気合いで早起き、日仏会館で親方と娘とヤスコちゃんに合流して「
パリ20区、僕たちのクラス」試写、といっても親方は映写室、途中レンズがずれたりして駄目駄目な映写だったが。
予備知識なく観たのでカット割りに注意しないと劇映画とわからない極めてドキュメンタリー的なタッチ、原作の本が売店にあったので「ああ、やっぱり劇映画なんだ」と理解したほどリアルに徹した演出は、監督がテレビのドキュメンタリーをやっていた人であることと原作が元教員の書いた半自伝的な物語であることに加え、その原作者自身が教師役で主演して、生徒たちは皆地元の演技経験のない中学生たちという、芝居になりようがない基盤あってなのだろう、つまり「ドキュメンタリー的に」という劇映画としての演出が徹底しているってことだし、そうした仕掛けに目がいかないくらい、物語や人物に力強さがある。
そんな気配は微塵もなかったのに最後の1カットでいきなり滂沱の涙がこぼれ自分でも驚いた、「ふうん、へええ」と観ているだけだったのに、本当に最後の最後の、クレジットが上がってくる直前のカットを目にした途端だらだらと涙が滴るなんて初めての体験だった、未だに何に泣いたのか自分でもよくわからないけれど、何かしら映画の力があって呼応してしまったんだろう、びっくりした。
ニコラ・フィリベーリの「僕たちの舞台」という映画は、演劇学校の生徒たちに自分たちの公演を打つための課題に悩む姿を演じさせた所謂「演出の入ったドキュメンタリー」だったが、それはやっぱりドキュメンタリーには見えず、映画としては上手なエチュードといった感が強く、その違いはつまるところ「俳優が人としてきちんとそこにいるか」ってとこなんじゃないかしらん、そこに映っているいる人が、映されていない時間をどれだけ持っているか、物語からはみ出していく「筋立てじゃない物語」をどれだけ持っているか、まさしく「素」の力強さが、映画が終わるそのとき、物語が閉じようとした瞬間に溢れ出していたことに、私は泣いたのだと思う。
もう一つびっくりしたのは、上映終わって一服していたときにすぐ前のベンチに腰掛けていた紳士に見覚えがあり、「まさかなあ」と思ってやり過ごしていたのだがヤスコちゃんに確認してもらったら案の定、朝日CCの小説教室を受講してくれている方だった。驚いた。
カナルカフェのデッキで紙皿抱えてランチ、駅で解散して一旦帰宅、雑用して身支度し直して今度は渋谷でフジッコに合流してJPBのライブ、さっきは映写技師だった親方も今度は堂々ベーシスト、やっぱりJPBは面白い、見せ方や見え方なんか二の次でただ自分たちが楽しむための技術と立ち方なのだけど、もちろん皆抜群に巧いし、彼らほど観ていて面白いステージをやるバンドはなかなか見当たらない。
巧くて緩くて若くない、JPBと龍昇企画には通ずるもんがあると思う、つまりそういうのが私の好みってことなんだろう。
「パリ20区、僕たちのクラス」は6月に岩波ホールにて公開、監督はフランス映画祭に合わせて3月に来日されるそう。地味だけど、「素」の力強さを束ねてきちんと劇映画に仕立てた奇跡のような映画にちゃんとパルムドールをくれるカンヌって、やっぱりすごい。
- 2010/02/24(水) 00:23:41|
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