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仕事部屋

昨日は朝から鬱でどんより、無理矢理起きて風呂など入ったら貧血で倒れそのまま入眠、夕方起きてもぼんやりどんよりな状態なのでやむを得ず久々にQualisacを最大量服用、しくしく泣き寝入りで気づいたら今朝、十八時間くらい寝ていたらしく煙草が旨い、まずは昨日片付けるべきだった買い物など家の雑用をあれこれ、犬の散歩も三日ぶりに行かなきゃと思うのだが、未だ本調子とはいかない、そういえば昨日は丸一日何も食べていなかったが今朝も食欲はなし、あれもしなきゃこれもしなきゃと考えるとテキメン気分が落ちるので、バイオリズムに逆らわずに過ごすことにする、毎日の仕事をきちんとしている人はそうもできないんだろう、いい年して自分の甘ったれ度合いに腹立たしいが、これも落ち込みの原因なので、そのぶん盆も正月もボーナスもないわいと開き直るも、平穏な人生への焦がれが日々燻る。


photo-26.jpg ほかほかさせてやりたくて、とりあえず洗濯には、行った。



  1. 2009/05/31(日) 11:38:45|
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小説のテーマとして、「無関心という罪」について考えています。

虐待致死傷罪制定及び虐待防止社会に向けての請願署名」に署名しました。

変えたいと強い意思を持つわけでも、変わると信じているわけでもないけれど、変わったらいいなあと願うささやかな関心で参加できるのが、署名というスタイルってことだろうと。

それにしても、このテーマで現在集まっている署名の数、少な過ぎやしませんか。

携帯からのアクセスはこちら
  1. 2009/05/30(土) 13:52:21|
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真夜中から黙々読み返してのモグラ脱稿、さすがに力尽きて他のことする気力なし、犬風邪うつされたの治ったつもりだったのにやはり不調で喘息ぜろぜろ、雨だしな、気圧の影響なのかも。

photo-25.jpg 爪切りチャーンス!と思ったら全力で抵抗されたので、諦めました。


  1. 2009/05/28(木) 21:15:07|
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デヴィッド・リンチの「インランド・エンパイア」、筋立ても視覚効果もイメージの挿入もリンチ映画の中では格段に判り易く、リンチ初心者向け、だけどこれはリンチの映画じゃなくてローラ・ダーンの映画だな、という感想。

何故ローラ・ダーンの映画なのかを真面目に語ると長くなるので一言にすると、「あたしの体験にそっくりだったから」だが、この映画はどういう評価を受けているのかが気になって調べたら解説サイトがありました。

あたしがこれとクリソツな体験をしたときには入院したんだから、この解説はあながち的外れなものではないと思うけど、勝手に補足します。
主人公の設定が女優

これは「○○○○○が○○するまでの過程」を描いているわけじゃなく、ものすごく正確に「演じる感覚」を描いてみたら「○○○○○が○○するまでの過程」を描いたとしか思えない映画になってしまったのだと思います。
きっと、ものすごくローラ・ダーンからヒアリングしてるんじゃないかと。

しかし「○○○○○が○○するまでの過程」であると括るのはある意味正しい、あたしは「演じる感覚」てのはクラインの壷だと思っているのだけど、その状態は通常の世界ではないし、通常の感覚を持つ人には決して共感し得ない、「観られている感覚」ってのは筋違いで、「観られていることに馴れ切って観られていることを忘れてしまった」結果、観られることでしか保てなかった自我を一瞬にして喪失、代わりに与えられた役柄を通して自我を保とうとするので自分が誰なのかわからなくなる、所謂キチガイとなっている状態なので、演じる感覚がない人には「○○○○○が○○するまでの過程」としか思えないんだろう。

つまり「演じる感覚」=「○○○○○が○○するまでの過程」であり、演じている人=○○○○○であり、その一線を引くのは「環境」なんでしょうかね、メーター振り切ったらあっち側だけど、役者は滅多なことじゃメーター振り切らない、何故なら演技には段取りというものが必ず必要だからで、振り切ってたら段取り踏めないじゃん、ってことですな。

