いつもと同じようにDVDを観ていてもぐいっと集中できず、すぐに何か思いついてメモを取る状態、なんだかなあ、と思ったらもう来週が小説教室とWSなのだった、自覚ないまま準備態勢に入っていたらしい、講師業が板についてきたってことなのか、とにかく何を観ていても「あ、これはエチュードに使える」やら「あ、この構成の仕方を例に出そう」やら、そうやって溜まったメモを見ながら二日前くらいに内容を考える、直前には参加メンバーを頭に入れて再検討、というのがいつもの感じ。
WSは新しいメニューを思いついた、試してみて芳しくなければまた他のメニューを考えるけどこれが王道だろうと今は確信している、後はそのメニューに合うテキストを探さないとならないのだけど、著作権を配慮すると自分で書いた方が早い、そうなると一仕事なんだよなあ。
今月のWSはレギュラーのヒラケイが妹の結婚式で一日しか参加できないというので、その一日に有益なアプローチを一通りやっておいて参加できない日にもう一段階踏み込んでいくやり方にしてみようと思う、そうやって融通しているとキリがないし二日間の都合をつけて参加してくれる人に申し訳ないので、いつもは二日間ともに参加できることが必須条件なのだけど、今回は募集をかけた五分後に即効で泣きが入ったのと、レギュラー・ヒラケイのやる気を見込んでの特別措置なのだった。
小説教室にも知った顔が何人か集まりそう、知り合いからは事前に「仕事が大変な時期なので課題の分量次第で」「戯曲の勉強としての参加でも可能か」などの問い合わせが直接あって、どちらにもちゃんと個人の事情を考慮して融通するから安心して参加してくれるようお返事、何十人も集まるとそうもいかないだろうけど、教室と名乗っていても学校じゃあるまいし、少人数ならお互いの事情を理解した上でそれくらいのことをしてもいいだろうと思っている、決まりごとがあってそれを守るのも大人のマナーだけれど、個人の事情に個人の感情で対応する幅を持つことだって大人のマナーじゃないか。
小説教室では自分の課題にも取り組みたいし、私が個人的に志すのはWSのように「個々のやりたいこと」に支えられた時間と空間で「お教室」ではないし「仲良しサークル」だけは御免被りたい。
全6回を予定している講座で、長くても短くても皆が何か一本の小説を書き上げられたらいいな、とは思うけど、書き上げることが目的じゃないから書かなくたって構わない、書きたくなった時にしか書けないもんだと思うし、ただ、書きたくなったときにどうやって書けばいいのかわからなくて書かなかった経験のある私は、そこんところを回避して、書きたくなったときになんとなくそれなりに書けちゃう人が、ちょっとだけ増えたらいいと願っている。
自分で全責任を負えるなら、小説に限定せず「言葉のワークショップ」にしたかった、作文や会話、解釈、言葉の組み立て方、言葉の選び方、言葉の使い道などなど、具体的に考えているわけではないけれど、芝居のWSが「伝える方法」「見せる方法」について考える場だとすれば、その道具としての言葉について、もっと考えるべきことがあるんじゃないかと思う、言語学の正論ではない「素の言語学」としてのそれならば、文章を書きたい人にも台詞を喋りたい人にも面白がれるんじゃないかしら。
たとえば、イラストレーターになりたいという知人には「小説を読んで挿絵を描く」訓練をしてみるように勧めるのだけど、小説を書く人も「絵を見て物語を書く」訓練が必要だと思うし、役者には台詞を喋る技術より黙ってそこにいる技術を教えなければならないと思う。
映画だったり音楽だったり経済だったり医療だったり、自分のやりたいこととは関係のないあれこれを知るための場、自分が知ったことを人に伝える場、見知らぬ人と出逢える場があれば、価値などいくらでもつけられるだろう。
異業種交流会ほど社交性を必要とせず、サロンというほど閉鎖的でなく、私塾というほど思想を持たず、ただ、私が子供の頃にはぶらっと街に出て行けば得られたそれが今はない、というだけでの渇望だけど、誰もがそういうことをちょっとずつ必要としているからインターネットの発展があるんだと思う。
勿論ネットでの出逢いを否定するつもりはないし私にもネットだけで交流している顔も名前も知らない友人がいて、それはすごくロマンチックだし会ったことがないからこその付き合い方があるからとても面白いのだけれど、顔を合わせる生身の出逢いが代用されている感が私にはどうしても拭えない、生身の出逢いに幻滅しようが傷つこうが、それが出逢うということだろう、うんざりしたら電源切って終了にできない、逃げ隠れのできない、どうやっても誤摩化せないものが、人生には必要なのだ、ものすごくウザイけど。
演技をすることも小説を書くことも本来は際限なく孤独な作業だからこそ、人と出逢うことが大きな財産になるんだろう、出逢うのは「仲間」なんかじゃなくて「人」だ、生身の声、生身の肌合い、生身の感覚を持つ、自分とは違う誰か、孤独な作業をするときはうっかり自分ばかりを見つめてしまいがちだけど、目の前にいる赤の他人に自分を見出すことが本当の意味での「自分を知る」ことなんじゃないかと思う、もしくは、自分の中に赤の他人のような誰かを見つけることが。
どこの出版社がヤバいとか、あそこの制作会社が潰れたとか、助成金が9割減とか、淋しい噂ばかりが聞こえてくる。
芸術は食えないとか、食えるのは芸術じゃないとか、そんな大袈裟なことよりもっと手前に、細胞の活動くらいの生きるための機能として、「演じる」ことや「書く」ことがあるのかもしれないのに。
ああ、考えていたら本気でやってみたくなった、「うざい塾」。
私はどうしてこうアングラでアナログなことしか思いつかないのか。
- 2010/01/15(金) 01:07:40|
- 雑感
-
| trackback:0
-
| comment:4
自分を人の居る場に運びたいと思うワタシは「うざい塾」が出来たら入ります♪
あ、“塾”だからお月謝がいりますね。ちゃんと払います(-.-)
円がいいですか?ウォンがいいですか?
え?ペソがいい、分かりました。
- 2010/01/15(金) 11:55:54 |
- URL |
- n #-
- [ edit]
いつもこっそりストーカー並にこのブログをいつも拝読させて頂きながら、あさこさんの言葉、感覚etc...こそこそと勉強させてもらってます( *´艸`)ヒラケイです。
あたしのせいで何だか一仕事というか、面倒かけてしまっていて、本当にすみません(。-人-。)
でもWS絶対出たいんで、我儘いってしまいました・・・受け入れて頂き、有り難き幸せ。
ブログを読んで、コメント残さずにはいられなかったので登場してしまいました。
そしてむしろWSじゃなくて「うざい塾」をマジで
開校(?)いや開講して欲しいです。“おにゃんこクラブ”じゃないけど会員No,00001目指して塾生になります。それが目的じゃないですけど、“おもろい人間”になりたいので。
あ、あたしもユーロ払いですか?
- 2010/01/16(土) 02:21:12 |
- URL |
- ひらけい #F9ckFCGU
- [ edit]
いえいえ、一仕事は自分の役割ですのでお気になさらず。
結婚式、楽しみですねえ。ひらけいの方が緊張したり感動したりするんだろう 笑
ほんとにおめでとうございます。
うざい塾はユーロです。クレジットカードは使えません。開講に備えて外貨預金口座を作っておきます。
- 2010/01/16(土) 12:54:56 |
- URL |
- まえかわ #-
- [ edit]