熱が下がり始めたのが5月に入ったあたり、そこから2週間の様子見をして職場に復帰した。
これまでの部署が業務を縮小したので、他の部署に回され、以前の事務所なら10人規模の部署でこなしていた仕事と、5人前後のチームで引き受けていた仕事の両方を、ベテラン社員2名のアシスタント的な役回りでやることになり、これまでの部署の仕事もある程度はやっているので、3部門に渡ってのサポートをしていることになる。
数字を扱うようになったがなんとか追いついているのは、療養中に覚えた数独の成果だと思う。
職場ではまだ一部の社員がリモートワークを続けており、一見すると私が入社した頃の4分の1くらしか人がいないので不安になるが、まあなんとかコロナ波を掻い潜って生き延びたようだった。
家庭内のコロナ波は落ち着いたが、3月末に紹介状をもらった大学病院の予約があったので復帰直後に受診した。
当初疑われた病気ではないと診断され、新しい病名での疑惑を告げられたが「うちはそっちの専門ではないから」とまた他の専門医の紹介状をもらうだけに終わり、未だ何の病気か確定していない。
犬も孫も娘も亭主も元気で、私だけ不調が続くので、この頃は家事などもサボり、6月だけは時短勤務にして更に負担を減らそうとしている。
1ヶ月半も働かなかったのになんとか生きていられるとわかって、気が大きくなったのかもしれない。
何より大きくなったのは犬だ。
立ち上がれば孫より遥かに大きく、横になれば我々夫婦のどちらよりも幅を取る。
ベッドを大きいサイズに買い換えたいので、粛々と働くしかない。

ひとまず、無事のお知らせを。
- 2020/05/31(日) 23:34:36|
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世の中はなんかもうみんなどうしようもない状況になっていて、絶対感染すると思ったし、感染してるのに出歩いていたら周りの人にも感染させるじゃないか、死んでしまう人もいるかもしれないのにそれでもいいと言える会社なんて無責任にもほどがあると散々意見はしたのだが、休みたければ休んでも構わないけど有給消化でねっていう勤務先に文句言っててもどうにもならないので休みます宣言をしてかれこれ10日の欠勤、案の定その後同僚から陽性確定が出て、当然ながら自宅待機の指示が出た人もいるのだけど会社は休業せず出勤を続ける人がいて、雑居ビルの最上階だからエレベーター使うんだけど他のテナントさんにちゃんと周知してるとも思えず、換気と消毒を徹底していきますとかいってる時点でアウトだし私のように本人の意思で休んでる人には国の補償がないから会社からの補償もないという状況で、休みたいけど生活できなくなるから休まないという従業員もいるわけで、そういうジレンマはどこにもあるだろうし、もはや生活ができなくなるとかって状況以前に世の中が普通じゃない、世界規模の危機状況にあるんだから自分の生活の心配している場合じゃないと思うし意見はしているんだけど、誰だって生活はしていかなければならない、もう少なくとも自分単位で家にひきこもってAmazon経由でささやかに経済を回す努力をするしかない、しかし実際のところ微熱とか咳とか尋常じゃない倦怠感とか味覚異常が出ているので感染しているんだろうけど、保健所に相談すると発熱2日続いたら・喘息発作が出たらかかりつけ医に電話相談との指示で、治療薬もワクチンもないんだから検査で陽性が確定しても寝て治すしかない上に十分な物資がなく医療崩壊が始まっている現状、よほどの状態にならなければ自宅で寝て治す覚悟だが、そうなると必然パンダ1頭分の距離が取れない家では隔離など非現実的だし早々亭主にも同様の症状が出ている、まったく症状が出ていない娘と孫が感染していないとは考えにくいので家族クラスタには違いないのだが、家庭内では皆が淡々といつも通りに暮らしている。
- 2020/04/20(月) 20:20:23|
