仕事部屋

世界を我らに。

試写で見せてもらった知人の仕事を生意気交えていくつか紹介。

昨日は瀬々監督の新作「ヘブンズ ストーリー」@松竹試写室。
瀬々さんとはどこで知り合ったんだっけ、ピンク四天王としてその名を轟かせ、順調にベテランへの道を歩んでいると思っていた瀬々さんが今になって自主製作映画というから何事かと思った。

上映時間4時間48分という超大作、犯罪被害者の遺族と加害者の十年越しの屈折愛というのは極端な紹介か、犯罪をキイに、様々な形で巻き込まれた人々のそれぞれの時間を、四季に渡って全9章でじっくりじっくり描いてのこの分量、佐藤浩市、村上淳、柄本明、菅田俊、渡辺真起子、山崎ハコら豪華キャストで見飽きることはまったくなく4時間48分をぐいぐい、個人的には片岡礼子と江口のりこにぐっときた。

試写では2時間のタイミングでの休憩あり、劇場公開の際にも同様の休憩があるそう、それでもこのご時世に映画一本を観るためにおよそ5時間の時間を創りだせる人はそうそういないだろう、中身の問題ではなく時間拘束の問題として長いのは確かで、書き上げた75枚を42稿55枚まで削ってようやく入稿した直後の私の感想としてはもっとホンが粘って15分の9章でいいじゃないかと思ったのも事実だけど、映画を体験するイベントとして覚悟の上で来いという意味合いでか自主製作、つまるところ、瀬々さん長いと言われるのも承知でどうしてもこの分量で勝負したかったんだろうと思う、今の瀬々さんが自主製作でしかやれない形として自分の子供のように慈しみ育て上げたことはがっつり伝わってくる。10/2~ 順次公開。

続いて本日は福島拓哉監督「アワ・ブリーフ・エタニティ」@映画美学校試写室。
主演の草野康太くんが友人でご案内戴いたが、監督とも大昔に会っていたと判り、なんだか良縁。
ウィルスによる奇病の流行でパニックになった東京を舞台に「失くしたくないものは何か」を問い続ける恋人たちの物語。

草野康太と呂美のカップルの存在に「ゆらぎ」があってとても良かった、友人役・飲み屋のカップルを演じた俳優さん達も素敵だった、けど誰よりキツネ役の福島拓哉の存在がしっかり立っていて素晴らしかった、思うに、俳優たちは監督が描こうとする世界観に演技を通してしか存在できないから「ゆらぐ」のであり、俳優としての福島拓哉はこの作品の監督として世界観をすっぽり飲み込めているからこそ「ゆらがない」のだろう、そのゆらがなさは役どころに必要なものだったから、この作品においてキツネは彼にしか演じられなかっただろうと思う。
俳優・草野康太の「ゆらぎ」は、全編随所に入れられるナレーションでの決してうまくない「語り」と、物語の中で(イキイキした役柄ではないのにも拘らず)いきいき「存在」することの間にあって、キャリアのある俳優さんなのに不思議と新鮮だった。呂美の自然な存在感と草野康太の(決していい意味ではない)「演技」との間に物語の「ゆらぎ」があったようにも見えて、それを写し込めたことは、ちょっとした奇跡に近いのかもしれない。だからこそ、ひっきりなしの音楽が煩い。いや、音楽自体は全然悪くないのだけど、音楽のない時間がもっと欲しかった、息づかいを覗きたかった。10/16~新宿にて公開。

奇しくも、どちらの作品も独自の世界観を持つものだった。
瀬々作品には人殺しすら請け負う復讐代行屋が登場し、福島作品は架空のウィルスが世界を襲うという設定、それらを語るには当然ながらあれこれの説明が必要になるわけで、どちらもナレーション(独白)が挟み込まれる。
公開前に偉そうな批評をするのは知人として甚だ失礼なこととは承知で、あくまでも個人的な見方をした上で率直に思うのは、そこんとこディティールで見せてくれよ、と。監督の世界観を観たいわけじゃない、人が観たいんだ、と。どんな世界でも構わないから、そこにいる人を魅せてくれ、と。
人間関係や時間経過や設定、小説でも芝居でも、作り手が想定する世界観であるそこをついつい書き込んでしまうのだけど、それってそんなに大事だろうか。
人を描いて、人の背後にうっすら透けて見える世界じゃ、成り立たないんだろうか。
これは、自分の小説や芝居においても、常に考えてきたことだから、敢えて言う。
瀬々作品は意図してのそれとわかるけれど、それでもやっぱりもっとホンが粘ってたった一つのディティールでぐいっと切り込めていたら、監督作詞のメッセージソングがなくてもよく尺だって詰まっただろうにと思ってしまったし、福島作品においては、主人公の語りも世界の状況を説明する文字もいっそなしにして「何か異常なことが起きている世界での、恋人たち」であればもっとじんわり怖さやら希望やらが沁みたんじゃないかなあ。

