仕事部屋

いどころを知る。

求人情報のサイトを眺めるのが趣味になりつつあったが無事に新しい職を得てOTJ研修が始まっている、自転車5分徒歩10分と以前より更に近くなって今は正午からの6時間勤務が週5日、法律事務所の相談員と呼ばれる事務職なのでこれまた新しい知識で頭がパツパツ、夫姓を名乗っている初めての職場なので挨拶で名乗るのにワンテンポ遅れる。

寿司屋は今月一杯で退職を決めているので次は深夜〜朝枠の飲食店バイト探し、16の時に働かせてもらった近所の喫茶店が1時間あたりの多忙経験では人生最大と思っていたが寿司屋はそれ以上だった、この年齢になっての飲食店バイトは体育会系の肉体訓練に近い、反射神経と瞬発力と判断力と筋力が鍛えられる気がする。

職探しの合間にはたぬきやホテルの近況を窺ったりもした、支配人と先輩の一人が退職し副支配人筆頭にわたしの退職時に残っていたメンバーで回しているというので復職も相談したが結局は人員補充が適って復帰ならず、勢いで客室数400超えのホテルへ面接に行って不採用、面接でまず訊かれたのが体力に自信があるかという点だったが、あるもんか。

バイトは大人の学校だからまずは辞めずにやっていきたい、いい加減倒れるまで仂いて倒れてやっと休むという働き方もやめないと。

先日は渋々に内視鏡検査、「ポリープあったらその場で切っちゃいます」と医者も最初は快活だったが、いざ内視鏡の挿入はあまりの痛さで中断、「まあ痛いの我慢してまでやるもんでもないですからいいですよ」と言うから助かったと思いきや「もう一種の検査で陽性が出たら内視鏡やってもらいます」との警告、痛みがあるとかないとかはもはや関係ない。

去年の夏からサボっていた喘息の投薬治療も再開、一時期は権威ある専門医のところに通ったが今はその手間暇が惜しく近所の耳鼻咽喉科にお薬手帳を引き継いでもらっている、曰く「この薬って...効いてます?」、一昔前には処方箋筆頭だったらしいその薬も昨今「流行遅れ」で殆ど処方されなくなっているんだそう、権威ある専門医は時代を見ない。

内側から覗いてみてははあと思った、弁護士は医者に似てほっとくだけじゃ治らないあれこれに効く。

必然芝居や映画のことはもはや外側に回っている、小説を書き始めた時期にすんなり分離したのと同じであの時も今も離れたからといってやりたくなったり観たくなったりもしない、といってそれらが切り捨てられるかというと決してそうではないだろうけど、人でしかそことつながっていない今の方がバランスよくいられる気がする。

などと言うわりに不義理を重ねているのはなんとも申し訳がないのだが、これまでも次がある時に勉強として間をつなぐように義理を果たしてきた、つまるところ自分がどう関わるかって視点でしか興味が持てないんだろう、人への興味は相手が何をしていても同じなんだから。

芝居の世界は故郷のようなものと以前にも思ったが、わたしの場合は「遠くにありてそれっきり」になる、そこで生まれ育ったというだけで択ぶことをしなかったせいか、自分が関わっていないときにその価値を問われても答えになるほどのものがそもそもない、もちろん失う恐怖もない。

居場所がなくなってしまいそうだからやり続けるという感覚は正しいと思う、だがそれは居場所なのか、外枠を固めることで真ん中の自分自身をようやく見つけるってことだろうけど、そんなものあってもなくてもただそこにいるってだけじゃダメなのか、と外側から見るほどに不可解だが内側にいればナンダこのヤローとか思うんだろう。

芝居やれなくなったら死んでしまうと純情一途なキチガイだった頃、「芝居なんていやになったらやめていいから生きていてください」と言ってくれた観客がいて、生きることを択んだら芝居をやめずに済んだ、というよりも必死に生きてきたらやっぱり芝居をやっていた、今も必死に生きているからきっとまたいつか何かやるに違いない。

ヤポンチカというバンドで何度か立たせてもらったライブハウスが店をたたんだ、お別れイベントにも顔を出さなかったけどそこにいたひとたちが消えてなくなるわけじゃないから「またいつか、お元気で」と思う、今は歌っている昔の芝居仲間が誘ってくれたのでちょっとその気になってヒロシに声をかけたが断られたから、まだ私は歌えない。

わたし自身は何もしていないしどこにもいってないのに、遠くなったり近くなったりする。
彼らもまた何もしていないしどこにもいっていないのに、遠くなったり近くなったりする。
空間が現れたり消えたりするだけで、時間が流れているだけで、生きていようが死んでいようがひとはずっとそこにいるじゃないかと思う。

消息も知らなかった兄と会った、わたしが十五で兄が十七のときが最後で会うのは二度目だった、顔も覚えていなかったけどひと目見てすぐにわかった、父と同じ顔をしていた、わたしたちは父の人生を少しずつ分け合っていたのでわたしの知っている父と兄の知っている父はお互い知らない父だねと笑い合った、わたしたちはもう父の年齢をとうに超えた。

わたしのいないところに兄がいて、兄のいないところにわたしがいた、わたしと結婚するとき養育するわけでもないのにお父さんになれるかなとそわそわしていた亭主には妹と弟がいる、その亭主が今度は会ってもいないのに「お兄さんか」と憧れるように呟くので可笑しかった、このひとはちゃんとここにいられるひとだと思えて安心した。



  1. 2016/07/14(木) 11:25:28|
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