twitterやってるとブログ書かなくなるって本当だ、なんか気が済んでしまう、なのでブログをあんまり書かない人にはtwitterをお薦めしたい。
今日はがしがしと布団類の洗濯、療養中の犬がケージに入りたがらずいつもに増して布団に常駐しているので犬主観の夢を見るほど犬臭くなる。
夕方娘がやって来て荷物部屋へ荷物を運ぶ往復を手伝ってもらった、夕飯奢るって言ったのに同窓会だからと振られた、なので娘の給料日過ぎに赤坂に焼き肉食べに行く約束した、割り勘で。
布団常駐に飽きると犬は膝の上に乗りたがる、仕事机の椅子は座面が狭いので犬を膝に乗せるとかなりつらい姿勢、仕方ないので一人掛けソファーを仕事机用に使うことにした。
ほらほら、こんくらいのこと書くだけならtwitterでもいいじゃんかね。
こないだWSの飲み会で一番若い男子が「一番若い」ということを喜んでいて驚いた、「一番若い」ってことは「一番バカ」だし「一番恥ずかしい存在」ってことだと思うのだけど、まったくそんなふうに思わないと言うので論破する気力もなくなったが、そういう奴は死ぬまで「一番若い」をやって喜んでいればいいと思う。
無知ほど無恥という真実、特に女子。
何かを目指している女子には経験値においてちょっとばかりのコンプレックスがあるんだろうけれど、若い女の「だって若いんだもん、経験なくたって当たり前だし」な太々しい開き直りと羞恥のなさが痛々しく見える年齢になったのだ、私。
エロ・アンソロジーを作りたいという倫敦のモニカ嬢、他の作家にも出版社経由じゃなく直接連絡を取りたいのだけどどうしたらいいかと訊いてきたので、「日本の作家は個人の連絡先を公表していないし、調べて連絡されるのを嫌がる傾向があるから、まずは出版社に連絡した方が良い」と回答したのだけど、間違っていただろうか。
演劇界・文芸界における伝説のストーカー、故・K藤K介青年がいなくなってから、とんとそういう面白い話は聞かなくなったけど、やっぱり未だその手の売り込み系ストーカーっているのかしら、あの当時と比べたら、皆なんだか「空気読む」のが巧くなって無闇矢鱈なことはしなくなってるように思う。
そういう器用さと、がっつり人と向き合う、自分を曝す、どん欲に学ぶ、みたいなことがちゃんと合致していないのが、今どきの若い連中という印象。
コミュニケーション力が新卒採用の最重視項目と新聞にあったけど、若い連中の考えるコミュニケーション力って「愛想」とか「付き合い」とか「トーク」みたいな表面的なことなんじゃないか、そこらへんの認識がすでにズレてるんじゃないかと。
好きなものだけ手にしてたんじゃ勉強にならないよ。
何かを初めて体験して「うわ、すげえ、これ好き、今まで自分が知らなかったことがもったいない」と思う、知らずにいた自分が損してたように感じることってあるだろうに、そこで「知らずにいた自分を恥じる気持ち」にならないのは、「訊くは一時の恥、知らぬは一生の恥」の間違った解釈だと思う、誰がそんなふうに教えたんだろう。
知らないことばっかりなんだから「知らぬは一生の恥」を最初から一生分抱えてるのが「若い」ってことじゃないのか、知らないことにぶつかる前に「知らないことがある」と考えることがどうしてできないのか、そう思われていることも知らないで日々を過ごすことに何故嫌悪感を持たないのか。
そうじゃない若い人がたまにいて、そういう人は目の光が違う、俗にいう知性の光なのかもしれないけれど、アホな若い奴は若いくせにどんより淀んだ目をしていて、笑うと妙に卑屈な媚びた色になったりしてぞっとさせられる。
犬の目がきれいなのはいつも「知りたい」と思っているからなんじゃないか、そして犬の可愛げは犬であることを誰より恥じているからなんじゃないのかと、若い奴にげんなりさせられて家に帰って犬を抱くたび、思う。
そりゃもちろん、こんなこと思うくらいに若くなくなった自分のことも恥ずかしいし、犬に見つめられると自分が人間やってることが恥ずかしくなる、つまるところ、人はいつでも自分を恥じていた方がいいんじゃないかと思うのだ。
ああ、なんか「どうもこの頃自信が持てない若い人が増えているから、自分に自信を持て、自分はたった一人の自分なんだから誇りを持て」とか言い出した時代があったような気がする、テレビドラマの教師とか、そんな時代じゃなかったか、それとこれとは違うことだと、その後まで責任持って説教すべきだよなあ。
自信と誇りと羞恥心はそれぞれ違うことだけどすべて一つの同じ核にあるものだ。
自分を見つめてるだけじゃその核には触れられないのに、みんな自分のことばっかり見てやしないか。
まあ基本、「ありがとう」と「ごめんなさい」をちゃんと言えればそこそこまともに生きていける。
けれどそれもろくにできない奴が、そこそこまともに生きてるつもりになってるのを見ると、首を絞めたくなる。
恥ずかしいことに、私もそんなふうに「お前らみんな死ね」と思われながら生きてきたのだ。
けれど、そうと知った今はちょっとましじゃないか。
年をとるってことは、ちょっとましになるってことだ。
- 2010/03/23(火) 23:38:02|
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