないよう祈ってます 笑
是非また感想を聞かせてください。覚悟しときますんで。
  1. 2008/11/15(土) 05:24:18 |
  2. URL |
  3. まえかわ #-
  4. [ edit]

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