ふむ。はたと気づいた。
「マエカワは、父親と母親の両方をやってくれて、ずっと娘でいさせてくれる男でなきゃだめだろ」と、かつて桃井章に言われたそれ。
理想の人は、やはり永遠に父親なのだ。
父親的な愛情で、父親的に自立を尊重してくれる存在。
それを求めるから、結婚という形に向かっていくんだろう。
恋人という対等な人間関係にはすぐに疲れ果ててしまう。
庇護されずに生きていたくない。
何があっても生涯私を見捨てることのない絶対的な保護者としての父親というイメージを求めて、自ら家族の役割を買って出るのだが、家族で父親をやるときの男は、私の娘の父親になってしまうから、私の父親にはなれない。
私の娘には、私がいる。
片親の家族が大概そうやって機能しているように、私が彼女の母親であり、父親である。
私の娘には、私以外の父親はいらない。
ただ、きちんとした大人として関わってくれる他人がいればよく、
幸いにも、それは友人たちによって充足してもいる。
父親が必要なのは、私自身だ。
母親役は、時折、娘がやっている。
私と娘は、お互いに必要なことをほんの10%ずつ、交代でやっている。
母親の不足は、私自身と娘とがやれることで、案外足りてしまう。
けれど、娘にはまだ父親役ができないし、私自身のそれでは、私には足りない。
父親役を引き受けてくれる男とは恋人でいられる。
けれど、誰かの父親になってしまった男とは、うまく関係が作れない。
誰かの父親なんて欲しくないし、夫もいらない。
だから、私はすぐに家族を放棄してしまう。
「ちげーよ、あたしが欲しい家族は、こんなんじゃねーよ」と。
そして、私の恋人であった男もやはり、
「ちげーよ、俺は娘が欲しいんじゃねーよ、女房が欲しいんだよ」と思うのだな。
夫になりたい男や、恋人でいたがる男はいらない。
喜んで父親役を引き受けてくれても、父親としての能力が足りない男はいらない。
父親に失望したくないから、失望した時点で父親とは認めないのだ。
これは、一般的な本物の親子関係でも同じはず。
つまり、多くの人は、実際の自分の親の性格や言動とは別物としての、「父親」や「母親」のイメージを持っていて、そこから外れたときに失望したり、怒りを感じたりしているんだと思う。
それって、いつどこで誰に刷り込まれるんだろう???
失望しても、本物の親は「ちげーよ」と切れない。
仕方ないから諦めるし、どこかで妥協する。
その妥協ラインこそが、「理想の異性像」なんじゃないのか。
自己犠牲を厭わず庇護して、命より大切と信じ、生涯かけて心から愛でる。
成長を見守り、自立を助け、陰で常に支え続ける。
娘であり続けることだけが約束で、見返りを求めることもなく、献身の要求もない。
父親は、どんな女にも理想の恋人だろう。
本物の親から早くに切られた分、あたしは妥協できずにいる。
諦められないから、父親そのものを求めてしまう。
あたしは、父親としてちゃんと機能する、父親じゃない男が欲しい。
あたしの恋人だった男の人たちはみんな、いつかとてもよい父親になるだろう。
けれど、残念なことに、あたしの父親には、誰もなれなかった。
かつて、たった一人、限りなく父親的な、ものすごく理想的な恋人がいた。
私より年下だったけれど、二人ともお金を持っていなかったけれど、その頃の私はいつも全身全霊で庇護されていて、とても自由で、晴れ晴れとした気持ちでいられて、毎日けたけた笑って過ごして、自分の力でなんでもできるような気がしていた。
けれど、その人も今は誰かの父親になってしまった。
今は十年に一度会うか会わないかだけれど、私の誕生日を覚えていてくれる。
彼は本当にどこまでも父親のように愛情深い人なのだ。
資質ってことなんだろう。
母性が滴るような女性がいるのと同じに、父性に満ちあふれる男性もいるのだ。
ならば、私は娘性豊かな女と自覚するしかない。
少女性とは微妙に違う。
娘性は、少女性のような美しいものではないんじゃないかと思う。
もっと歪んだ、エゴイスティックな資質。
それは、母性や父性と同質の歪みだ。
母性の強い女は得てしてうざい。
父性の強い男も、それを必要としない女にはものすごくうざいに違いない。
これらの資質は、お世話する対象がないと発揮できない。
娘性はお友達関係を結ぶのに最適ではあっても、特殊な親密さは育みづらい。
恋人としての一時期は素晴らしいパートナーかもしれないが、母性を発揮するのを嫌悪するから、相手を赦して受け入れることがない。
そうすることでしか娘性を持続できない。
皆、歪んでいる。
そして、皆、真っすぐに正しい。
人はみんなどっか欠けていて、必要なものを求めるものだから、それでいいじゃんか。
欲しいものがはっきりしてれば、探すのだってちょっとは楽だし。
自分のことを知っているのは、そう悪いことじゃない。
私は未だに時折、「おかあさーん」と声をあげて泣くことがある。
一人きりで、どうにもやりきれないとき、涙が込み上げて、しまいには何故か「おかあさーん」とわんわん泣く。
これほどに父親を渇望しているのに、そういうは絶対に「おとうさーん」じゃないってのも不思議。
これもまた、いつかどこかで誰かに刷り込まれたんだろうか???
因みに、某新聞に連載中の、幼女が主人公の漫画、気持ち悪くて大嫌いです。
幼女の姿形をしていながら、非常に「オンナオンナ」している主人公が薄気味悪く、その娘にデレデレしてばかりの若い父親も異常者にしか見えず、そうした日常をいつもにこにこ優しく見守っている可愛らしいお母さんというのも人生捨ててる感じがして、毎日読むたびに、そう思ってしまう自分の屈折を感じて、げろっとしてしまいます。
オンナってのは、セックスできる息子が欲しい女か、セックスできる父親が欲しい女の、二種類しかいないでしょ。
んで、オトコってのは、セックスできる娘が欲しい男か、セックスできる母親が欲しい男の、二種類しかいないでしょ。
そのどっちでもない女は、多分まだ女じゃないし、男も然りだと思ってます。
そこから当たり前に目を反らして家族やってる皆さんにげろっとするんだけど、それをこんなふうにぬけぬけ言うあたし自身が、なんだかもうげろげろです。
そして、これぞコンプレックスやのう、としみじみ面白い。
人は皆それぞれ、こういうげろげろな歪みと一生付き合ってくんだな。
愛おしいです。
- 2009/02/23(月) 04:47:04|
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