仕事部屋

塩野谷さんのこと。

そうかそうか、と一人合点したのは昨日の稽古前、ふと考えてみると、塩野谷正幸という俳優は私の数少ない舞台出演の中でも一番数多く共演している人なのだった、どおりであれこれ透けて見える気がすると思ったよ。

塩野谷さんは、私が自分の劇団を旗揚げした頃から流山児事務所(当時はまだ演劇団と名乗っていた)のトップスターで、初めて観たのはスズナリの「緑青色の風邪薬」という芝居、タイトルまで覚えている芝居なんて滅多にないけど覚えているんだから、それなりのインパクトがあったに違いない、塩野谷さんはニヒルでかっこいいお兄さんだった、小劇場にこんなかっこいい人いるんだって驚いた、だからそれからも「血風ロック」とか、映画館でちゃんと観た。

その三年後、流山児さんからのお誘いを戴いて流山児事務所プロデュース、寺山修司作、佐藤信演出で「青ひげ公の城」というのに出た、それが塩野谷さんとの初対面初共演、塩野谷さんはニヒルでもクールでも何でもなく気のいい田舎のおっちゃんで、「マエカワ、うしろからマエカワ」という駄洒落がお気に入りでその後も二年くらい言ってたと思う。

続いて「悪魔のいるクリスマス」「ピカレスク・イアーゴ」、私が演出したマニャーナ・セラ・マニャーナでの「アパートメント2」、塩野谷さんが企画演出した「さらば、映画の女」もあって最多の演劇仲間。

「悪魔~」の新潟公演のときにはキャストスタッフ一同が新潟の塩野谷さんの実家に泊めてもらった、議員やってたお父さんが家庭用カラオケセットのすごくゴージャスな奴で北国の春を歌ってた、あのお父さんはもう亡くなったそうだけど、出されたご飯をもりもり食べて、いくら米が旨いからって食べ過ぎだな変だなと思ったら私のお腹には命が宿っていて、塩野谷さんちのご飯で命の芽生えを支えられて生まれた娘はもう二十歳だ。

塩野谷さんは「アパートメント2」で小道具だった生後六ヶ月のうちの娘とも共演している。「俺の子だったかもしれないから」と、上等な洒落を言いながら、その後もしばらくは娘の写真を楽屋の鏡前に貼っていてくれたそうで、娘の父親である初代旦那が「なんだあれは」と笑っていた。

よくある家族ぐるみのお付き合いなんて品のあるあれじゃないけれど、芝居をやる仲間ってのは一瞬にして家族になるもんだから、友達とは言えない気がする。そういや去年、塩野谷さんの娘とも飲んだ。

役者の塩野谷正幸は器用なタイプじゃないだろう。けど、ダメ出しがいらないのは経験値なんだなあ。
稽古しててダメ出しポイントを見つけてダメ出しするのが演出の役割の一つだけど、どこでどうトチッたか、どこがどう違うか、何をどうしたらいいのか、いつだって自分自身でやった瞬間に気づく人だから、塩野谷さんのダメ出しは、二度同じことをやったときだけに言う。

その塩野谷さんが、本番で自分の台詞を喋ることをすっぽり忘れた挙げ句まったく気づかずに男らしい沈黙を通したのが「モグラ町」。

「モグラ町」シリーズで塩野谷さんが演じているのは平井家の次男・将司(マサシ)で、「そのまんま」と評判だけれど本人曰く「アサコの中の20年前の俺」だそう。その距離感があるから面白がれるんだろう。
本読みのときから、ト書きにある「将司、~する。」とかのたんびに噴き出して、~しながらの自分の台詞を読みながら、くすくす笑ってた。

この時代に生きている人は、一度は塩野谷さんの芝居を観ておかなきゃいけないと思う。
昭和と平成に跨がって塩野谷正幸であり続け、今も尚日々の成長をし続けてるってのは、当たり前のようでその実誰にでもできることじゃないし、それだっていつかはふいっと終わってしまうだろうから。
「モグラ町」じゃなければ流山児事務所の公演でもいいし、他の芝居にもたくさん出ている。

芝居だけの付き合いだから人柄のことはわからない。
もちろん、知っている限りでどれほど彼が素敵な人かを語ることはできるけれど、そんなものは、お客さんが舞台を観て想像して楽しめばいいことだし、塩野谷さんを知っている人には、私なんかが言うそれよりもっと胸深いところでの実感があるだろうから。

ただ一つ、私にとって、芝居は生きざまだと感じさせてくれる役者であることは間違いない。

しおのやさん


塩野谷正幸の「モグラ町1丁目7番地」を是非。
  1. 2010/10/08(金) 14:12:55|
  2. 雑感
  3. | trackback:0
  4. | comment:0
<<龍さんのこと。

comment

contribute

display in just the manager

trackback

Trackback URL
http://workroom.jp/tb.php/966-d447c7ae
trackback for FC2 user