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仕事部屋

日常の潮時。

芝居が終わって日常に戻る切り替えの追っつかなさに年取ったんだなあと思う、尤もすぐさまに原稿の〆切があったり昔とは違ってバイトがあったりもするのだけど、未だ日常のリズムを取り戻せていない気がする、出勤して帰宅して寝て起きて、合間にダラダラ映画を観る、レンタルDVDのみならずこの頃はhuluだのNETFLIXだのオンデマンドだのがあってますます引きこもる、バイト休みには客席に足を運んでくれた友人への返礼観劇でJACROWと温泉ドラゴン、コルモッキル、出向けば深酒になってますます日常が遠ざかる、先送りにしていたデートの約束いくつかも挟んでそれらは非日常からはみ出した日常であったり日常のふりをした非日常であったりする、ところで稽古中に3kg落ちた体重がこれまた戻らず公演が終わってから更に1kg落ちた、そのせいか体調が今ひとつしゃんとせず微熱が続いている、犬もこの頃は散歩を億劫がるし、あれこれでますます日常が自分の身体からうわ滑るのだ、ふと気がついた、何に不満があるわけでもないのに常に心の奥底で現状打破を求めているんじゃないのか、心の片隅ではそれ以上に現状維持を望みながら、ただ瘡蓋のように日常を引っ掻く。
  1. 2015/10/20(火) 04:22:41|
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再度のご案内。

台風も来ているし国民は怒っているし、世の中がざわざわと落ち着かない感じです。
昭和11年、阿部定が吉蔵との情事に溺れ事件を起こしたのも、軍靴の音が聞こえる時代でありました。

世の中になどてんで構わず、好きな男と抱き合うことだけに夢中だった定を、
今回のゲストである瓜生くんは、「可愛い」と言いました。

…だとすれば、こんな世の中で能天気に芝居なんぞやっている演劇人たちも、可愛いじゃありませんか。

来月半ばからは「(仮)の事情」も稽古に入ります。
定を知るための朗読「痴話」も、今回が最後になります。
クラウド・ファンディングやカルチベート・チケットの説明をするトーク&プレゼンテーションも予定しています。
「(仮)の事情」につながるものとして、映画「愛のゆくえ(仮)」も、今回は特別に上映致します。

開場17:30で18:00から寺十吾・前川麻子出演による映画「愛のゆくえ(仮)」の上映、
10分ほど休憩して、19:30から瓜生和成と前川麻子による朗読「痴話」の上演、
その後ゆるゆるとトークを始めて30分ほどで全体を終える予定です。

ご予約戴くと、1800円で映画と朗読とトークの全てをご覧いただけます。
当日ふらっとお越し戴いても、2000円です。
トークだけのご入場は当日のみ800円です。

隅田川の花火大会と被っているせいか、予約が思わしくありません。
どうか、お誘い合わせの上、お足運びください。
ご予約はこちらで承ります。

しばらくお顔を拝見できていない方にもお会いできますよう、
皆さまのお運びをお待ちしています。


  1. 2015/07/17(金) 00:52:35|
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映画「愛のゆくえ(仮)」2015年上映会

決まりました。

2015.3.27 @ポレポレ坐

久々の上映会は愛仮の高橋Pも私も号泣した「サニー」とのカップリング。

彼女にもきらっとする一瞬があったはず。




  1. 2015/01/28(水) 21:24:52|
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ものすごく考えた。

あれから、脳みそ絞るみたいにして物凄く考えたから、もう今は何も考えられないし、伝える言葉も見つからない。

絞り滓に想いだけ。
  1. 2011/10/29(土) 18:41:13|
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大津波のあとに+槌音

先日、映画美学校の前で偶然に再会した森元くんが「ドキュメンタリー撮ったんです」というので「大津波のあとに」+「槌音」の試写にお呼ばれした、会場でこれまた久々再会のガンホ会賢兄さん、そうか山形でやったんだなと合点、「大津波のあとに」ぎゅっと息を呑む冒頭から73分ずっと、胸を押し潰されてポタポタと絶え間なく涙を滴らせた、この涙はなんだろう、映画で良かった、現実を自分の目で視ていたら受け止められないなどと思い、瓦礫の山を撮り続け、子どもを捜す人に声をかけ続ける森元くんに涙しているのだと気づき、誤解を恐れずに言えば「槌音」の被災視点には泣けない自分に安堵して、メールしますとだけ伝えておいとま、ごめんメールはきっとしばらく書けないや、けどもあなたの痛みを映画という形で観られたこと、とても嬉しかった。

