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仕事部屋

今日も黒猫が八時過ぎにやって来た、寝たの七時なのに、よほど爆睡してなければ、電話もピンポンも必ず対応するあたしは律義者だ。

昨夜のうちに絞り出したネタで昼過ぎから作業開始、二十枚って難しい分量だけど長くなったらつまんないだろうなってネタで挑戦、書くのは面白かったけど仕上がりはどうだろう、正直自信満々にはなれないが、自信と評価はまったく別物だしなあ、そのために編集者がいるんだろうから指導を待てばいいかとあれこれいじるのやめて夕方に送信。

今「ダーク」読んでるのだが五章からが俄然面白くてぐいぐい進む、そこまでは3日くらいかかってしまったけど。

常さんからの報告メールくるたび、身軽になれない自分に苛立つ、今現地に行けたら常さんもいるし心強いのになあ。

先日の連絡とは別人の三十代前半男子から電話あって話し込む、恋人のタイプはいつしかパターン化していくが友人にはそれがないって話に納得。

恋人との付き合いが終わるときは結局減点法なんだろう、何ができるとか何をしてくれたとかどこがいいって得点は結果にならず、何ができない何をしてくれないどこが嫌って自分の恋心を賭け点にして、全部すってすっからかんになったらおしまいだ。
だから一度気持ちが離れたら何があっても戻らないんだろう、後からいくら得点したってこっちの賭け点がゼロになっちゃってるんだから同じテーブルにはつけない。
けど、それって女の人だけかしら。

数ヶ月前から右手の人差し指の先がずっと痺れていて、キーボード打つとじんじん痛い、首の神経か脳の血流か、検診で血圧上がったら八割で脳卒中って脅かされたから水分もコーヒーもチョコレートも摂るようにしてるんだけど、関節が曲げられないほどの痺れは不気味。

ベッドで本を読んでいて枕元には熱いコーヒーのカップ、本に夢中になり過ぎて自分の上体がずるずる落ちていることに気づかないままコーヒーを飲もうとして胸元を火傷した、段ボール箱をばらすのと、皮むき器を使うのと、コーヒーを淹れるのが苦手で、やれば大体怪我をするのだ、熱湯を注いで蒸らしている最中のコーヒーの粉で両手に全治一ヶ月の大火傷を負った経験から特にコーヒーが怖い。
家族で暮らしているときはいつも娘か親方がやってくれていたけれど、今はおっかなびっくり自分でやる。
親方曰く「あなたは一見なんでも器用にできそうなのに、笑っちゃうくらい些細なことが、ほんとにまったくできないよね」、その通りだと思います。
あ、あとカセットテープとかMDとか、ああいう薄いビニールのパッケージが開けられません、怪我はしないのだけど、なんでかどうしても開けられなくて、いつもゆうに五分以上は格闘します。

たとえば小形くんのようにもの静かに周囲に目配りをしている人にはあたしのそういうところがあっさりバレているらしい、いつだったか、何かそうした苦手系のことをやろうとしていたとき「はいはい、やりましょう」って苦笑いの小形くんがすいっと手を出して引き受けてくれたっけ、ああ、いつもうちに小形くんがいてくれたらいいのになあ。

ともあれ、今のあたしには人生で初めて「こんな暮らしがしたい」という明確なビジョンがある、かなり非現実ではあっても、ああ、こういうのが理想だったんだと今更に気づいたんだから、いつか叶えたい。

本気で叶えたいことは人には話さないものだよね、だってそれは野望じゃん、あれやりたいこれやりたい、あれが夢だ憧れだと口にできるのは子供の夢想だと思う、大人の本気は概して言葉にせず温めておくものだろうと思うから、あたしはまだそれを誰にも話していない。

さて明日はハングルプロジェクトの新年会でカムジャタン、毎度言いふらしてるソンガンホも本気だけど、もっと言えないような野望だってあるんだぜ。
  1. 2009/01/31(土) 01:57:56|
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ネコヤナギが満開で、ライオンヤナギになってしまっている。
  1. 2009/01/30(金) 02:28:04|
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切り替え気分の時期なのかクローゼットの整理に熱中、何も変わっていないのに何か変えたいような、もやもやした興奮のまま朝、二時間弱の仮眠を破るのはいつも黒猫か郵便局。

