仕事部屋

おやすみなさい、ありがとう。

ちょっとした思い違いで人と言い争った、真夜中に、メールで、ああだこうだやり合って、でもそれぞれにどこか気遣いが透けて、退く加減があって大事には至らずというところ、お互いの不愉快は残ったままであっても際限ないからもう話はおしまいという加減に、「おやすみなさい」を言える人だから大丈夫だったんだろう、私も「おやすみなさい」を返した。

火遊びの相手に「ありがとう」と言われることもそれに似ている、風俗嬢が「お客さんにありがとうと言って貰えるともの凄く気持ちが癒される」というような話をしてくれたことがあって、確かにそうだろうなあと思ったし、お金を払って性欲を処理したときに「ありがとう」と言える男の人はちょっといいなと思った、私は一度だけ「ありがとう」を言われた、その一言でもう二度とないことなんだと伝わってほっとするやら淋しいやらだったけど、そういう意思を「ありがとう」という言葉で伝えられるその人はなかなか素敵だと思った。

争うことと身体を重ねることはとてもよく似ているんだと思う。

私はココロが傷つくことを避けるために感情を動かさないようにしてしまう癖があって、芝居をやるときにだけそれを解除するのだけど、そういう性質は大抵の争い事で火に油を注ぐ、ココロを働かさずに感情を排除して頭だけを使って筋道を通そうとする意固地さが、相手のココロをざりざりと逆撫でして余計に筋道の通らない状況にしてしまう、自分のココロが働いていないから相手のココロの働きも見過ごして驚くほど無神経になったりする。

だから身体を重ねることが私にとっては一種の解放で、頭のスイッチを切って赴くままにココロを働かせられる唯一の時間だったりするのだ、そういう仕組みであるところが男性のセックスと似ているのか、ココロがふわりと舞い上がった後はまた通常の頭業務になってしまう、事後にすぐ背中を向けるあたり、いつも叱責される。

まああれだつまり、私はこいついっそ孕ませてやりたいとか思ったりするのだ、愛なのか憎しみなのか支配なのか嫉妬なのか、解放されたココロが何を感じてそんなこと思うのか不確かだけれど、一度ならずこいついっそ孕ませてやりたいと思ったことがあるのは事実だし、それに呼応するのか唐突に「男が妊娠できるなら俺はあなたの子どもを産みたい」なんて阿呆なことを口走る男の人もいたりして、そう言われると身勝手なことにすっかり萎えるのだけれど。

さて深夜の言い争いは筋道通らぬままにやり過ごした、私は逆切れされたと思ったのだけど相手はきっと逆じゃない順当だと思っていたのだろう、そう思うのは、なんだ私本当は怒ってたんだと今になって気付いたからで、そして多分その怒りは相手には伝わっていない、私はいつもの癖で筋道を通そうとココロの働きを止めていた、もうそのことを蒸し返すつもりはないけれど、確かに私は怒っていたのだ。

怒るってことは傷ついたってことだと、いつか親友に言われたそれが、きっと永久に真実だ。

もの凄く傷ついて途方に暮れた人が、走って行って玄関のドアに頭をガンガンぶつける姿を見たことがある、その人は、その直前まで私と向き合って話をしていた、私が話している間、私を視ているその人の目がみるみる変化したのを鮮明に覚えている、まるで瞳の中にテロップが流れるように「こいつキチガイだ」と、明らかに私のことを狂ってると感じて恐怖している様子だった、「あなたは私のことを狂ってると思っている」と私は言い、その人は走って行ったのだった、なんの話をしていてそんなことになったのか、もうすっかり忘れてしまった。





  1. 2012/05/04(金) 02:55:02|
  2. 雑感
  3. | trackback:0
  4. | comment:0
<<そういう力の在り方なのだ。

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