森元修一監督「大津波のあとに」+ 大久保愉伊監督「槌音」は11/19~11/25 @ uplink x にて連日18:45よりトークショー付きで上映。


賢兄さんとカフェで一服しながら語り合うこと避けるように界隈の近況を報告し合い、中野で林さんと合流、かつて木村座の座長としてWSの面々を一緒に背負ってくれた林さんも、今は自分が新たに背負おうとするものあって、こちらもついついエラそうに言うのだが、懐かしい話も助平心も最近のあれこれも、ほんとにリラックスして打ち明けられ、デートではデフォルト箸が動かないのにばくばく食べつつ飲みつつの自分にうっかりこれが愛かもなどと思いながら、ぽろりの話を見透かされ、ええまあなどと誤摩化しての帰り道、意表をつく仕事関係のメール返信に近場のはずが乗り過ごし、アケミちゃんが心配して迎えに来てくれ、なんとか無事に帰宅して急ぎ電話で頼みの綱に相談し、確認したのはつまらぬことばかりでも言ってくれるそれに対してのモチベーションだけは取り戻し、相談できるそれだけでも随分と救われたけど、課題残して1日が終わる、ああもう、本当に、人生は山有り谷啓がちょん、隙間で助平になるしかないんだよなあ。
  1. 2011/10/26(水) 18:27:28|
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わさわさの日々。

土日で今月のWS、天野+寺十WSから新規で参加が2名、試演会に1名、今月WSは総勢10名だったので都電エチュードが面白く仕上がった、試演会には NO NAME FILMS の伊月監督や映画一揆・倉本くん、「サウダーヂ」公開で上京中の野口くんなどなどでそれなりに盛況、宴会には富山ぶりの柴田剛ちゃんも顔出してくれチューされまくりの朝までコース、昔から交流会の趣きがあるWSだったけどここ数年は益々で何より、紹介された映画や芝居にまめに足を運ぶ生真面目な連中のおかげだろう、芝居は「人」。


都電エチュード、こんな感じです。



明けて月曜は昼間っからスタジオで迎え酒、酒とタバコとお喋りで荒れた喉を振り絞って候補曲のおさらい、帰りにイサクちゃんとサシラーメンしてTFF@六本木ヒルズに移動、勝呂櫻井チバミクら井土組の若い衆と合流して心待ちだった「ひかりのおと」、晴れがましい笑顔が揃った山崎組に文洋や桑ちゃんいておっかさんも嬉しい、「ボタン押すだけ!」って言うけどカズさんの映写には愛があるんだよ実際、監督の生真面目さが真っ直ぐで眩しい「ひかりのおと」、てらいない家族の肖像、正直な愛の力強さに胸を打たれ牛の目に泣けてきた、「へばの」の従兄弟みたいな映画だ、この打ち上げでまた野口くんと剛ちゃん、だめ押しで太陽肛門スパパーンの花咲さんという強面で朝までコース、「千代に踏まれて」狙いの松倉くんや映画一揆・遠藤くん、スピリチュアル・ムービーズの文平さんにも久々会えた、山崎監督@岡山・真庭に嫁ぐ許可を戴いたのでいざとなったらトマト農家に嫁ぐ人生もあると心明るくなれた、けっきょく映画も「人」。


連日わさわさ人と会って飲んで話した反動か、今日は予定を丸ごと取り消して休肝休息日、もやもやとトマトをもいでる自分の姿を想像しながら溜め込んでしまったメールの返信などしつつあっという間の1日。


  1. 2011/10/24(月) 19:22:30|
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よるべなき。

大学生との朝までデート、合流して最初に年齢訊いたりするあたりデリヘル嬢呼んだオヤジな気分、娘より年下と確認した時点でイケナイ妄想は封印、若い男の子をカワイイと思う感性がなくて良かった、企みの基本は因果とか運命とか、男の子の人生での父親に対峙する瞬間に立ち会えるなんて幸運、マクベスか行人か。

ふと、自分の娘の同級生と交際していたYさんのことを思い出す、その後独りになってしょんぼりしてたけど元気でやってるだろうか、愛の人なんだなあ、羨ましいなあ、「無事?」「まあ。」とやり取りするだけで充分な私はそういう人生やれないんだろうなあ、時々、お腹いっぱいになるくらい甘やかされたいと思う。

私は多分恋愛をするのが下手なんだろう、かつてのトラウマにもう一つ強烈なのがあって、恋人のいる男の子を好きになって片想いのまま何度かデートしてた、結局私はその男の子を諦めてしまったのだけど、数年後に「あの頃なんで私と付き合ってくれなかったのさ」と訊ねたら「えっ、オレは付き合ってるつもりだった」と言われたそれ。