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犬の著しい成長には目を瞠る、生後8ヶ月を過ぎて中1男子のていになった、孫と結託して悪戯をするので犬だけではできない悪さや2歳児だけではできないことが頻発して手に負えない、家では1号2号と呼ばれてコンビ扱いになっている、これまでの2号による被害はスリッパ2足・パスケース・腕時計・ヘアブラシ・ヘアクリーム・乳液2瓶・塗り薬2本・ボディタオル・ボディソープ・リモコン4台・マッサージ機と総額5万円はくだらない、1号による被害も同じくらいはあるだろう。
業績が思わしくない上に代表弁護士が入院して事務所内が落ち着かず業務のストレスからかメニエール症状が再発、アプリで雨の音や焚き火の音をイヤホンでひたすら流して耳鳴りを軽減させている、座り仕事なので目眩の影響はそれほどないが、往復の道のりで真直ぐ歩けずにガードレールにぶつかったりする、半休で様子見するも回復せず翌日には結局休んだ、布団で焚き火の音を聴きながら犬に添い寝されている。
新型ウィルスの影響で客入りが心配だった拓也の特集上映だがぼちぼちの入りで、いまおか作品の日に亭主や成田くんと立ち寄った、最終日に亭主が単独出向いたところ立ち見の大盛況だったらしい、特集が組めるほどの仕事量が早逝だけの評価ではないことを証明したが、確固たるものでない段階であっても動きが止まれば固定されてしまうんだなと突き刺さる、皆に惜しまれているのは勿論だけど当人の無念さには及ばないだろうから。
寺十さんが 演出する鵺的の公演でも終演後の挨拶や飲みが禁止されていた、演劇人にはダメージが大きいウィルス騒動だが、飲まない人の芝居はキレがいいからなあ、ここでいうキレは身体的なことではなくお客さんと飲んで言われるあれこれに揺れることのないココロの吹っ切れ的なキレである、客席の反応に乗せられて調子づく芝居よりストイックに出来事への反応を積んでいく芝居が好みであれば、無観客公演こそベストなのかもしれない、観客でいる以上それを鑑賞することは叶わないわけだが。
イベント関連が尽く中止になって亭主の仕事がない、家にいるのは後ろ暗いらしく家事全般をいそいそこなすので助かるのだが本人も不安だろう、孫が保育園に入れないので娘は相変わらず専業主婦をやっている、自分一人が働く状況になったからといって収入が増やせるでもない、世の中全体がそうなっているのだからどうしようもない、それだけの状況になってようやく日本はどうなるのだろうとぼんやり思う。
亭主に限っては、家にいる時間が増えて犬や孫と遊べる分、2号など1人毎日働いている私に見せつけるようにすっかり亭主に懐いており、出かける時すら見送りもせず亭主に体を寄せてだらりと伸びている、いつもは亭主を見かけると物珍しげに「ジージだ!」という1号もここのところは「バーバだ!」と言う。
世界的大不況の足音に怯えて心落ち着かぬ我々であっても、日常がいつまでも緊急事態では暮らしが危ぶまれる、通勤駅周辺の繁華街で客待ちのタクシーがずらりと並び客引きのお兄さんやカタコトのお姉さんが歩道を彷徨いている様はうらさびしい、これまでにも様々を乗り越えたのと同じく一日も早く沈着して冷静に情報を判別し、できることを手抜かりなく消化するだけの緊張を保ちたいと願う。
皆さんご無事でね。
- 2020/03/19(木) 12:59:33|
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インフルエンザのシーズンをなんとか乗り切れそうだと思っていたら新型のウィルスが猛威を奮っている。
上野〜秋葉原を通過する通勤電車なのでマスクが欠かせない。
中国では犬が建物から投げ殺される事件があったらしい。
外出禁止令など出されては犬の散歩ができず、散歩ができなければ犬は室内で猛り狂うだろう。
痛ましい。