クラインの壷感覚のことはもう十四、五年前にアクターズ・ジークンドーという小冊子に書いたのだけど、映画で描かれているあらゆるドア、カーテン、壁…からなる迷宮そのもの、「あ、こんなところにドアがある」と思ってドアを開けたら異次元があって戻ろうとしても戻るドアがない、別のドアを開けるとまた他の異次元、日常は「いつかどこかで見た断片」に過ぎず、セリフを奪われた役者には喋る言葉もなく、目に映るすべてが偽物に見え、自分が誰だかなんてのは一瞬にして見失い、夫や娘すら「いつかどこかで見た誰か」としか思えず、時間軸が歪んで昨日が明日になり今日は永遠に終わらず……とまあ、そりゃあもう面白くも恐ろしい体験で、あの時期病院に入れられなかったらあたしは確実にあっち側から戻れなくなってただろうと思う。
あたしの場合、兎頭は見なかったがその手のタイプの他のものはたくさん見たし、街を徘徊もしたし、誰かを撃つ銃がなかったから革ベルトで自分の首を吊って、病院送りという顛末。

映画を観ている間中、怖くて怖くて切なくて、それでもどこか「ああ、そうそう」と懐かしがってる不思議な感覚。
あ、そうか、デヴィッド・リンチは女優と散々付き合ってる人だっけ。
じゃあやっぱりリンチの視点で「○○○○○が○○するまでの過程」を描いてるってことなのか。
つうかやっぱり普通に「ザ・女優の世界」を女優視点で描いてるとしか思えない。
ローラ・ダーンて全然好ましくないタイプの女優さんなのだけど、この映画やるの、きっと苦しかったと思う。

女優さんがこの映画観たら、色んな方向に絶望しちゃうんじゃなかろうか。
あたしだってデヴィッド・リンチの映画でこんなに共感しちゃうなんて、やだ。
  1. 2009/05/28(木) 04:05:18|
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昨夜はスカイプのチャットで取材、二時間の仮眠後、体調不全を押して午前中に雑用済ませ、午後にちょろっと営業っぽい作業、大急ぎで部屋の掃除をして駅で吉岡と榎本監督をピックアップ、仕事部屋へ案内、モグラ町のメイキングDVDの撮影で雑談、ちゃちゃっと終わらせて近所でビール飲みつつ雑談の続き、吉岡がどこで嫁を見つけたのかと訝しんでいたのだが、あたしも噛んでたとわかってスピーチのネタができたと一安心、それにしても吉岡は色んなことを覚えている、あたしに届いた数年前の年賀状の文面までしっかり覚えているんだから便利だなあ、今夜は早寝して明日はモグラ町の決定稿やらねば。
  1. 2009/05/27(水) 22:26:03|
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昨日は朝八時から「モグラ町一丁目」の直し作業、途中、恒例になったワードの不具合で全部消滅、分量少ないからショックも少なく済んだけれど二度手間はやはりメゲる、改訂稿が上がった夕方から猛ダッシュで身支度してハングルプロジェクトのミーティングで新宿、マッコリ樽で持って来いな勢いで全員そのまま大久保はちに流れ、華子の案内で高田馬場、早朝六時に電車で帰宅、そのまま泥眠して、今さっき仕事の電話で起きました、今日は営業日にするつもりだったのだけど酒臭いだろうからやめときます。
  1. 2009/05/26(火) 16:51:28|
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体調万全とはいかずとも寝てばかりもいられず昼過ぎに散歩、帰宅してモグラ町の直しなどちょろり、大ちゃんが東京再出発、恵比寿で合流して従兄弟と一緒に美味しいもの、ずぶ濡れで帰宅するも気持ちは元気。