片付ける服を荷物部屋に運びこのシーズンで未着用のものを持ち帰る、それでもまだ着たいのに着る機会のない服が残ってる、服も靴もたくさんあるのに結局同じような格好ばっかりしてしまうから、こうやってほぼ新品のまま次のシーズンまでお休みしている服ばかり。

きっとみんな切り替え気分なんだろう、連絡途切れていた友人から続々連絡が入る、近況話したり愚痴を零したり「なんかやろうよ」と誘われたり、奇しくも今日の連絡は三十代前半男子ばかりで、同じようなことを話す、しかも皆イニシャルが二文字とも同じなんて不思議、新月の影響かしら。

人より先に動き出した分、人より先に進んでいなきゃいけないような気がする。
ふと気づけば、進んでるつもりで勇ましく足踏みしていた時間が多すぎた、先に進むどころか自分だけが一歩も前に進めていないような、三十代前半のあたしは、そんなんだった。
「何かやろうよ」と言い合う楽しさに何かやったつもりになれるのもその時期まで、そこから先は不意に視界が開けて、現実の地平線が見えた。

で、あたしは食うために小説を書いた。
芝居が好きだったからこそ、芝居に拘るのはやめたんだった。
そしたら食えた。ああ、そういえばもうぼちぼち十年目に入るんだなあ、ありがたい。
芝居に焦がれて、「お前なんで芝居やってないんだ」って絡まれて飲み屋で泣いたこともある。
食えないってだけでやれなくなった自分が悔しかった。

けど、やれなくなった、とは自分でも思わなかった。
食うための仕事ってのはやっぱりそれなりに大変で、幸運をもらったんだから真面目にやって少しずつでも返していかなきゃいけないと思ってたから、芝居どころじゃなくなった、っていうのが実情だった。
でもまあ、やるやらないで言えばやってないわけだから、そこんとこの悔しさはずっと残ってた。

龍さんが呼んでくれて、全部背負ってくれたからのびのび楽しいことだけやれて、ああやっぱりこの空気で育ったんだと気づいてから、また焦がれる気持ちが強くなった。
一年に一度芝居に関われればいい。
実家もなく親兄弟もいないあたしには、それが正月の帰省だから。

うわついてる、焦ってる、気弱と確信と中途半端なキャリアに縛られた三十路前半の男子たち、がんばれ。
あと一度、大きな失敗をすれば、越えられると思う。

投げるんじゃなく掬いあげるという意味での、諦めに辿り着く。
そこからは楽しい一方だよ。
今までしてきたことがまた新しく結びついて、これまで思ってもみなかった方向へと伸びるとき、それまでのしくじりが全部笑い話にできるんだから。

その代わり、今度はもう大きなしくじりができない。
何をやってもそこそこなんとかなってしまうし、こうでなきゃいやだって拘ってたはずのことなんて嘘のように溶けていくから、拘る方が難しいことになる。
自由になるってことは、不自由が味わえなくなるってことだよね。

だからまあ、せいぜい今のうちに不自由を楽しんで。
仕事でも恋愛でも不自由で頑なで臆病で「すすめ、すすめ!」とかけ声ばかりの三十路前半男子たち、それはそれで決して悪くないんだから、どうか楽しんで。
怒りの十代から嘆きの三十代へ無事に生き延びているんだから大丈夫。
諦めの五十代に辿り着くまでの、隙間の四十代は二十代と同じで、一息つけるから。

深呼吸して、背筋伸ばして、生き延びて。
そんで、またうだうだと飲もうやね。
  1. 2009/01/28(水) 21:54:13|
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OLやってる友人が上京、帆太郎と一緒に迎えに行き、パンケーキでブランチして彼女の買い物に付き合って、夕飯どきに解散、次回は赤坂で三段バラと約束。

考えてみたら専業OLの知り合いは彼女しかいない、元々はヤフオクの取り引き相手なのだけど、多いときには月イチ、忙しくても数ヶ月に一度はこちらに来るのでそのたび会ってお茶したりご飯行ったり買い物したり、最初はお互いに丁寧語で話していたけどこの頃は打ち解けて話せるし話題も増えた感じがする、たまにしか会えないからか、会った後はいつも「あー楽しかった」と思う。