その強烈なトラウマ以降は「付き合ってください」と言うようにしていたのだけど、この数年はまた言えなくなってしまった、「付き合う」じゃなくて「好き合う」でいいじゃないか、「向き合う」があれば充分じゃないかといつも思う、つまらん自我に縛られて恋の自由をすり減らしてきてしまったんだろう。

情熱の日々はしんどい、時々くすっとにやけていられるくらいの穏やかな安定の中で過ごしたい、こころと身体の真ん中に好きな人をぽんと置いて、からっぽじゃなくいられたらいい、誰かのこころと身体の真ん中に、そんなふうに居場所があれば大層しあわせだろうと思う。

人が誰かのものになることなんてあり得ないんだから、そういう約束はいらない、形に守られて安心できる穏やかさは羨ましいけれど、そういうことじゃないんじゃないか、恋はこころと身体でするもんなんじゃないのか、約束じゃないことをちゃんと見つめて信じればいいんじゃないのか。

それとは違うものとして人生を考える、もちろん恋と人生は密接なるものだけど、恋の約束はいらないのに人生には約束が欲しいってあたり都合のいい考えかもしれない、だけどやっぱりそこは「社会と私」なわけで、そこんとこ一緒にやっていきましょう、一つにまとめておきましょうというのが、それだから。

しっかり人生の立ち位置を決めてこころと身体を自由にしておきたい、約束だからじゃなく、自由の中の意志で互いの真ん中を好き合ったり向き合ったりする、そういうことがもっと上手にできたらなあと憧れる、そうあれと指図する頭とそうあれない女々しいこころの隙間が、言葉を欲しがってしまう。

今週の仕事が飛んでこの週末は久々の完オフ、もう10月だなんてほんとに世知辛い、ぼちぼち歌の練習もしなければと思うのだけど、これまでみたいにギター付き合わせての個人練習ができないからひたすらに家で歌い続けることになるんだろうか、サフラン飲んで歌詞覚えなきゃ。
  1. 2011/10/01(土) 00:03:28|
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指切りできない。

たまの作家稼業に蝕まれたのか未来を覆う放射能のせいなのか、体調悪化で丸2日の検査入院、血を採られると頭がぼんやりするので本を開いてもすぐにうとうとしてしまう、妄想と夢の合間にトンボやらミミズやら、不意の入院は先々のことを考えさせられて凹む、救いなどないまま信じる力が尽きるまで、点滴の針の痛みにぽろぽろ泣きながら年初に入院したばかりなのにとまた不安が渦巻いての不貞寝、このまま出られなかったらきっと全部消えてなくなるんだろうとうっすらの悲観などもしてみたり、闇雲な人生がいつまでも続かないことわかっているから焦るのか、焦っているつもりはないけれどやっぱりちょっと焦ってるんだろう、身内もなく墓もなく、いっそ誰も知らないどこかで野垂れ死んだ方が諦めがつくだろうに、独りでいたがるくせに何を欲しがっているんだろう、もやもやと緩い思考のまどろみを断ち切るように起き上がってベッドを机に原稿作業、合間にこそこそ日報、空に円を描く死闘がどこに辿り着くのか見届けることを楽しみにこちらは日常的な格闘、他人の弱音に奮起するくせに励ましの類いは受けるのも送るのも照れ臭くて苦手、ちゃっかり脱稿して回線拝借しての送信、明日の打ち合わせ確認して業務終えた途端ぽっかり淋しくなる、同志でいられることが何よりではあるけれど、痛みに触れる時間を分け合えないのはやっぱりどこか欠けた感じ、それでも溺れる日々にありながらまだ飲んでくれるものがあってそれもぼちぼち限界だろうとは気づいている、甘え方も甘えさせ方も下手っぴでいつまでも寄りかかれない、それすら鏡に映してまた先の闘いに血走るばかり、血を分け合うような恋をしたいと望む自分を嫌うせいか、結局今も臆病についっと留る指先を見つけられずに羽がもげるまでぐるぐる飛んで、まるで画にならねえなと目を伏せる、空に向かって突き立てる指一本があれば、指一本だけ頂戴よと泣いてる鼻の頭についっと飛んでこないものか、何処にいるのかわからない、自分を見失う感覚は場所が違っているだけですっかり同じじゃないか、もしもこのまま私が先に逝ってしまったらあなたはきっと泣けない、無論どこにも逝かないけれど、それは約束するけれど、どうせ信じちゃくれないんだろう、何故計るのか探るのか何故何も決められないのか、きっと人はみんな明日なんか信じてないんだろう、指切りできない指なんて切り落としてしまえ。
  1. 2011/09/27(火) 17:09:02|
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鏡向こうのG。