歳のせいか動物が痛めつけられるニュースが見られなくなった。
YOUTUBEでは犬の動画ばかりを視ている。
犬のトレーニング動画を視ていると初郎がやってきて一緒に視ることがある。
動画で学習してくれればこんな楽なことはないと笑っていたが、5ヶ月を迎えたあたりから急速にしつけの効果が出てきて優秀になったので、あながち笑い話ではなかったのかもしれない。
去勢手術を済ませて落ち着いたころに、ドッグランに出向いた。
常連犬たちに囲まれても怯えず怖じけず、そこそこの社交性で一緒に遊ぶので、常連ママさんに「えらいねえ」と褒められて嬉しそうだった。
お腹を下したので獣医に連れて行ったら、「もう大人だから小犬用のフードは脂質が強すぎる」と言われた。
確かに顔つきも体つきもしゅっとしてきたし、挙動もかなり落ち着いて聞き分けが良い。
いつの間にかもう大人だったのかと寂しい。
- 2020/02/13(木) 00:37:56|
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先日、瓜生くんとガンツさんが共演するというのでスズナリに出向いた。
下北沢はわけのわからぬ変容ぶりで戸惑う。
街の佇まいや匂いが変わってしまうと、馴染んでいたはずの何かがすべてはぎ取られたような寂しさになる。
スズナリは変わらずで、瓜生くんもガンツさんも、観に来ていた自由先輩も、変わりなくてほっとした。
その日の芝居に出てきた役柄の一つが拓也に見えて仕方なかったので、ガンツさんに「かと万でお世話になった櫻井が」と話しかけたら「上野の特集に行って映画観てきた」と。
嬉しかった。
スズナリの並びにある居酒屋の軒先で拓也と飲んだっけな。ゲネプロを観に来てくれたときだっけ。あの時は稽古場も観に来てくれていた。そういえば、稽古場付きをやらないかと声をかけたんだった。撮影が入っているというからやってもらえなくて、本人も残念そうだった。
なんでもない時に、ふと、拓也がいつかワークショップで誰かと交わしていた会話を思い出したりする。なんてことのない言葉のやりとりなのに「へえ、こんなこと言うんだ」と新鮮だったから覚えている。
櫻井拓也特集上映ガンホの新作も観た。拓也もさぞかし観たかっただろう。
- 2020/01/26(日) 23:15:59|
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階段を昇ることを会得し、日中は保育園と呼ばれる娘の部屋で遊ぶようになった。
段取りに手間取ってお膳立てがうまくいかない上に指示が不明確で合図がぶれる亭主の言うことはまるで利かないが、私や娘の指示には概ね従うので、やはり躾は合図とお膳立てがすべてなのだろう。
初郎は大晦日から生後5ヶ月目に入り、小3男子っぽくなった。
知恵のつく速度は2歳児など到底及ばない。
弟ができたつもりが一足飛びにお兄ちゃんぽくなられて、2歳児は世話焼きを諦め、すでにマイペースを取り戻した。
年末は夫婦とも29日が仕事納めで、30日と大晦日に突貫の大掃除をして、なんとか無事に一年を終えた。
亭主の実家には帰らなかった。いつも支えてもらっているのに1年に1度しか顔を見せない不義理だが、今年は家にいたかった。
去年は犬息子を連れて行ったので、写真が残っててよかった、と義母が言ってくれた。
そもそも1月3日は母の命日で、母を亡くしてからは正月を正月らしく過ごさなくなった。
初詣にも行ったり行かなかったりだし、年賀状は出さない。
小説を書いていたときは、1週間以上部屋にこもって原稿を書いたし、年末進行さえ乗り切ればただただ休日としてのんびり過ごせる唯一の時期でもあった。
芝居をしているときは、毎年三ヶ日のどこかでワークショップの人たちが年始に寄ってくれた。
帰省しない連中が酒や料理を持ち寄ってくれたりお節料理の差し入れを戴いたりで、
正月気分はまるでなかったが、引きこもって作業し続ける中に賑やかに過ごす日ががつんとあって、それが年始という実感になっていた。
