仕事部屋

師走。

一ヶ月前に公演が終わったばかりとは思えない、なんだかもう大昔のような気がする、終わったらあれもこれもしなければと思っていながら何もできていないせいか、七里圭に始まって井土紀州という同世代監督の仕事を追いかけ続けているこの一ヶ月、当然のように宴席に上がり込んで相変わらず偉そうなこと言ってるのだけれど、最早そういう自分を恥じる暇もないほどに毒されて、ぐったり朝方に帰宅してもなかなか寝付けない日々、犬に添い寝されながらイライラじりじりと自分の行く末を思い、不安と焦燥で眠りも浅い。

やたらと映画に詳しい若い人たちと話していて、ふわっと優しい気持ちになれることも多いのだけど、ざくざく足踏みしている若者の大群に飲み込まれているような錯覚で恐怖することもあって、憧れて近づいた諦めと開き直りと我道の力強さすら蝋燭の炎みたいに思えて触れられない、ついこの間まで同じ作り手がそうした場の熱気にやられて倒れ込む様子を視るたび何をそんなに怯えるのだろうと不思議だったけれど、ああこれは怖いやと気づかされた。

今年中にやろうと思っていたことが何もできないまま想像すらしなかった出来事の対応ばかりに追われていたと自覚しつつも、期待したような進歩も変化もなく、落とし前のつかない人生やってるなあ、うっかり放り出せないものばかり抱えてるなあ、身動き取れなくなる一方だなあとため息。

親もなく夫とも子どもとも離れ家も仕事もない、ようやくこれまでの短い人生で一番自由な時期を迎えているのに、いざとなると何もできない及び腰、環境やら体調やらのせいにするほど大した野望はないけれど、自由はいつから呪詛になったのか、何でもできるどうにでもなれると思うほどに何をすべきかと考えてしまう、それ以前に違う自分になれやしないと承知しているせいなのか、ただもうかつてわずかな自由を手にしていたときほど自分が若くはないという現実のせいなのか、ひたすら借りが嵩む人生のせいなのか、いっそもっと飢えればいいのにと思ってみたりもして。

私の置き所がなく立ち竦む少女にも、女のやり場がなくなって迷走する中年女にもなれない、闘う若さも護る賢さも持てない、長年願い続けたように這いつくばってでも生きる図太さには近づいているのだろうけれど、それはこんなことじゃなかっただろう、ただあと一歩を前にして張り付いている足にばかり目がゆく、焦るな焦れるなと言い聞かせて多くを飲んできたツケかもしれない。

他人と出逢い関わることだけで人生が動いてきたこれまでとは、もう違う。
今の私が出逢い関わることで動くものはすべて他人のそれだ。
留まるところを望もうが望むまいがそうなる時期なのだろう。
すべきことと覚悟は整っているし、恥を重ねる時間はまだまだこの先いくらでも余ってるし、タイミングだけが掴めなくて焦れてるんだよなあ。
承知の上で、頭の中の焦れが自分の足先に伝わるまで、まだ待つ。
そのときがきたら大変な忙しさになるぜと暢気な自分を、周りはもう動いているよと煽る自分もいる。

そうか、5月にはまた芝居やるんだった、てことは3月には台本ないといかんのだ、その前に動いておきたいいくつかのこと、それを考えると待ってる場合じゃないよなあと、ほらもうジリジリが駆け巡る、つまり束の間何もしていないときはいつもそんな感じで、何かを待ってじっとしてたことなんぞありゃしないのだが。



12月ワークショップ 参加申し込み受付中
12.11~12 18:00~22:00 @南阿佐ヶ谷ひつじ座
申込〆切は12.10正午まで。
  1. 2010/12/01(水) 18:31:28|
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