ハングルPROJECTのミニマムなミーティング、いくつかの資料を貸してもらい提案中の件を検討、ソン・ガンホへの道はまだまだ遠く険しいが、某かのチャンスも見えてきた、動けば何かにつながる、当たり前のことだけど、それが広がっていくところに関われるのは楽しい。
なかなか完治しない風邪のせいか帰宅後にしんどくなり本を読みながら仮眠、起きてまず調べたのは、リンゴの蜜、昨夜に食べたリンゴがびっくりするほど蜜を孕んでいてどろりと実から滴るほどだったのだが、蜜自体には甘みがなくむしろかすかな苦さがあった、そしてお腹が痛くなった件について。

リンゴの蜜は果実に十分行き渡った糖分が余っている状態のもので蜜そのものは甘くないものだそう、蜜があるリンゴの果実は甘いが蜜は甘くないって知ってましたか、あたしは知りませんでした、そして蜜の成分はソルビトールという糖分でこれは過剰摂取するとお腹を下すんだって、小さい子に蜜リンゴ食べさせちゃいけないかもね。
江東区の事件の裁判ルポを読む。
裁判員制度のモデルケースとある、それを意識してなのか検察はパワーポイントを駆使して「性奴隷」なんてずいぶんとキャッチーなキーワードを連呼している、猟奇性は好奇心を刺激する要素にもなるだろうが、犯行の様子を分かり易く提示するのに凄惨な描写を避けられないこの事件はあんまりにも極端なケースじゃないのか。
こんなの聞かされたらまともな判決できなくなると、あたしなら逃げ腰になるだろう、被害女性の遺族や友人や元彼は皆がこの公判をずっと傍聴しているそう、どれほど辛いことか、他人ごとながら泣きそうになる。
知りたくもない、恐ろしい、と感じる人も多いだろうが、「知る」という点において、世の中にはこんな惨いことも起きるのだと認識する人が増えるのは悪くないと思う。
被告の供述の様子からその心理状態を推察する人も増えるかもしれない、となれば小説の読者の土壌が広がり、下手な俳優の猿芝居を見抜く観客も増えるってことだ。
裁判が分かり易くなって、ごく一部の人だけが関心を寄せていた事件の詳細な情報や被告の供述を普通の人が当たり前の情報として受け取るようになれば、まずは犯罪小説の在り方に影響するだろう、少なくとも絵空事ばかりの稚拙な犯罪小説は読者に見向きもされなくなるんじゃないか。
と同時に作家は想像力の限界を痛感するんだろう、事実として受け取った情報はあっという間に慣れ知ったものになって、そこにあるのと同じものを見たとき有り体な底の浅いものに感じられてしまう、いつか書けたらと漠然と思いつつどうやって書けばいいのか皆目見当がつかずそのままにしている犯罪系のネタがますます書けなくなるなあ。
- 2009/01/21(水) 01:00:55|
- 雑感
-
| trackback:0
-
| comment:0