この時期はうんと子供のころに好きだった人の誕生日、今更おめでとうを言える付き合いもないけれど、今好きな人の誕生日を思い出すには十分な動機、きっと逢えないままだろうけど、おめでとうな気分、あたしって案外とストイックで健気なんじゃないか。


photo-24.jpg これはどうも風邪のふりなのではないかと。


  1. 2009/05/24(日) 23:43:20|
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目黒区で感染者と聞いて急に他人事じゃなくなったインフルエンザ、関係者で感染者が出たらモグラ町も当然ながら公演中止なので、先日の顔合わせでも制作から厳重注意と呼びかけがあったっけ、色んな損害があるのに休校になった学生が街をうろついてるのは自己中心的で想像力に欠ける行為でちょっと見過ごせませんな、我が小宇宙では帆太郎さんが風邪っぽくて元気がない、昨日は食べたもの吐いたりしてたのだが食欲はあるらしい、犬風邪をうつされたか今朝からあたしも体調不全、丸一日寝たきり引きこもり。

ワークショップ、ちらほら申し込みが届き始めました、何故か皆女性です、男子もがんばれ。
  1. 2009/05/23(土) 23:52:59|
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ワークショップのご案内

ワークショップをやります!

テーマ「素を演じる手法

6/13,14 土・日 18:00-22:00 (一日のみ参加も可)
阿佐ヶ谷・ひつじ座  http://www.aries-net.jp/hitsujiza/map.htm
参加費 10000円(一日のみ参加も、両日とも参加も金額は一緒です)
申し込みは6/6〆切  info@maekawa-asako.com まで


参加すべき奴らの顔は思い浮かぶのだけど「おいおい」ってくらい反応が薄いので、再度。
  1. 2009/05/22(金) 00:07:21|
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昨日の日中は、大昔のボーイフレンドと十年ぶりのデート、十年に一回くらいしか逢わないのにずっと一緒にいるのと同じ感覚で話せることに、改めて大切な人なのだと感じる、お互い子供の話なんかしちゃって、こんなに豊かな時間を持てるようになるなんて、あの頃には想像したこともなかった、逢う前から「韓流ドラマみたいな展開になったらどうしよう!」と笑い合っていたけれど、子供の話しながらじゃ韓流ドラマにはなりませんな。

あの頃が、いろんなことの原点だったんだなあと思う、彼はハタチだったけどあたしも思い切りコドモだった、一度も喧嘩をした覚えがなくていつもゲラゲラ笑っていた、いつでもどこでも二人一緒だった、たくさんの人たちに支えられていた、お金がなくて炊きたてのご飯がご馳走だった、本当に幸せな時間だった。

ときどきそれを思い出して、失ったものを思い泣きたくなったりもする、あんまりにも大切過ぎて触れないようにしている感じだったのかもしれない、けれどお互い健康で幸福で何かをやっているってことが判ると、失ったわけじゃないって思えるから、それぞれの今をちょっとだけ共有できることで、十分に豊かさが感じられる。

もし二人とも独身だったら、なんの迷いもなく最後まで一緒にいることを選んだのかもしれないけれど、私たちはもうそれぞれに過ぎた時間と同じくらい大切なものをたくさん抱えているし、それでもまだもっとたくさんの大切な時間を掴みたくて欲張っているから、人生のお隣さんが窓ごしに「おおい、雨が降ってくるぞー」とか「ちょっとお醤油貸してー」とかって声を掛け合うような距離が一番心地いい。

ばっちり恋愛小説のネタだから、きっといつか書くんだろう。
過去の恋を描いた名作には連城三紀彦氏の「あじさい前線」があるけどね。
そうか、連城さんがあれを書いたのはちょうど今のあたしぐらいのお年だったのかしら。

自分が、多少の分別をつけられる年齢になっていて良かったとつくづく思う。
時間というのは人生で一番の親友なのだなあ。
  1. 2009/05/21(木) 12:21:24|
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