昨夜カムジャタンを食べに行った店で隣の席にいた三十路とおぼしき女子二人連れ、片方が営業モードの高い声の猛烈な早口でずっと喋っていた、乃木坂にある某ファッションブランドのプレスかなんからしく、仕事の愚痴や自慢の合間に芸能人や人気モデルの名前が散りばめられて「あの子は…」の寸評付き、聞き役女子もそれなりに相づちはしているのだけど二人は余り仲良しな感じがしない、「今度ランチしようよ」なんて盛り上がっても多分ランチしないんだろうなーなんて思わせる雰囲気。

こういうのが世の中で言う「お付き合い」なのか、それとも当人たちには大切な「おともだち付き合い」なのか、なんにしろしんどそうだ、「話つまんないから帰る」って言えない相手とご飯食べるなんて。
親方みたいに友達付き合いゼロってのもすげえなと思うけど、そうした「お付き合い」ができる人もすげえ。

因みにあたしは、集団行動が苦手で「どこいこうかー」なんてぐずぐず立ち止まっているのとか、グループが固まってだらだら歩くのとかが生理的にダメ、誰か連れがいるときでも目的地があれば一人ですたすた行ってしまうし、子供じゃないんだからはぐれたって別にそれぞれが目的を果たせばいいじゃんと思っているので、協調性がないとよく責められる。

という話を、今日、友人にしていたら「普通です」との回答、どうりで彼女とは一緒に買い物しても楽なはず、友人ってお互いの気配りポイントが理解できないと会話も行動も苦痛になる、尤もあたしの場合は、家族でも恋人でも同じように気配りポイントのずれがあるとたちまちに苦痛になってしまうから、やっぱり協調性がないんだと思うけど。

近所のコンビニの前で、普段は余り見かけないようなヤンキーライクな少年たち三人とすれ違ったとき、「あ、そう言えばお前、鉄パイプ持って来た?」って会話が聞こえた。
「おいおい、鉄パイプ持ってどこ行くんだ、何すんだ」という疑問は別として、彼らには重要な気配りポイントだったんだろう、三人ともうきうきはしゃいだ感じで可愛かった、事件が起きてないことを祈りたい。
  1. 2009/01/24(土) 23:13:23|
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昨日一日ずーんと落ちてた、マキャモン読みながらチョコレートを大量摂取して復活。

ブルーハーツ文庫化記念の書き下ろし「書店より愛をこめて」が本日より公開、チラ見してください。

今日のお仕事はゲラ二本、DVD二本、マキャモン読み終わってからね。
  1. 2009/01/23(金) 14:07:43|
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あたしも貝になりたい。

小池栄子が表紙になった「小説宝石」2月号に、「モグラ町」シリーズの短編が掲載されています。多分、発売中。

日比谷で「私は貝になりたい」、ひどい…悲しくなる…救いようがなく悲惨な、根深い問題を感じさせる日本の現状をまざまざ、…映画業界の。

昨日資料で借りた本、開いてみたら持ってる本だった、同じく資料で借りたDVD、観始めたらすでに観た映画だった。

DVDはごっそりレンタルだしケース捨ててディスクだけファイルするし、本も読み終わるとカバー捨てて裸で積み上げてる、基本的に監督や作家や作品名を記憶できいないたちでもある、映画はポスター、本はカバー、CDはジャケットっていう「顔」の印象で記憶するもんだろうから、こういう保存の仕方はよろしくないですな。

しかしまあ、こう言っちゃなんだが本も映画も中身次第、物語の記憶が朧で再見しても一つ一つのカットやたった一つのセリフが鮮明に残っていれば、そこに価値を感じられる、どうしても捨てられないカバーやジャケットにとんと出逢っていないのもまた事実。

本屋大賞の候補作品が発表された、もっとマニアックな作品を知りたかった、自分の働く本屋にすら置けないような作品を読む書店員がどれほどいるのかわからないけれど、本屋で働く人たちより幅広く厚く深く本を読んでいる人は大勢いる。

世の中にあるものはこんな具合だし、自分にできることはそんな具合だし、なんだかもうやんなっちゃう、全部止めてしまえれば、とか考えたりするのだが、やめて何すればいいのかと先の想像が立ち行かない、ヒアリングの楽しさで調子づいていたせいか人付き合いにも疲れた、誰とも何とも関わらず犬と静かに暮らしたい、いっそすべてから切り捨てられてしまえば楽なのだけど。
  1. 2009/01/21(水) 17:33:07|
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ハングルPROJECTのミニマムなミーティング、いくつかの資料を貸してもらい提案中の件を検討、ソン・ガンホへの道はまだまだ遠く険しいが、某かのチャンスも見えてきた、動けば何かにつながる、当たり前のことだけど、それが広がっていくところに関われるのは楽しい。

