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仕事部屋

2.15

ワークショップのメニュー、前回は充実した内容だったのに今月の申し込みが少ない、リピート参加している数人はWSコネクションで回した里美浩太郎主演の武道館公演に出演で日曜しか来られないし、日曜には来られるのに来ないのかもしれないけど、それだけじゃなく申し込みが少ない。

レギュラー参加者の上司から電話で「来月のワークショップはいつですか」と問い合わせがありましたよ、シフト組まなきゃいけないからってのはわかってるんだけど「まだ決まってないんです、すみません」と答えたら「あ、じゃあまだ決まってないってのほんとなんだ」ってどんだけ信用ないのかウッチーは。

あるとき、教える歓びはなんですか、と訊かれたけど、教える歓びなんか別にないなあ。
特にワークショップは教えてるわけじゃなくて演出の仕事をしているだけだから、歓びというより仕事そのものの面白さなんだよなあ、強いて言えば「人と逢うこと」「人の生き様に関わること」なんだけど、これは支配欲の一種だろうからなあ。

朝日CCの教室は無論お仕事なわけだけど、朝日で担当してくれているY嬢の仕事ぶりが誠実なので、お仕事としてとてもやり易いし、デビュー十年目で初心を振り返るためとも言えるし、今の時期だからこそできる何かだと思っている。

小説教室に来ている熟年、老年の方々には本当に頭が下がるのだ。
「やりたいことがあるんです。だから教えてください」という、それだけのことが、年を取るごとに難しくなっていくのは私にもよくわかるから、ああ、この人から私もそこんとこ教わろう、と思う。

小説教室での歓びはきっと一人でも多くの人が自分なりの小説を書き上げてくれることだけど、それが十年後でも二十年後でも構わないし、書きたいと思っていたけどやっぱりやめた、でもいいと思う、要は、やってみたいなあと思ったことを実際に行動に移したからこそ知り得る何かってことだから。

さて、次回ワークショップでは集中についてやってみようと思う、なんで世の中の演劇の人たちは皆芝居やるときあんな気違いみたいに集中してるのか、つうかあれじゃ気違いにしか見えない、みたいなことをね。
お芝居やりたいって人には、そういう人が多いような気がする。

集中力とかあって、何かに取り憑かれたような目をしてて、大きな声が出て、表情が豊かで、って、所謂「演劇」体質みたいな人、それって普通じゃないよなあ、普通の人間には見えないよなあ、どんなに一生懸命お芝居したって人間に見えなきゃしょうがないと思うんだけどなあ、みたいなことをね、まあ、いつもやっているわけですが。

だから、そういう演劇体質を解放したいタイプの人は、うちのワークショップにくると傷ついちゃうらしい、傷ついて白けていい加減にやってると「そっちの方が全然いいよ」とか言われるもんだから、はあ?こいつ何もわかってねえとか思うんだろう、次からは来ない。もったいないなあと思う。

私はお芝居のやり方を教えるわけじゃなくて、どう見えるかだけを言っているだけで、そこでじゃあ何をすればいいのか、どうすればいいのかを考えさせてくれるようなワークショップはあんまりないから、あああしろこうしろと人形使いのような演出を受けてその通りにやれることだけに満足感を求めるタイプの人にはとても大切な時間だと思うのだけど、そういう人はやっぱり頭を使うのが嫌なのだろうか、まあ、演劇体質にも体育会系演劇体質と文科系演劇体質みたいなのもあるし、つまるところどちらも秀でた人はおんなじことやってる、っていうふうに見ることができない人には何も通用しないのかもしれない。

私は、人が見える、ってことだけがお芝居の面白さだと信じている。
演じている人、演じられている役、どちらも人。
作る人、観に来る人、どちらも人。

吉岡がインタビュー記事の中でいいこと言ってた。
「ボクはできるだけ日常と切り離さないで演じたいんです」みたいなこと、いいことって言っても私がずっと言ってることそのまんま言ってるだけなんだけど、そうそう、よしよし、しめしめ、と思う。

その「しめしめ」が、教える歓びなのかしら。
単純に、ワークショップをやることで私が作る芝居を観て面白いと感じてくれるお客さんを増えるのが嬉しいし、私が観て面白いと感じられる役者が増えるのも嬉しい。

生涯、誰かの師であることは、それがどれほどフレンドリーであっても本当に大変なことだし、そういう大変なことをこんなに引き受けている自分、という自己満足はあっても、そんなことは誰も評価してくれない。

自分のやりたいことの中では、結局のところ、自分の力でしか判断されないし、そのためには常に勉強が必要で、その勉強の場をどこに置くってことなのかもしれないけど、人に何かを教えようなんて傲慢な立場で学ぼうとなると、これはもうやっぱり才能の一種であって、できれば私はもっと素直にものを教わることができる才能の方が欲しかったなあと思ったりもする。

教えることは、請われればできる。経験と技術と、自分に対する諦めさえあれば、いつでも。つまり手前味噌だ。
けれど、教わることは、なかなかできない。
学びたい気持ちとそれができる時間と教えてくれる人っていう条件を自分の力で揃えるのは、なかなかに難しい。

