仕事部屋

9.20

稽古入りしてから初めての完全オフで朝から犬の機嫌取り、のんびり手を動かしてようやくDMの発送準備が完了。

WSの連中や自主映画の若い人たちをどんどん稽古場見学に誘っているので連日誰かしら見学者がいるという異例の稽古場、作っている途中を見せるのだから褒めてもらう必要はなくて、ああ見えたこう見えたと話してもらえると嬉しい、「あそこの場面のあの芝居はアドリブなのですか」などの質問をしてもらえるのも、やっていることがどう見えているのかが確かめられて有り難いし、何より魅力的な役者たちがどうやってホンに取り組んでいるのか、演出に立ち向かうのかを間近に視ることが、役者や演出を志す人たちにとって貴重な勉強の機会になるだろうと思う。

本読みを一日やっただけで一週間の病欠だった吉岡はまだ2日しか稽古していないのに、やっぱり誰よりも完璧にホンを読めているし、ちょっとした動きをつけてもすぐに自分の感覚で飲み込んであっさりこなしてしまう、かたや、どれだけ説明してもやってみせてもこなせるだけの日を置いても、段取りを覚えることだけに留まって演出を自分のものにできない役者もいるし、次はどこのシーンをやると予定を決めているのに台詞を覚えるのがようやくで何一つ自分の案を持ち込めない役者もいる。

劇団の稽古でもWSでもないので、何がダメかなんていちいち説明しないし、できるまでやらせる時間ではない、結局、その役者がやれることを使ってどう見せるかをその場で考えて組み立てる作業になるから、役者ができない場面はばさばさ切り落とされる、大概の役者は自分の場面が切られても内心傷つこうがしょうがないなと諦めるのだけど、それはホンに対しても他の役者に対してもスタッフに対しても本当はとても失礼なことで、切られてもいい部分など台本には一つもない、といってできないものはできないんで、時間がいくらあっても足りない稽古に無駄な努力を持ち込まれても迷惑する。

つまり稽古場には「できない」ことがあっちゃいけない、稽古場で「できる」役者が普段どれだけの勉強や努力をしているか、「できない」役者は結局はただの怠け者で、いくら努力をしているつもりがあっても結果が出せない努力は自分を慰めているだけで何の役にも立たないのが稽古場、役者がやれることで組み立てるというのは演出の発想であって、「やれることで作ってもらおう」と思ってる役者など皆死ねばいい。

加齢によって身体も思うように動かなくなり記憶力も落ち、これまでできていたことができなくなったりする、そういう人たちがそれこそ骨身を削って努力し、散々な気持ちの落ち込みを奮い立てて踏ん張ってるんだから、まだまだ身体も頭も使える奴らがそれってのは人としての大きな問題だろうよ。

熟年チームのとある役者が「稽古場で調子悪くてダメだなあってときでも、昼間にバイトしてると、自分が最低の人間だって思わずに済んで救われることがある」と言っていた、「バイトしないで芝居だけやってると、稽古場でダメだったときに生きてる価値のないダメ人間だって思うから」ということなのだが、じゃ芝居なんかしないで一生バイトだけしてろよと、尤もそう言ったその人はまったくダメなんてことのない人だし誰かのことを話していただけなのだけど、どんだけしっかり働いていようがぶらぶら遊んでいようが芝居の稽古場で芝居ができなかったら生きてる価値などありゃせんのだ。

この数年でWSを復活させて、生温いアマチャンにお芝居の楽しみ方を伝えていたから、自分の中の芯であるそういう確固たる意識がぼやけてきてやしないかとわずかな不安があったけれど、ぼやけるどころかより深い部分でくっきりしてたってことだと判った、やりたいことのない人、やれることのない人に「何かができる」と感じさせるのは難しいことで、そういう人たちにだって「期待に応えよう、責任を果たそう、礼を重んじよう」という人としての気持ちはあるはずと信じるしかない。

反面、大昔の片腕に言われた「人が自分と同じようにできると思ってはいけない」という言葉、演出の役割になるといつでも反芻してしまう、「できない奴は努力が足りない」、才能だのなんだのに関係なくただ考えが甘いのだと昔から喚いていた私に「でも、本当に目一杯の努力をしたってできない奴っているんだよ」と片腕が言った、「そんなバカな」と思ったし正直今もそう思うところが大きいけれど、それは真実なのだと承知している、「結果が出せない努力は努力じゃねえよ」「結果が出せることは努力じゃなくて才能なんだよ」「じゃあみんな無能だ、死ね死ね」と、演出の技術がない私はやはり喚くだけだった。

「この人の魅力を見せたい」と感じられるようになってからは考えも変わったしやり方も変わったのに、未だ根っこにはそういう乱暴さがあるんだろう、だけど「人として素敵」であることは技術で見せるものではなくその人が死ぬ思いの努力をしているとかぶれない熱意があるとか芝居に深い愛情があるとかってことが「人の魅力」として輝くのだから、やっぱり私の思うことはそうそう極端に間違ってはいない。

「人を見せたい」と思うとき、ありのまんまに立つことができるのは紛れもない天性の資質だから、普通の人のそれをしようと思うと、何かの形に流し込んで、そこからこぼれ落ちるものの輝きによって観る人に気づかせることになる、私が作る芝居の本質はそういうことなんだろうと思う、役者として努力の結果を出すことは確かに才能なのかもしれないが、人が必死に何かをやる、その努力の結果を出すのはその人の人生の問題なんじゃないのか、それが見えるから「芝居って面白い」んじゃないのか、間違った方向での無駄な努力で勝手に諦められても困る。

「そういう人に見える」ことが一番の巧さってことを知らない人はまだまだ多くて、そういう人たちの目にはモグラの役者連中は皆芝居の下手な人に見えるというのも事実、草の根運動はまだまだ続く。
  1. 2010/09/20(月) 02:28:52|
  2. 雑感
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<<9.23

comment

前川さんの文章を読むと、いつもキリキリ舞いすることになります。自分が自分についている嘘を、それが嘘だということを痛切に思い知ることになって。
レイモンド・チャンドラーの小説で、
「気の弱い人間は、いつも二番目に大事なことばかりしている」
というような文章を読んだ覚えがあります。
前川さんが突きつけるもののキツさは、この一番目に大事なもののキツさなんだろうな。
  1. 2010/09/22(水) 06:56:23 |
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  3. レフ #-
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>レフさん

こんにちは。
チャンドラー、さすがの一文ですね。
私、他人のことを批判的に言うような書き方で自己批判するタイプなんです 笑
客観性は職業意識の一つだと思うのですが、人に厳しくあれば自分も楽ができなくなるので、そうやって無理矢理にちょっと高いとこを目指そうという魂胆もあります。
他人に甘く自分に厳しいというのが理想でしょうけれど、そういう自己犠牲精神には到底辿り着けそうにありません 笑
  1. 2010/09/23(木) 14:55:55 |
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  3. まえかわ  #-
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