なかなか完治しない風邪のせいか帰宅後にしんどくなり本を読みながら仮眠、起きてまず調べたのは、リンゴの蜜、昨夜に食べたリンゴがびっくりするほど蜜を孕んでいてどろりと実から滴るほどだったのだが、蜜自体には甘みがなくむしろかすかな苦さがあった、そしてお腹が痛くなった件について。

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リンゴの蜜は果実に十分行き渡った糖分が余っている状態のもので蜜そのものは甘くないものだそう、蜜があるリンゴの果実は甘いが蜜は甘くないって知ってましたか、あたしは知りませんでした、そして蜜の成分はソルビトールという糖分でこれは過剰摂取するとお腹を下すんだって、小さい子に蜜リンゴ食べさせちゃいけないかもね。


江東区の事件の裁判ルポを読む。
裁判員制度のモデルケースとある、それを意識してなのか検察はパワーポイントを駆使して「性奴隷」なんてずいぶんとキャッチーなキーワードを連呼している、猟奇性は好奇心を刺激する要素にもなるだろうが、犯行の様子を分かり易く提示するのに凄惨な描写を避けられないこの事件はあんまりにも極端なケースじゃないのか。
こんなの聞かされたらまともな判決できなくなると、あたしなら逃げ腰になるだろう、被害女性の遺族や友人や元彼は皆がこの公判をずっと傍聴しているそう、どれほど辛いことか、他人ごとながら泣きそうになる。

知りたくもない、恐ろしい、と感じる人も多いだろうが、「知る」という点において、世の中にはこんな惨いことも起きるのだと認識する人が増えるのは悪くないと思う。
被告の供述の様子からその心理状態を推察する人も増えるかもしれない、となれば小説の読者の土壌が広がり、下手な俳優の猿芝居を見抜く観客も増えるってことだ。
裁判が分かり易くなって、ごく一部の人だけが関心を寄せていた事件の詳細な情報や被告の供述を普通の人が当たり前の情報として受け取るようになれば、まずは犯罪小説の在り方に影響するだろう、少なくとも絵空事ばかりの稚拙な犯罪小説は読者に見向きもされなくなるんじゃないか。

と同時に作家は想像力の限界を痛感するんだろう、事実として受け取った情報はあっという間に慣れ知ったものになって、そこにあるのと同じものを見たとき有り体な底の浅いものに感じられてしまう、いつか書けたらと漠然と思いつつどうやって書けばいいのか皆目見当がつかずそのままにしている犯罪系のネタがますます書けなくなるなあ。
  1. 2009/01/21(水) 01:00:55|
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「シルクウッド」のメリル・ストリープが超絶に可愛い、ハスッパで利発で純粋ってキャラクターは後年の「シーデビル」にも通じる純情ビッチなんだけど、それよりうんと若いもんだから尚のこと可愛い、いやーびっくりした。
  1. 2009/01/20(火) 05:14:43|
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日曜は工事が休みでよく眠れる、昼まで寝てしまったので起きてもなんとなくぐずぐず、活動的な一日を過ごすには午前中に起きないとダメってことだ、一時期改善したのにまた夜型バランスになってきた、調整しないといけません。

ハネケの「セブンス・コンチネント」、実際にあった事件とは知らなかった。
構築の正当性にうっとり、なんてことのない日常の一瞬一瞬が積まれてみっしり重く息苦しい、正しく構築されたものは事実ではないのに事実と同じくらいの重みを生じさせる、語るってのは構築するってことなんだなあ。
  1. 2009/01/18(日) 23:37:11|
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犬には文化と芸術が不足している。

ハングルPROJECTの発起人O氏が恵比寿映像祭に関わっていて前々からちょこちょこ噂話で聞いていたのだが、開催間近になって情報が見えてきた。
O氏のプログラムでは写真家ロバート・フランクを撮ったドキュメンタリーと、「絵画と映画との境界線上で」というコンセプトの短篇集があるそうです。
公式サイトにもまだ情報が出揃っていないようですが、おっつけでアップされるそうなので、興味のある人はまめにチェックしてください。
映像祭のロゴが秀逸、とても素敵。
ううむ、犬連れで入れるようにならんものか。
  1. 2009/01/18(日) 02:24:09|
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