今年は犬と一緒にだらりだらりと過ごした。
小3男子は夜10時を過ぎると眠たくなってしまい、朝はきちっと8時に起きる。
寝るときと起きたときには帆太郎の写真に声をかけ、
あとは初郎のトイレや散歩のトレーニングにかかりっきりだった。
かつて帆太郎がきた当初も、毎日の散歩でどれほど健康的な生活に切り替わったことか。
〆切と稽古入りと千秋楽で区切りをつけて生活していた頃に比べ、サラリーマンの生活にはこれという区切りがない。
年度末といわれるそれも、私の業務にはあまり影響がないからだ。
気がつけば今の事務所に入社して1年と3ヶ月。
この正月休みで、初めて、仕事のことを頭から締め出して過ごすことができた気がする。
明日から出勤するのだけど同僚の名前を覚えているかしら。
また一年が始まる。
これからの一年でも、きっとまた誰かを失うんだろう。
そういう年齢だと諦めて、もっと穏やかに、もっと誠実に、「どうしようもない」の美学を実践できるようになりたい。
- 2020/01/05(日) 21:59:26|
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2003年4月10日に生まれたイタリアングレーハウンドの仔犬は、生後4ヶ月ごろから私の息子になり、2019年12月6日に16年と8ヶ月近くの短い生涯を、私の腕の中で終えた。
寝たきりになって、介護にへとへとになって、食餌もとらなくなって衰弱して亡くなるものだと、覚悟していたところが、あまりにも急だったので、未だどこかぽかんとしてしまう。
亡くなる前日に診察を受けた呼吸器科のレントゲンでは、心配していた気管虚脱は軽度だが肺に爆弾みたいなものがあるから突然の呼吸困難で亡くなる可能性もあると言われていた。
その夜も、いつも通りに食餌を完食し薬を飲んで落ち着いた様子で寝ついたので、早めに診察を受けて良かったと話していた。
全盲だったので排泄や食餌は抱き抱えて移動させる必要があったし、足は少しふらつくようになっていたが、16年と8ヶ月を静かに穏やかに生きていた。
可愛がってくれた人たちや、2度の交配で生まれた仔犬たちの家族に訃報を知らせ、たくさん優しい言葉をもらった。
骨壺を置く棚を寝室に取り付けた。
扉つきの棚に、写真を飾り、骨壺を置いた。
朝起きてからと、仕事を終えて帰ってからの時間を、持て余した。
後悔を数え上げたら自分が生きていけなくなりそうなので、泣きながら、次に飼う犬を探した。
12月17日、私たちは新しい仔犬を家族に迎えた。
ウィペットという犬種なので、名前は「ういろう」にした。
老犬から苗字をもらったので、濱田初郎という名前になった。
千葉の先まで電車で迎えに行った。
犬舎はあの大雨災害で被害に遭っている。
必死で守り抜かれた命を譲り受けた。
4ヶ月を過ぎたばかりの仔犬なのに、亡くなった老犬より二回りほど大きく、老犬が愛用していたスリングから体がはみ出す。
体半分のスリングで大人しく連れてこられ、居間に置いた新しいハウスで、とうに老犬が遊ばなくなったお古のおもちゃで遊ぶ。
注文していた仔犬用の首輪が届いたが、はなからサイズアウトしていたので返品した。
今のところ、老犬が一番小さいベルト穴で使っていた首輪の、一番大きいベルト穴でぎりぎりに留まるので、これも老犬のお古を使わせている。
1階が、廊下〜台所〜居間〜書斎〜廊下と、ひとつなぎのぐるりなっている間取りなので、トレーニングから解放された仔犬が狂ったように駆け抜ける。
そうやって骨折すると知っているから、フローリングの部分に滑り止めのカーペットを敷いたら、孫が床でゴロゴロするようになった。
獣医のチェックを受けてから散歩に連れ出したが車や人を怖がって歩かないので、抱き抱えて歩いた。
外国の漫画に出てくる、子どもにしがみつく気弱な大型犬のような状態になる。
