FC2ブログ
仕事部屋

犬実家でだらだら過ごしたお陰でウツがちょっと上向きになりつつあったのに、またどすんと落ちた。

理由は簡単、心配してくれる友人が「~はどうするのか」「~したらどうか」「~すべきだ」などのウツ状態には禁句とされるあれこれを並べ立てるから。

「同情するなら金をくれ!」の名台詞じゃないが、いい大人になれば大概のことには他人の考えなどいらないし、心配や励ましでなんとかなるのならこれだけ人に囲まれて過ごしている私がウツになどならない。
近しい人にはウツがあることやパニック発作のことなども知らせてあるし、どう対応したら良いかが書かれた参照サイトなども教えたのだけど、見ちゃいねえってことだよなあ。

ウツのしんどさは、ウツをやった人にしか判らないだろう。
心身が健康な人には甘えや怠けにしか見えないだろうと判る。

どうせ親身じゃないのだし所詮人ごととして放っておいてくれるならいいのだけど、「ウツの人に言っちゃいけないこと」を言うのとか「パニック発作のある人にさせちゃいけないこと」をさせようとするのとかは、実害があって困る。
「やめてくれ」と言うのも病気を笠に着て甘えるようで言い辛く、ひたすら耐えるのみなのだが、耐えられない。
そもそも、そういうことを人に説明するのが、辛い。

心配してくれている近しい友人にこんな思いをさせられるんじゃあ一体誰に助けを求めればいいんだ、と絶望的になる。
悪意じゃないとわかるからこちらが避けるしかなく、必然近しい人にほど会いたくない内弁慶型の引きこもり状態。

パニック映画で、何事かが起きている最中に自分の子供と離れなければならなくなった人がヒロインの元に子供を残していく、そのときの台詞に「最後まで護れないのなら、(うちの子に)触れないでくれ」ってのがあったけど。

ありがたいことだけど、同情や心配やアドバイスはいらないんです。
私にできないことを代わってしてくれるのでなければ、せめて理解と協力を。

自分でどうにかできることはどうにかしてきてる。
自分じゃどうにもできないことだから助けを必要としているのに。
こんなときくらい、私に何かを要求するのはやめて。
こんなときくらい、私の要求に見返りを求めないで。

そう思っていても、口にできない。
誰かに助けてもらおうとしている自分に絶望する。
自分のことどころか、人のためにすら何もできない自分に、また絶望する。

あなたのせいだと言いたいけど言えないから、思い知らせるためにいっそほんとに死んでやろうかとさえ思う。
けれど、もし本当に私が死んでも、そういう人ほど自分のせいとは気づかず、悔い改めやしないのだ。
死んでも無駄、と思えばまた孤独に絶望する。

自分のすべてを許して、見返りも求めずにありのまま受け止めてくれる存在なんて、神様と親以外にない。
見返りを求められることがわかっていると、助けを求められなくなる。
親のいない私には友人たちと自分だけが頼りなのに、もはや手も脚もでない。

人は生まれてきた罰として生きなければならないのだから、苦しくて当たり前。
そう承知するほど、すでに償いを終えて苦しむことから解放されたあの世の両親などを想い、どうか迎えにきてくれと祈る。

自殺などしない。だけど、生きていくのは本当に難しい。


  1. 2010/01/08(金) 00:34:38|
  2. 雑感
  3. | trackback:0
  4. | comment:0
<<タイトルなし

comment

contribute

display in just the manager

trackback

Trackback URL
http://workroom.jp/tb.php/866-d1c39775
trackback for FC2 user