このところのぐずぐずした「らしからぬ」心情、結局はそのまんま吐き出して伝えるしか手段がなく、もうどうにでもしてくれな開き直りの一方で雑務、雑務、雑務、隙をみて芝居と恋愛の話のスタメンにがっつり食いついてこびりつく残滓を丁寧に拭ってもらうような甘えぶりも「なんかいつも同じことしてる気がするので、うまい返答を用意しておけそうなのに、それができないのはなんででしょう」などと嗤われつつ慰められ、同時にひっそり続くそれが一番の現実、打てば響く誠意にますます怯え、焦がれそうになるこころを雑務に追いやって力ずくの一人上手、「絶対に幸せになれない」と言われる都度「幸せになりたいわけじゃない」とまた思う、手前勝手な理由を見つけたせいだけど、泣けてくるほどはっきりしたそこんところに逆らう術はない、その昔に送られた一文「ジャックナイフ突きつけてまで君の愛乞う雨の真夜中」を超えての十徳ナイフもしくはサバイバルナイフ、これまで信じられずにいた形をこれほど信じたくなるなんて自分にも心構えができていないもんだから、生活の隙間に感じるささやかな幸福を見つめる勇気がない、「ただ想うこと」や「そのままそこにいること」にはそれなりの修行が必要で、成果があろうとなかろうとできることは結局得ているものが揺らぐ感覚に耐えて意固地にただそこにいて想うだけだけど、辿り着きたいところや欲しいものに手を伸ばすことができているのか、私の指先はちゃんと届いているのか触れられているのかもう何も計らない、不意に再会したり近況を知ったりできるあの人やこの人を想うことと今のこころを比べることもしない、懐かしいなあ元気かなあ逢いたいなあとじんわり滲むそちらが愛で焦がれるそれが恋と知ればうっかり手放してしまいそうになるから、逢いたい人はたくさんいてその人のことを想うと本当に胸が温かくなって好きだなあ愛してるなあと感じたりするわけで、だけどそういう自分の気持ちをできるだけたくさんコトバで知らせてしっかりと飲み込ませたくなるような人はそうそう転がってやしない、現実からいなくなった人を想ったりちょっと約束すればすぐに逢える人を想ったり過去の私を想ったり未来のあなたを想ったりするそれぞれの時間を一緒に飲み込めたら、絶対にない幸福だって少しくらい感じられるかもしれないし、いつかすべてを失って切腹しなきゃなんないときには首を切り落とさせてくれと言えたらいいのだけれど、まあもう少し穏便に骨を拾ってくださいくらいのことしか恐らくは言えないのだろうけれど、これまでにそうしたこころによく似た何かを与えられては踏みにじった自分は未だ臆病で、いくら運命めかして一人分の覚悟をしてみたところで現実を動かすだけの力はなく、人のこころなどもっと動かせず、日常で必要とされることなんて仕事で必要とされないときの言い訳に過ぎないじゃないかなどと拗ねそうになりながら、だからこそモノを作る性をほんのひと時慰めたり労ったりする隙間をねじ込みたいわけで、もうドキドキしたりそわそわしたりする不安定な恋心に生き甲斐を感じられるほどタフでもないし、ただそこにいる私を信じたまま死んでってくれと願うばかりで、甘いもんとかくすぐったいもんとか、そういうのがちらり覗けると怖くなるのが正直なところ、なんせハードボイルドな人生だから、何かの間違いで可愛がられたりしたら壁から落ちた卵みたいになっちゃうんじゃないかなんて、心底怯えるそっちへと微妙な力加減で引き込まれているような気がして、全力で幸福を否定した先にしかひと雫の幸福を垂らす隙間がないのだけれど、今はそんな屈折すら真っ直ぐになってしまうような人生のGに屈して、ただそこにいる、そこにいて想う、豪雨、豪雨、豪雨。
  1. 2011/09/21(水) 02:12:22|
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この頃のお仕事。

短編「宴の夜」が掲載されている 小説宝石8月号 好評発売中。映画の「遠雷」をやりたかったんですが、如何なってますでしょう。

長編「明日を抱きしめて」の改訂改題文庫版 「晩夏の蝉」は  semi_coverS.jpg
8月10日に光文社文庫より 定価600円で刊行予定。
  1. 2006/07/29(土) 12:11:03|
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