仕事部屋

邪道を行く。

5月から延々と移転計画を先延ばしにしていた職場がとうとう引っ越した、自転車圏内を外れたら辞めようと身構えていたが隣の駅なので自転車5分が8分になっただけだった、3倍以上の広さになって改めてこれほど人がいたのかと思う、ボーナス出ないのに査定や試験や面接があって、人事異動もたまにあり、その合間に辞めていく人もいる、おはようございますやおつかれさまでしたの尻尾にお世話になりましたお元気でがくっつくだけで恐らく二度と会わなくなる、置き土産のお菓子が配られてああまた誰か辞めたんだとフロアを見渡すのだが、そこにある日々は変わらない。

何者かになろうという志の土台に職種がある場合、そういう立ち去り方に動揺するのだろうか、何故辞めるのかに拘る人には何故辞めないのかと思うけど、人生で一つのことしかできなかったらつまらんじゃないかと考える人はさして多くないようだ、職業が一つでなきゃいかないように思い込んでいるのは税制の問題なのかもしれない、食べていくためにやれることと、生きていくためにやれることはそれぞれ選択基準が違うのに、一つのことで賄おうとする方が難しそうだ、メールをくれる中国の読者に最近はパラリーガルをやっていると伝えたら弁護士を目指すんですねと驚かれた。

こないだ芝居を観に行った後の飲み席で懐かしい人に会った、数年前まで大好きな場でどっぷり演劇をやっていたその人は結婚を機に現場から離れ生活のために思い切った決断をし、今もそこで奮闘している、その人は今観た芝居の熱や自分には遠くなってしまったであろう現場の人たちの話をぐんぐんと吸い込んでそこにいる誰よりも愉しそうに飲んでいた、勿論胸中には嫉妬や羨望もあるだろう、だがそんなものはそこにいる誰にもある、好きなことを手放した潔さと生きることへの覚悟が、そこにいる誰より眩しかった。

芝居をやったり小説を書いたりすることの方がより満足度が高いわけでもより価値があるわけでもない、特殊技能には違いないがむしろ多様な受け皿があって技能を活かす場はいつでも作り出せる気がする、年老いて偏屈になって新しいことを覚えられなくなる前にもっと世の中に関わろうと思えば知らない場所がたくさんあって気が急く、時間は限られていて必要なものは決まっていて自分の能力には限界がある、知らないことの中でまだ今からでも自分にできることはあとどれだけあるだろう。

日々生きることの意味は昨日できなかったことが今日できるようになることで、それがどれほどささやかなことであっても、その充足なしにやっていくものはどれもつまらんのじゃないか、無限に続く人生を見ているうちは好きなことをして生きたいと思うのかもしれないけれど、私はわたしが未だ見知っていない他の何かを一つでも多く知りたいし身につけたい、五十路間近にしてふと立ち止まりなかなか面白い道のりを進んでいるなあと面白いのに、次はどんな仕事をしようかと辞める気になる前から探している。

子どもの頃は早く大人になりたかったし大人になって何かのエキスパートでありたいと思っていた、早々それを決めたから学歴も年金も必要ないと判断して放り出している、実際にこれまでやってきたことには必要がなかった、正しくはそれらを持たないせいで初めに入り込んだ場から身動きが取れなかっただけなのだが、少しずつそこからもはみ出してふと足場を確かめようとしたら、それらを持たないことが自分の不自由さであると気づく、選択するしんどさを避けて入り込んだ場なのに、選択できない不自由さをつまらないと感じるのはそもそもの素質が足りていなかったのか。

学歴も年金もこれから猛烈な努力をすれば積み立てていけるはずだが、捨ててきたものを取り返したいわけじゃないからそっちには傾かない、エキスパートになれないことへの言い訳でしかないとも思う、だが職業基準で考える《何者か》に目指すところを見つけられない、《何者かになること》を目標にせず《何者かになるため努力する》それそのものだけを志すのはどんな場であっても邪道なんだろう、相変わらず自分に課すものが小さいところを択ぶんだから怠け者は天性なのだ。


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梅雨があけてまもなく五十路、自分には貰えない年金を支払うくらいには、大人になった。
何しろ秋には孫が生まれる。
  1. 2017/07/12(水) 12:04:50|
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