こつこつやってきて、売り物には支持者もいて、せっかく大きく育て上げた看板なのに、ちょっとの傲慢がすべてを台無しにしてしまう。
結局、売り物の魅力に支えられた看板なんだよなあ。
本来は、すべてのことがそういう仕組みになっている。
よい小説、もしくは面白い小説を書いたからって、よい小説家、もしくは面白い小説家というわけではない。
ならば、よい小説家、もしくは面白い小説家ってなんだろう。
よい小説、もしくは面白い小説を書きたいとは思っても、よい小説家、もしくは面白い小説家になろうとは思っていないからどうでもいいっちゃいいのだが、気になる。
今日の日中は、ニューヨークで写真を撮ったり映画を撮ったりしている友人の、映画のためのシナリオの一部分を書いた。彼のイメージに乗っかって、いろんな作家が少しずつシナリオを書くというスタイルらしい。あたしが書いたのは「ライスイーターの憂鬱」。
日本人の女の子はどうしてか黒人の男の子が大好きだし、黒人の男の子にも日本人の女の子でなくちゃね、というタイプが多い。ま、そういう話しだ。
16才の頃に見よう見まねで書いたシナリオは、師匠に「だめだね」の一言で打ち捨てられ、どうしてかあたしにももっと勉強しようとかいつか認められるようがんばろうとかの気合いがなく、映画のシナリオなんてそれきり書いたことがなかった。
あの頃は映画ばっかり見てたし、小説なんてあんまり読まなくてシナリオばっかり読んでたし、ブログなんかもなかったからちょっと思ったことを書くのに、ちょこちょこ短編映画をイメージしたシナリオを書いてたけど。
この仕事の話をしたら、親方が「いいなー、映画」と言う。彼は映像の音楽などもぽつぽつやる人らしいので、「やればいいじゃん」と言ったら、「いや。出たい」と抜かした。
どうなんだろうか、それは。
それなりの映画に出たところで、それなりの役者ってわけでもなく、それなりの芝居を作ったところで、それなりの演劇人ってわけでもなく、それなりの小説を書いたところで、それなりの作家ってわけでもない。作品の評価は作品のもので、そこに関わった人たちが讃えられるのは「おつかれさま」という労いの意味があるんだろう。
結局、どんなことをやっても、それが自分を何者かにしてくれるわけじゃない。
それとこれは別ってことですな。
何者かになりたいという心が先にあって作り出されるものなんて、たかがしれているのだ。
作品を作品としてなにものかにしたいという心のないところに生まれるものが、なにものかになるはずがない。
1600円払って本屋から家に持ち帰ってもらえる本とか、人の手から手に渡って繰り返し読まれる本とか、図書館で長いこと待ってでも読んでもらえる本とか、死ぬまで自分の部屋の本棚に置いてもらえる本とか、映画化されて大もうけできる本とか、書店員さんに気に入ってもらえる本とか、まあ「なにものか」にもいろいろあるわけだが、本を作るのは作家一人ではないってところが、作業としてはとても面白い。
2/2に刊行される「夏のしっぽ」は、小説誌掲載時の担当氏や、単行本としての担当氏やブックデザイナー、イラストレーター、営業の担当氏、感想を伝えてくれる人、ネタになってくれた人、ファンレターをくれた読者、ブログに感想を書いてくれた読者などなど、いつも当たり前に関わっている人たちの顔が、より近くで見えた気がする。
そのことが、あたしにとっては一番「なにものか」なのだ。
あとは初版が売れるよう祈るだけ。
読んでもらえるのなら、図書館で借りてくれても百円の中古で買ってくれても構わないと、ずっと思っていたのだけど、初版が売れない本はあっという間に絶版になり、むやみに中古の値段が釣り上がったりする場合もあって、一生懸命に本を作って知恵を絞って売ってくれている人たちのことを思うと、ちょっと悲しくなる。
余った初版本がどこぞに流れて、「初版本」というだけで定価より高かったりすると、なんだかなあと思う。本に限らず、最初っからちょっとしか作らなかった戯曲とか、ビデオとかも。
売れるには、中身が一般的な基準でかなり面白いか、大作家になるしかない、という選択肢も厳しい。もちろん、それが当たり前のことだとも思うけれど、一冊の本には、その値段に相応しい「なにものか」がちゃんとあるのに、中身とか作家としての知名度とか信頼度を目安にして「お金を出して読む本」「お金を出さないで読む本」と区別されてしまうのは、とても残念だ。
小学校以降、一度も図書館で本を借りたことのないあたしには、買った本しか読めないという縛りがあるけれど、読みたい本を買うということでもあるから、買った本を読むというだけで本の代金分の価値が取れる。
物の値段って難しい。
読むための時間を払ってもらうことで、本来は充分なはずなのに。
不二家が在庫を回収しているから
ネクターは売れないんですと、商店からの連絡があった。んで、ネクターは今ネットオークションでじりじり値段を釣り上げられている。
当たり前のことのようでいて、ちょっと考えると、やっぱりなんか変。
不二家だって「そんなつもりじゃないのに、なんだかなあ」と思うんじゃなかろうか。
- 2007/02/01(木) 04:47:28|
- 雑感
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