ワークショップは、何も教えない。いや、教えてるんだけど、真に受けなくていい。
考えて欲しい、気づいて欲しい、疑って欲しい、繰り返し来て欲しい、という願いだけだ。

あんたのやってることつまんない、と私が言う、どうしてなのかは私にもわからない、ただつまんないと思うんだから仕方ない、じゃあどうしてあたしにはつまんないのか、どうしたらつまんなくなくなるのか考えよう、というのがワークショップの基本姿勢だ。

「つまんなくて当たり前だから、魔法のように演出一つでつまんないことが面白くなるのを観たかった」と言ってくれた過去の参加者もいたけど、それって稽古場の演出家がやることなんじゃないの、と思う。
稽古場には、何をもって面白いとするか、というラインが必要だし、基本的には演出家がそれを引くことが多い。
だから、稽古場で演出家が「どうしてつまんないのかわかんない」とは言えない。
故に、魔法も起こり得る。ここをこうしたらいい、ってのがすぐにわかる。

だけどワークショップにはそういうラインがない。お金払って時間作って来てくれる人に、たかだか私の感覚で面白いだのつまんないだのの評価をしてはいけない気がするから、あくまでも「私にはつまんない」っていう微妙なラインを踏み外せない。
だから、なんでだろうねえ、と考える。考えるうち、私の見方を変えたら面白くなったという場合もあるし、その人の工夫で俄然面白くなることも多い。

自分のやってることがこの人にはどう見えるんだろう、という興味を持った人が参加している。
マツジュンなど自分の劇団を持っている座長なのに、へらへらレギュラー参加して、自分がやらされることは二の次三の次でかなりどうでもよく、「ははあ、前川はこういうことを面白がるのか」とかまるで私を演出してやろうという視線なのだけど、そりゃずるいよなあ、こっちは丸々全部曝してるんだから。

そうそう、マツジュンから借りた雑誌の巻末に載ってたルポ漫画が、ピンク映画の撮影現場を見学してきました、ってので、漫画なのに横顔だけで「吉岡じゃん」とわかった、最後の方で「男優の吉岡さん」とネームがあって本当に吉岡だった。

吉岡がこれほど成長していなかったら、私はワークショップを再開しなかったと思う。
けれど、映画畑の俳優がワークショップに来て「目指せ吉岡」みたいなことを言っていると、大真面目に「それはやめろ」と言う。因に、吉岡は吉田拓郎を目指して上京してきたわけだが、私は心の底から、誰も何も目指すな、と思う。

ワークショップの参加者には「モグラ町」の稽古場付きを勧めるし、普通の見学も歓迎していて、学生劇団や素人劇団の公演とかの甘々な経験しかない連中には大興奮、大覚醒の世界に違いない。
時折入ってくる商業演劇のエキストラとか、様々な知人を呼び込んでの宴席とか、お金を払うだけじゃ滅多に手にできない特典だと思うんだけど、これはやはりウザイ塾なのか。

来月のワークショップでは、再びゲストを迎えてエチュード二人芝居の実演をしようと思っている。
そのときにやってみせることを、今月のワークショップである程度ちゃんと説明しておこうというのが、前回ゲストを招いて実演したときの反省としてある。
だから、前回のように見学募集をするかまだ決めていないし、ゲストもまだ公表しない。

ああ、本当にワークショップには一回でも多く来て欲しいと、私は本気で願っているんだなあ。
続けてくれ、続けてくれ、来るための時間を作ってくれと、願い続けている。
こんなの、歓びじゃない。
来なくなる人がいるたびにひどく悲嘆するのは、当然ながら苦痛なのだ。

十人来て、九人が次には来ないのであれば、九人分の苦痛を背負うのと引き換えに、残りの一人がまたその次も来ることを期待する。
だからこそ、何年も通っていた吉岡にはあらゆる機会を渡したし、その姿勢こそが私の学びたいことなのだと尊敬もしている。

吉岡も、ようやく事務所が決まった。いい仕事も悪い仕事も、いっぱいしてって欲しい。
タミヤスはこないだ明良さんとドラマでコンビ組んだらしい。
タミヤスとは短い間の関わりだったけど、もっと深いところで、吉岡とはまた別の何かでつながっていられるような気がしている。柄本さんとやったワーニャんときの稽古場付きに凝縮されてたのかもしれない。
私が入っていない演出家協会に入って忙しくしている三谷とか、宝塚で演出やってる小柳とか、小形だってモグラ町には欠かせない演助だし、アベちゃんも育児がもう一段落したら絶対に演出助手に復活するだろうし、初期のワークショップの連中は、皆それぞれに自分の居場所を見つけた。

さて、君ら。どこに行って、何をする人になるのか。悪いけど、一生見せてもらう。
その代わりではないけれど、私の一生にどれだけ関わろうが、それは君らの自由だ。

ワークショップの飲み会にナンパした阿佐ヶ谷の龍馬から、今日メールが来た。
阿佐ヶ谷にいないと思ったら、六本木に「侍バー」を出して細々やっているらしい。
つまりね、ほら、人と出逢って関わっていくことは、自由自在なんだよ。
関わりたいなら、自分が動けばいい。それだけのこと。

犬用の粉末カルシウム・サプリが届いたので餌にわんさか混ぜてみたら大喜びだった。
足りてなかったのか、カルシウム。


hota-0214.jpg



2月ワークショップの参加申し込みを受け付けています。
http://www.maekawa-asako.com
  1. 2010/02/15(月) 01:06:01|
  2. 雑感
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