以前、感想を書いた小谷忠典監督「LINE」も、アンコール上映が決まった。
作られた世界観ではなく、生々しい世界観を掬い上げるドキュメンタリー、「LINE」を観た後に「子守唄」というそれよりもっと昔の小谷作品を観て、「LINE」で足りなかったものはそこにあるじゃん、こっちの方が痛いじゃん、と思った。
「子守唄」は、役者が演じる劇映画であるにも拘らず、監督自身の傷を曝したドキュメンタリー「LINE」よりもずっと鮮やかにそれを描いていた。
それでもやっぱり、今になって小谷監督が「LINE」を撮ることは大切な意味合いがあったんだと思う。
そこを覗けるという一点において、観て良かった。どうしたことか公式サイトに再上映の案内が載っていないよう。9/4~10 19:00~, 9/11~17 17:00 @UPLINK X にて再上映。

井土紀州監督と話していて「監督ってのは役者の演技を演出することにあんまり興味がないんじゃないのか」と訊ねたのだけど、映画の監督は芝居の演出家とは違うしどう画を作り込むかが仕事だってのはある、もちろん芝居の演出家だって色々な世界観があって色んな手法をそれぞれに持っている。

けれど、少なくとも「物語」において描かれるのは「人」なんじゃないか。
それは、軽くやれば味がでるってもんでもなかろうというような芝居を延々長回しすることでも、リアルな時間経過を反映させることでも、生々しいものを写し取ることでも、印象深く美しい画の中に人物を置くことでもなく、といってそれらがよろしくないというわけではなくて無論映画には必要なものだからそこにあるわけだけど。

もう一つ別のところでの、「何か」が、ほんのちょっとあればなあ、と思う。
少なくとも観客としての私は、描かれている物語の向こうに、私の世界を透かし見たい。
「アバター」みたいな映画で、まったく想像もできないような世界観に圧倒されたい、という欲求も判るんだけど、あの世界をどう読み取るのか、思想の部分にまで追い込まれたら、やっぱり私はしんどくなる。

こうやって人の作ったものにケチをつけるのは、自分のことを棚上げするみたいで恥ずかしいのだけれど、恐らく私にも同じ課題があって、常に脅かされながら取り組んでいるせいで、そう感じるんだろう。
42稿を重ねた短編も「読み違いのないよう」「伝えたいことが的確に伝わるよう」と繰り返しチェックが入って言葉を絞り出した、つまり、私自身が今まさに突きつけられている課題なので、成果など恐らくまだまだ当分出せやしない。
短編の作業を通じて「読者に甘えちゃいけない」と切実に思わされた。
「わかってくれる」「こう読んでくれる」の先にある「わかんなくてもいいや」という甘え、曖昧さ。
そこを消そうとして説明に走り、いらぬ解説を書き加えた挙げ句、最後の最後に「これいらないや」と削った。
人だけを残したかった。そうできているかはわからない。
多すぎると少なすぎるは、結局のところ同じことで、芯に触れていないってことだよなあと思わされた。

作り手が提示する物語の端々に透けるほんのちょっとの世界観を、映画や芝居であれば観客が、小説であれば読者が、自分の日常と結びつけて更に違った画を作る、そういう感覚は、演劇的に過ぎるだろうか、決して何かの確信や自分の成果があって言うことじゃないけれど、そうありたいと思うし、思うからこそ、こんなに情熱やらなんやらの必要なものをみっしり詰め込んで完成された映画でもまだやっぱり「何か」が足りなく(もしくは過多に)感じちゃうのか、というところで、自分がやろうとしていることの果てしなさを見通して、小さな刺が残った感じ。

なんせ、応援戴いていた短編、無事、掲載が決まったので、棚上げしてられない。挿絵は宇野亜喜良氏。
9/22発売 @小説現代10月号 短編【純情ビッチ】悲願の掲載!

9/6~10 @シネロマン池袋【母娘監禁・牝】再上映!

10/27~11/3 @こまばアゴラ劇場【モグラ町1丁目7番地】三部作完結編!


しっかしまあ、行く手は果てしないよなあ。
果てしないよねえ。
  1. 2010/09/01(水) 21:47:58|
  2. 雑感
  3. | trackback:0
  4. | comment:1
<<「果てしないわねえ」

comment

お疲れさまです

五時間近く飽きさせない映画、
見てみたいです。
短編掲載、おめでとうございます!

行く先果てしないように思えるって、
なんかすごいな~
  1. 2010/09/03(金) 20:54:50 |
  2. URL |
  3. ハイジ #-
  4. [ edit]

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