いきなりだけど、四十ちょい過ぎの女って、自意識の置き所がむずかしくないか。
子供じみた振る舞いをするのはみっともないし、大人ぶってもたかが知れてる。
当人はおおむねまだまだそのへんの若いもんのつもりなのだけど、周囲の目はそう捉えてくれない。
下手するとおばちゃんだったり熟女だったり、いや表立ってそうとあしらわれることなくとも、その実若い連中は「困ったおばちゃん」と思っているんじゃないかという被害意識めいたものを隠し持つ。
といって、それを自覚しておばちゃんらしく振る舞うにはまだまだ捨てきれぬ自我がある。
周囲に同年代が多ければそれほど感じないことなのかもしれないけれど、私の場合は基本的に若い連中と過ごす時間が多いので、ときおりさっと影のような自意識が過って、どう振る舞えばいいのか混乱したりする。
お母さんなり奥さんなりの立場を持っていれば安定するんだろう。
もしくは会社での立場とか、社会的な地位とか、自分が再確認しなくとも世の中が自動的に収めてくれる、何かしらの居場所。
それらのない妙齢の女たちは、なんだかみんなおろおろしているような気がする。
仲間内でも妹分のような性質の友人が、妙にくさくさ、尖ってくる。
何もない自分に気づいてしまって焦っている。
十代二十代の頃には、何もなくても、若さがあった、無駄に。
本人はそのままやってきたつもりなのだけど、気づけばもう「そのまま」では通用しない。
で、どうなるかというと、偉ぶる。
中途半端に見知ってしまった大人の分別があるせいで、もう何も知らない妹分のふりができない。
下に弟だか妹だかができて甘えられなくなってしまった子供みたいに、お姉さんぶって目下のお世話をして、甘えるのを我慢してる。
だけど、そんな姿も、もう可愛げにはならなくて、痛ましく映ったりする。
年寄りなんて世の中にいっぱいいるんだから、まだまだ甘えていればいいのに、母だの妻だの社長だののかっこたる自分の足場を持たぬ彼女らは、目下の前に出るともったいつけて偉ぶるか、若い連中に同化したつもりで自分を下げていて、見苦しい。
更に痛々しいのは目上の前に出たときにも同じように振る舞ってしまうことで、生意気さが可愛げだった頃の感覚そのまんま、「いつまでも小娘扱いしないで、いい加減にそれなりの何者かとして認めてよ」と突っ張るのだけど、それをやってる自覚がないのが致命的だ。
楽にしてくれ、認めてくれと足掻く姿は、他人の目を逸らさせる。
こと仕事に関してそれを確保すべく無闇に攻撃的でなんでも知ったふうな顔をして媚びる知恵も捨てた妙齢女子の醜さには、我が身に重なることが多いせいで、俯かされる。
一言にすれば意固地、ってことかもしれないけど、そうじゃなかった人がそうなってしまうのが、四十ちょっと過ぎたあたりで目についてくる。
若い頃には知らんぷりできたはずのコンプレックスが露見し、うろたえているようにしか見えない振る舞いを繰り返し、仕事の立場を死守せんと突っ張りまくっているくせに、そうと思われたくなくてかっこつけるもんだから、余計に扱いづらい「困ったおばちゃん」になる。
どうしたんだ、お前ら、かっこ悪いぞ。
かっこいい生き方なんてあり得ないってわかってるくせに、いきなりかっこ悪くもなれなくて、ぎりぎりかっこつけてるつもりになって。
それが一番かっこ悪いって知ってるのにそうなっちゃう自分を、好きになれなくて寂しがる。
たまにはかっこ悪いとこ見せてみようと弱いとこ曝してみたりするのが、またほんとにどうしようもなく惨めにしか見えない年齢である。
寂しいんだね、かわいそうに、よしよし、としてくれる人などもういない。
目上だろうが目下だろうが、健全な人はそんな心持ちに寄り添わない。
弱った気持ちに優しくしてくれるのは、甘い蜜に群がる蟻の如く弱者を悼むことでしか自分の強さを認識できないタイプのそれで、所謂屑である。
承知してるから心を許すことはない。
けれど寂しいときには寄り添ってもらう。
まさしくそうしておばちゃんらしい太々しさ、厚かましさが染み付いていく。
ちやほやされて生きてきて、どうでもいい扱いをされることに慣れていない。
控えめにしていると際限なく居場所がなくなっていくから、押し通す。
「ふうん」とか「ふん」とか言ってれば、面白がってもらえた頃があったけど、今はもう違う。
土俵際なんである。
どうかね、いっそ、思い切って熟女路線に振り切ってみては。
などと思うけど、私にそれができるかというとできやしない。
なんつうか、こっぱずかしいのね、まだそっちに行くのは。
しかしまあ、熟女になりたいもんだとは思う。
年齢相応の自意識について考えを馳せたりしないような、どっしりした太い女に。
もしくは、いくつになっても自覚なくきゃあきゃあはしゃいでいられる女になってもいい。
後者の方が楽だから、賢い普通の女は皆そっちにいくんだよなあ。
けど、ほんとのところ、自意識を持て余している妙齢女子たちの目指すところは、そのどちらでもない。
きっと、もっと薄く、影のように、ちらちらひっそり生きたいのだ。
てきぱき張り切って働く妙齢女子の看護士さんに、京都舞鶴・新世界で出会ったスナックのキョウコさんを想った。
四十女の美しさは、生き様にしか表れない。
- 2010/04/16(金) 20:19:04|
- 雑感
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まさにそういうところの真ん中にいます
回りにもそういう女性ばかりだからちょっと麻痺しちゃってる感じがありますけど目が覚めた気がしましたっ
熟女路線。。。私には難しそうですけども困ったおばちゃんではいたくないです
- 2010/04/17(土) 18:19:54 |
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>rさん
ほんとに、ふとしたときにはっと我が身がそうなりつつあると気づくとぞっとします。
私も熟女路線は難しそう…笑
- 2010/04/18(日) 10:17:25 |
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- まえかわ #-
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