桃まつり最終日だった昨夜、富山から帰京中のF先生、ガンホ会O先生K子女史夫妻とユーロスペースで合流、その後は卒業し損ねたばかりというO先生とこの学生さん誘って近場で自主映画の過去と未来を語らい、夫妻と私は桃組打ち上げに参戦、「へばの」監督とプロデューサーが来ていたので相手してもらい、ドキュメンタリーの新作「
LINE」を宣伝中の小谷監督ややはり公開控えた劇映画「
にくめ、ハレルヤ!」の板倉監督とかを紹介してもらい、そういえば小劇場には昔っからどこの誰だかよくわかんないけどいっつも打ち上げの席に現れてタダ酒飲みながらあれこれ偉そうなこと言ってる破落戸がいたよなあ、なんか私は段々そういう人になってきてるなあと恥じ入りつつ朝まで、まあ飲み代はちゃんと払うし何もしてないわけでもないからまだマシかと、とぼとぼ帰宅。
桃まつりプログラム、吉岡は一週目・船曳真珠監督の「テクニカラー」と三週目・石毛麻梨子/大木萌共同監督の「代理人会議」に出演、「テクニカラー」はバランス良くて上質な映画だったけど吉岡が今ひとつ冴えない感じ、「代理人会議」での吉岡は素の存在感のみ貢献しても結局のところ一人芝居で痛々しさ強く失点、どちらも監督の演出力の問題だとは思うけど、そういう現場で役者は何がやれるかが課題のはず。個人的なところだと一週目の「バーブの点滅と」と三週目の「カノジョは大丈夫」が好み、要は女優の好みなんだろう、昭和な顔立ちで昭和な青春が似合うハスッパな女って可愛いじゃないか、男優も「カノジョは大丈夫」のビッグボーイ店長が圧倒的な仕事ぶりで印象深かった。
「へばの」以降いくつか自主映画作品を観て思うのは、イベント上手でプレゼン能力が高いのだけど、自分の頭の中にあるイメージを壊していく忍耐力と勇気と現場での知恵が足らんのだろうと、映画の視点を見出せずに「撮りたいものが撮れる」喜びで終わってしまっているんじゃなかろうかと。
創るってことは、自分の思想や思考や妄想をなぞって形にすることじゃあない、人と関わって人の力で歪められて自分自身からどれだけ遠ざかっていくのかをひたと見据える時間や、その道のりこそが創るってことなんじゃないか。思ってもみなかったところに辿り着いて、それなのになんでかそこはまったく自分の生まれたところのように感じて、自分の中にあったそれからずいぶん違ったものとして出来上がったそれなのに、そのものがすべて自分自身のように感じてしまう不可解な旅だから、何度でも踏み出せるんじゃないのか。
O先生に紹介された七里圭監督がPFF同期と知って、あの当時に少しだけ触れた大真面目で貧乏臭いお兄さんたちの「モノにならない映画もどき」のバカバカしい作品や、それらを人に観せるため必死に走り回っていた日々にふらふら手伝いに行っていたことや、瀬下くんって子と横浜で上映会の司会やったなあとか、身内に中尾ちゃんって映画一本丸ごと物真似する天才がいたなあとか、つまんない映画だったけど中尾ちゃんの撮る映画はみんな大好きだったなあとか、んで映画の話しなんか一つもしないまんま打ち上げて夜明けの山下公園でフォークダンス踊ったなあとか、自分がそれなりにあの時代の自主映画の一端への思いを持っていると突然気づかされ、その頃の自主映画ってムサ苦しくてダサくて貧乏でセンスのないお兄さんたちの世界で、監督は勿論上映会の客にも女の子なんて一人もいなかった、自主映画そのものだって小難しい実験映画かバカ丸出しの女の子映画しかなくてどっちも童貞の屈折が原動力になってる妄想世界でしかなくって、そういえば16歳の誕生日は自主映画のおっさんたちと撮影で広島に向かう新幹線に乗ってたんだっけ、その後多摩芸でモグリの学生やった時ですら女子は3人、4人いただろうか、その頃にもやっぱり連中はムサ苦しくてダサくて貧乏でセンスがなくて、女子も結局そういう女子で、美大の連中はぐずぐずした男女関係で人生を学んでいたのに映画科の連中は卒制の撮影バックレた女優のご機嫌取りやらされるだけで可哀想だったなあ、撮影すっぽかして逃亡するくせに得意げにゴールデン街に呼び出したりする私のひどい振る舞いも彼らには青春だったんだろうか、私と寝てたくせに好きな女に振られて実家帰って家業継ぐと行って映画をやめてしまったあの人の東中野のアパートの鍵は返し忘れたままにまだ持っている、彼ら、今はどんな映画を誰と観ているんだろう、子供たちとポニョとか観るんだろうか。
今朝は龍社長より「モグラ、助成金でました」と報告もらい打ち合わせの日程決めて、「モグラ町」という華々しい戦歴も今年が最後だしなあ、終わったら次は何しようかなあと悶々の二度寝、夢の中で芝居やってて、私が出番を間違えて出てったら袖にいる吉岡が他の人に頭下げてるのが見えて「ちっ、なんだよ」と思った、出トチリとか台本なくすとかキッカケ通り舞台に出たはいいけど自分の役がわからないとか、冷や汗かく夢はいつも同じパターンなんんだけど、そういう類いの夢に出てくるのはいつも流山児とか佐藤信なのに今日の夢は何故か吉岡、世代交代の実感てことなのか、朝になって居酒屋出るときに「また吉岡に叱られるなあ」と思ったからなのか、そうそう帰りがけの文洋との握手は「ラースとその彼女」みたいな握手だったよ、吉岡。
- 2010/03/27(土) 17:46:10|
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