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仕事部屋

スカパーで「家族ゲーム」をオンエアしていたので、つい観てしまった。
若かった。懐かしかった。死んだ人も多かった。
エンドロールの文字が、古くさいんだよ 笑
昔の映画なんだよなあと思うし、そこに自分の名前があることを不思議に思うし、ATGの時代に、滑り込みで間に合ったんだなあと、今更ながらに感じ入る。
思えばあたしは、にっかつロマンポルノの時代にも、滑り込みで間に合ったんだった。

当時、NHKの劇団や、私立の学校を辞めてまで映画に出ることを、父には猛反対されたけれど、十五才の決断は正しかったんだ。
でなきゃ、間に合ってなかったもんな。

十五の頃には、これやったら面白いのにという思いつきが、あぶくみたいに湧いていた。
思いつきの九割は、十五才だからという理由で実現しなかったけれど、残りの一割は、十五才だからという理由で実現できたような気がする。
だからあたしは、早く大人になりたくて仕方がなかった。取りこぼした九割が惜しかった。
今じゃなきゃ意味がないのにと、いつもじりじりしてた。

だから、自分の娘が、波風一つ立てずに、そういう時期を通り過ぎていってしまうことが、なんだかちょっと悔しい。
できないことに頭から突っ込んで行くんじゃなく、できることをぼそぼそ拾い集めるように過ごすなんて、まったく年寄りみたいじゃないか。

今、三十九才のあたしが思いつく程度のことなんて、もういくらでも実現できる。
なのに、やっぱり思いつきの九割は、三十九才だからという理由で実現できないし、残りの一割は、誰かのお膳立てに巡り会えてようやく実現している感じだ。
今じゃなきゃ意味がないのにという焦りはずっと続いていて、あたしがやらなきゃという切迫感すら持つようになった。

滑り込んで、ひっかかって、そのまま、そこに留まっているのかもしれない。

だけど、もしかしたら、年令とは関係なく、そういうタイミングというのがあるんだろう。
あたしには、たまたまそれが十五だったというだけで、三十でそのタイミングが訪れる人や、四十でそれを掴む人もいるに違いない。
きっとそうだ。と、思いたい。
もしくは、そんなの結果論だ、ノスタルジーだ、美化した青春だと笑いたい。
フィルムに焼き付けられたあれを、そんなふうに思うのは、難しいことだけど。

  1. 2006/11/28(火) 02:34:28|
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