足音が大きいので、気配だけでは亭主と犬の区別がつかない。
歯が抜け始めているので、部屋のあちこちで小さな歯が見つかる。
健康な目は表情が豊かで、視線が合うたびに孫が笑い転げる。
仔犬は、後ろ肢で立てば孫の背より大きい。
その図体が、1メートル近い距離から私の膝の上にどさっと跳び乗ってくる。
私と娘は仔犬のしつけ方の情報を収集して、励まし合いながら取り組んでいる。
そうだった、こうやって育てたんだったと思い出して、してやれなかった悔いの分、やり直しをしている。
仔犬は隅々までとても健康な、しっかりした体をしている。
若さと生命力が満ち満ちていて、そのことに、また涙がこぼれる。
濱田帆太郎
濱田初郎帆太郎を可愛がって下さった皆さん、ご援助下さった皆さん、お悔やみを下さった皆さん、誠にありがとうございました。
おかげさまで、結構な生涯だったろうと思います。
この2年の隠居生活はしみじみ幸せそうでした。
引き続き、初郎の成長もどうか見守ってやって下さい。
- 2019/12/24(火) 03:59:08|
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風邪気味であったところ深夜に喘息の発作が出て、亭主に付き添ってもらい徒歩で救急病院へ行った。
真っ先に強心剤を打たれ、点滴を受けて治ったが、医者は入院しろと言う。
早くとも3日間は1日3本の点滴が必要、という見立てだ。
仕事もあるし犬息子の世話もあるし何より点滴が嫌だとぐずぐず言って、明日午前中つまり数時間後に外来で診察を受けることを条件に帰宅した。
外来で入院と言われたら素直に従うよう言い含められたが、自身の体感としては回復しているので「わかりました」と軽々返事をした。
言われた通り午前中に外来を受診したが、寝不足だし心臓はばくばくしてるし手は震えるしで心もとない体調だった。
外来の専門医は「強心剤はやり過ぎだよねえ」などとゴチながら一通りの処方をして「入院するほどじゃないでしょ?」と帰された。1日3本で3日間と言われたそれも指示はなかった。
救急から帰った時点で職場には医者の見立てをそのまま伝えて休みをもらっていたので、それから数日間、家でひたすら寝て過ごした。喘息は治ったが、今度は肩首の痛みが出て、職場に復帰してからもデスクワークがしんどい。
今度は近所の整骨院へ行き鍼治療を受けた。
喘息発作の影響で、脊椎のどこかが捻挫のような具合になって腕や肩首に影響が出たらしい。
初めて行った整骨院だったが相性が良かったらしく、通う気になった。
効果が出ているので、週に2度、鍼に行っている。
そもそも、喘息発作が出たのは服用を続けなければならない薬が切れていたからで、近所の喘息専門医との相性が悪く薬を貰いに行きたくなかったからだ。
喘息の専門医が近くにあると知って幸運に喜んだが、最初の診察で「タバコやめないと薬出さないよ」と言われその医者が嫌いになった。
禁煙治療を受けるときも、処方してくれる医者が近場でほかになく、渋々にそこで受けたのだったが、ろくな問診もせず診察代をがっつり取られることにもうんざりで、意地でもそこで喘息の薬はもらうまいと決め、禁煙治療を終えてからは行っていない。
ぜろぜろするときには一番通いやすい距離の耳鼻咽喉科で処方してもらっていたが、この医者は「うちは喉まで。喉から下は専門のとこで診てもらってね」と喘息の薬を出すのを嫌がる。
仕方なくほかの内科で処方してもらったりで、毎回違う医者を探すのも煩わしい。
不本意なドクターショッピング状態になっているのだ。
治療なんだから専門医がいいに決まってるのだが、いかんせん相性がよろしくない。
こちらがただ嫌うばかりではなく嫌う理由もあるのだが、これも医者側の立場で考えれば相性で、そういう態度をしたくなる患者ということになる。
電話相談の受付という仕事をしていて、それがわかった。
