仕事部屋

素晴らしいわたし。

思えばいつだって大人のふりをしていた。
我侭は言わないよう、愚痴は飲み込むよう、時間を無駄にさせないよう、心配をさせないよう、疑いを持たせないよう、いつだって、思いつく限りには。
クリスマスに特別な何かを期待するほどウブじゃないし、これでもまだちょっとはクリスチャンだったりもするから、どうしても今日逢いたかったわけじゃない。

だけど、なんとなく人並みに、今日は逢いたいと言ってみた。
駆け引きできる器用さがないことを武器に、ただひたすらに逢いたいと言い続けて、世の中の恋人たちに比べたらほんの少しの時間だけれど、今の私にとっては何にも代え難い貴重な時間として、隙間を分けてもらった。

逢う時間はただ楽しく切ないばかりだけれど、一人帰ってきてからも、やっぱりどこか申し訳なさがこびりついていて、ちょっと悔やんだりもする。
時間をくれてありがとうと思うけれど、それはあなたが必要とした時間ではなかったのじゃないだろうかなどと、ぐずぐず。
「ありがとう」で済ませばいいことだろうに、なんだか貧乏性だなあ。

想像力とは厄介なもので、大切な人を思いやる暖かさを持つこともできれば、大切な誰かや自分さえも苦しめる何かに変質したりもする。
知っているから使わない。
使わずにいることが理由で、ついつい相手の様子を窺う。

大丈夫と言ってくれれば良いし、ダメと言ってくれれば良いのだけど、それが返されるまでの間、封じた想像力じゃない別の何か、自分にもその人にも役立つだろう何かを探す。
そんな都合のいいもんはなかなか見当たらない。

こちらに都合のいいことはあちらにご迷惑やもしれず、あちらに都合のいいことは大概こちらが何かを飲み込まなければならない。
そんなことをお互いに、そのときそのとき、押したり引いたりすればいいんじゃないかと思うので、日頃はあまり気にかけない。

けれども。

しんどいときは誰にだってある。
うんざりするときだってある。
何もかもが面倒で逃げたくなることだって、ある。

そんなタイミングに、気がかりなそれ以外の押したり引いたりは面倒じゃないか。
私は面倒だ。
労力が惜しくなったりするだろう。
私は惜しい。

と思うので、いつその人にそういうタイミングがあるのか判らない以上、日頃から押したり引いたりしないで済むよう心がける。
それは、ただ自分の居場所を護りたいがためにそうする。
ただ、本当に自分がいるそこを護りたいから、頭も心も身体の余力も振り絞る。
それだけなんだと思う。

私は私のために、私を思いやって、そういうことをするだけで、それをたまたまその人が気に入ってくれるのなら素晴らしいことで、万が一お気に召さなかったとしても、それは私のために必要なことなのだから、気に入らなくて残念だわねと笑える。

世界中の人はみんなそれくらい身勝手になればいい。
私は大丈夫。で、あなたは?
そこの隙間んところが大事だろうと本気で思うから。
たった一人の大切な人に優しくするには、まずは自分が大丈夫でないと。

私が大丈夫になるには、あなたの時間がほんのちょっと必要。
それだけのことに、駆け引きもへったくれもない。
背伸びし過ぎて疲れ果てた挙げ句に大人ぶることをやめて、情けない自分にうんざり飽き飽きしていたけれど、今はそんなふうに開き直れて楽ちんだ。

一緒に過ごした甘ったるい時間に、あ、これって私が甘えてるんだと気づいた。
恐る恐るに見上げたその人は、まるきりデレデレとシアワセそうな顔をしていた。

どうやら、世の中はそういうことになっておるんだなと。
今日がそういう日だからじゃなくて、男の人ってのは女の人のそういう逃げ場のない甘ったれを受け止めてくれる器を持って生まれついているんだなと。

これは大変に素晴らしいことだ。



どこの神様にも、穏やかな休日が訪れますように。
  1. 2011/12/25(日) 02:49:53|
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