まともに会話するのが生理的にしんどい声というのがあったり、相談内容にムカっとしてしまったり、相手の一言がいちいち気に触るようなことが、実際にあり、そういう場合には他の人に代わってもらうことにしている。
同僚はお互いにそうした好みを知っているので、交代は最善策で、私が代って引き受けることもある。
褒められたことではないのだろうが、そういう好き嫌いと信頼は切り離せない。
その場しのぎに愛想よくしたところで、万事うまくことが運ぶとは限らない。
費用の分割などの相談も自分の判断で取り決めることになるので、こいつなんだか胡散臭いな、とかの感覚的な判断が必要になる。裏切られることも多いが、それは自分の直感に裏切られるということだ。
事務所の入り口に、プラスチックのケースに入った造花が飾られている。
電話相談で私が対応した大阪の相談者が、お礼にと私宛てに送ってくれたものだ。
この相談者の場合、すぐに仮受任となったがその後アドバイスを重ねたところ自己解決できてしまい弁護士への委任にはならなかった。だから費用がかからなかった。
受任となって相談員宛にお礼の手紙が添えられた書類が送られることはあっても品物は珍しいらしく、こちらは照れるばかりだが、事務員が沸いた。
急に相手が怒り出したり、クレームが入ることも多い。
話す内容はすべて同じだし、手順一つ変わらないのに、こちらの嫌悪が伝わってしまう。
医者も教師も、そう違わないのではないかと思う。
そうであってはいけない、というのは表面上の理屈であって、理想に過ぎない。
人間だから信用ならないし、人間だから信用できる。
一括りに言えば相性だ。
だからこそ、ある程度のマニュアルも必要になるし、マニュアル以上の対応には心が動く。
俗にいう神対応というやつだろうが、誰も神にはなれない。
章が追加された森達也の「A3」を読んで、そんなことを考えた。
この頃はテレビのワイドショーをチラ見するが、人のしくじりを罰する人が多いなあと驚く。
罪を、赦すための罰、であるはずが、誰もが過剰に感情的になっているような雰囲気で、心地悪い。
「A3」は憎しみ或は憎しみの果てに生じた無関心が真実を覆い隠すのではないかと問い掛け続けていた。
許せないという感情はあっていい、だがそれは結論にならない。
子供のころ、登場人物が2人だけのテレビドラマを見た。
単発枠で、柄本明演じる教師と、木内みどり演じるひきこもりの子の母しか出てこない。
子どもは中学生という設定だったか、子供部屋から出てこないままに、ドラマは終わった。
猛烈に面白かったので、エンドロールを食い入るように見て、森達也の名前を覚えた。
その名前が本当に森達也だったか、今となっては定かではないし、そうだとしても同じ人かもわからない。
キャストにしても覚え違いかもしれないし、もはや本当にそんなドラマがあったのかすら危うい記憶だが。
ただ、「不在」を廻る、もしくは「不在」という圧倒的存在を廻るドタバタを、不毛と切り捨てない語り口は、やはり森達也なんじゃないかと、今は思うだけだ。
かつて紹介を受けた仕事で、「相性の悪い人とうまくやる方法」についての講義をしたことがある。
ビジネスマン向けのセミナーだったが、嫌いな客に愛想よくできないラーメン店の店主だったり、嫌いな上司の言うことが耳に入らないビジネスマンや嫌いな人たちと毎日ランチしなければならないOLさんだったりが、悩んでいた。
どんな解決法を話したのかこれまたはっきりとは思い出せないが、「嫌いな人を無理に好きになる必要はない」というようなことを主軸にしていただろうと思う。
ではどうやったらうまくやれるのか、については何を話したのだったか。
今は「不在」を捏造するという方法を考えている。
架空の誰かを挟んで直接対峙しない。
仮想的を作って共闘の立場になるとか、この人が自分の大切な人の知り合いだったらとか、自分が直接に関わるわけではないという逃げ場を用意する。
職場では反社会勢力の人たちが「不在」の誰かになり得るし、病院では看護士さんたちが「不在」の誰かになり得る。
実践のため、嫌いな専門医に行くべきだろうか。
それより、ほかの医者を探すほうが良さそうに思うが。
- 2019/11/22(金) 02:38:07|
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亭主がカヌレを買ってきて「これなに?」と訊くので「フランスのすあま」と答えた。
カヌレは焼き菓子だから正しくはないけれど、食感的にはすあまだと思う。
私も娘も好きなものを飽くことなく繰り返し食べるのだが亭主は常に目新しいものを食べたがる。
私の父もそうだったが父のそれは職業柄だったのだろう。
亭主は「好みのもの」を未だ探しあぐねているような節があり、食べ物にしろ衣類にしろ買い物に迷う。
アマゾンのサイトをうろついて仕事用の安全靴を買うというから明日にもアマゾンから届くのかと思いきや、暇があればホームセンターまで出向いて試し履きをし、そこから更に迷って、安全靴など履いたことのない私の意見まで聞き、更に熟考した上で結局はアマゾンで注文するという具合だ。
私は買い物が早い。頭の中で常に欲しいものリストが更新されている。好みのディティールがいちいち細かいので、もしかしたら私の好みにぴたりと嵌るそれはこの世に存在しないのではと思うことすらある。だが見つける。様々な情報から思い描いていた理想形に近いものを発見すれば迷うことなく買う。
今一番欲しいものは闇金ウシジマくんのフィギュアなのだが、これは私が買ってもいいと思える値段では見つからず、「欲しいのはコレなんだけど高いんだよなあ」と買わずにいる。モノの値段にも好みがあるのだ。
「好み」という考え方は幼い頃に従姉妹から学んだ。
高知に住む従姉妹が大学に入る前に東京に遊びにきたので、買い物に付き合った。
セーターが欲しいというので、いっぱしのガイド気取りで渋谷〜原宿あたりを歩き回って探そうと提案したのだが、「煉瓦色のが欲しい」と、彼女の目的は明確だった。ぶらぶら歩き回って目を引くものを手にするような買い物しかしていなかった私には、「こういうものが欲しい」というはっきりしたイメージを持つ彼女がかっこよく思えた。
オレンジじゃないし赤じゃないし茶色じゃないしと探し回ったが、結局見つけられずに買わなかったのではなかったか。今は煉瓦色のセーターなど珍しくないのだが、あの頃、そんな色合いのセーターはなかなか見つけられなかった。
亭主の買い物の仕方に、もう30年近く会えていない従姉妹を思い出した。
イメージを固めるためのリサーチに手間隙を惜しまないのは良いと思う。
なのに何故おやつに限っては、食べたことのない=どんなものだか今いちわからない冒険を好むのか。
やはり、好みがはっきり固まっていないのではないか。こどもか。発見したいということなのか。
私はおやつに冒険はしない。
娘はおやつを手作りする堅実派で、無駄な買い物をまったくしない人だ。
節約を心がけているというよりは、娘自身に欲しいものがあまりないらしく、たまに孫の衣類を買い足す程度で自分の買い物は殆どしない。好き嫌いの傾向はあっても、どうも自分の好みに今ひとつ自信がないようなところがある。
衣類は中学生の頃から現在までほぼ私のお下がりを着ているから、自分の好みで自分のお金を使って買い物をして失敗して後悔するような経験が少ないせいでそうなっているのかもしれない。
孫に冬物の帽子を買ってあげたいとしばらく探して、これというものがなく買わなかったが、気付いたら手編みの帽子を作っていた。
だから、好みのイメージはあるのだろうが、いざ自分のものとなると「間に合っている」感じだ。
そもそもの欲望が薄いのか。娘にしろ亭主にしろそれが普通で私1人が強欲なのか。
2歳になった孫はあれ買ってこれ買ってがまだないが、食べ物に関する執着が凄まじい。
自分の名前も覚えていないくせに、食べ物には「おいしそう」と言う。好みはバナナである。
朝起きると台所でバナナを探し、目を放すとこっそり炊飯器からご飯を食べるが、炊飯器の蓋が開けっぱなしになっているのでバレる。亭主が買い込んだ目新しいおやつも真っ先に見つけ与えられるのを待たずに手を出す。
起きてきた亭主が「こら」と言うと踊って誤魔化す。自分が覚えた踊りを亭主に教え込んでいて、亭主は弟子の如く孫に倣って踊る。亭主が孫を可愛がっているのは無論だが、この頃は孫が亭主を可愛がっているように見える。
孫は、太々しさと強欲さが私に似ている。
- 2019/10/31(木) 01:42:39|
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みんな彼のことは「サクちゃん」と呼んでいたみたいだけど、私はそう呼んだことがない。
秋晴れの青空の下、斎場に入る前に、なんてことない古ぼけたアパートの軒下で、タバコを吸った。
突然の訃報で、しかも若い人のそれだと自死を疑ってしまうものだけど、彼には微塵もそういうことを考えなかった。
弟子にはこちらが見送られるとばかり思っていたし、そういう健全な印象の人だったから心の準備が何もなくて。
急性心機能不全ってつまり他にこれって原因はないけどうっかり心臓が止まっちゃいましたってことで、いなくなったことが最大の事実だから死因なんてなんでもいいのに、死因を理解することでいなくなった事実を理解しようという心の働きなのだろう、聞かれることも多いけど、搬送された救急病院で亡くなったって、それ以上のことは私も知らずにいる。
一緒にやった最初で最後が「かと万」という公演で、ホンがまとまる前にずっとワークショップをやっていて、参加人数の少ない時期だったけど、熱心で、持ち込むものが増えてきた時期だったので、やたらといちいちが面白かった。
使っていた戯曲に「ひとり踊る」という指定があって、そういうわけわかんないト書きをやるのって難しいんだよね、なんてボヤキながらの稽古で、なんなく踊ってみせた彼の、笑えるような泣けるようなあの身体の動きが忘れられない。
そういうのが生まれ落ちる瞬間に立ち会えたんだから、それだけでも充分だけど、引っ越し作業を手伝わせたりガンホ会の酒席に参加させたりもあって、その頃が一番頻繁に会っていたかな。
映画がやりたい人だったから舞台の芝居にはあんまり興味ないのかなと思っていたら全然そんなことなくて、参加する機会があれば率先して手を挙げてどこにでも飛び込んで行ける人だった。
WSに来ていたってだけではなく、いろんなところにつながっていたことを今更に思い出した。
人とのつながりを大切にできるって、やっぱり一番の才能だ。
色褪せる時間も距離もないまま付き合い自体がぽっかりと切り取られるような感覚だろうから、みんな悔しい。
これから封切られる主演作もいくつかあるらしいから、その姿だけが生き残る映画ってやっぱり特別な魔術ってことだ。
最後に見た顔も今にも寝息が聞こえてきそうな様子で、何よいい顔してんじゃんって呼びかけたくなった。
年若い身内の棺を担ぐ親族がしんどそうで、呆然と見守る私たち側に力の有り余る若手がたくさんいるのに、やっぱり順番がおかしい。
でも、横たわった彼は、いい顔だった。
ぐっときた。
込み上げたのはお別れの悲しさではなくて、いい顔を見られた感動だった。
「犀の角」が2010年てことは、わずか10年足らずの付き合いでしかなかったし、それほど深く語り合ったとか、忘れられない思い出がたくさんあるとか、彼なくして今の自分はあり得ないとか、そういうことではないけれど、
いいダンスだったなあ、あれ。
いい顔だったなあ、最後。
これからも繰り返し脳裏で再生される瞬間がある。
映像では上書きのできないものをちゃんと遺してってくれた。
漫画誕生
- 2019/09/28(土) 19:22:50|
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